第4話 ゆりかごの子ども

 いきなりの風と闇。目を開けているのに何も見えない。わたしはわたしだけでどこかに浮き、くるくる回っている。

 上も下も、自分がどっちを向いているのかもわからない。そんななかにいるのに、ふと目の前に、明るい海の色が見えた気がした。揺れる海面と、光を受けた波が描く、浅い海の底の光の網。

 朝の島の匂いがよみがえってくる。潮の匂い。風の匂い。細い道に漂うおだしの匂い。離れたのはついさっきなのに、急になつかしくなってきた。そういえば朝ごはんを食べていないんだ。お腹すいたな……。

「奏歌?」

「え?」

 お尻が落ち着いた?

 いつの間にか、わたしは座っていた。

 わたしの前にはごはんとみそ汁とお魚の、いつもの朝食が並んでいて。キッチンの小窓から入る光を背に、お母さんが不思議そうな顔で立っていた。いつものTシャツとパンツ、ひっつめたゆる天パ。

「え?じゃないでしょ。何よ、ぼーっとして。早く食べないと遅れるわよ」

 あれ、待って。

 わたし、さっきまでどこにいた?

「お母さん、わたし、いつからここに」

「? ずっといるけど。ちょっと大丈夫?」

 お母さんは向かい側の椅子を引いて自分も座り、「いただきます」と手を合わせた。

 わたしも反射的に手を合わせたけれど、どうにもお箸をとる気にならなかった。楽しそうにお魚をほぐしているお母さん。いつもと同じ……じゃ、さっきまでのは? わたしの夢? 妄想?


 ~~~♪


 集中しすぎたせいか。お母さんから音楽がやってきた。

 どんな、と表現するのが難しい。いろいろな人の声がモザイクになったような、混沌とした音の連なり。

 じっと聞いていると、その中から浮き出してくる文字があった。歌詞というにはまとまりがないけれど、音に言葉が乗ってくる。


――やめなさい やめなさい

――くだらない くだらない


 やめる? くだらない? 何を?

 言葉は音に乗って届き続ける。


――ぬけだせないみちは やめなさい

――あなたのせかいは あそこじゃない

――あなたは ここでいきなさい


 あなたは、ここで生きなさい……?

 ここ? 「ここ」って――。


「わたしは、“こっちの世界”で生きなさい、てこと?」

 思わず口に出した。

 その瞬間、はっきりした。

 これ、現実じゃない。

「なにを言ってるのよ、奏歌」

 お母さんが言った。声の調子は朗らかだ。でも、その下にあるざらざらしたものを、わたしは明確に感じ取った。

「お母さんの音楽から、お母さんの本音がきこえた」

 たぶん、わたしはまだ、異世界にいる――。

「わたしがキースさんについていく気になったのが、お母さんはいやなんだ?」

 お母さんはお箸をとめた。

「私の音楽ですって?」

「そうだよ。わたし、聞こえるの。人や魚や貝や……もっといろいろな存在の、気持ちや思い。それがわたしには、音楽になって届いてくる」

「……」

 お母さんはうつむいた。小窓からくる光が逆光になるからか、お母さんが影をかぶったように、わたしには見えた。

「……そんな力が出ちゃったか」

 呟くようにお母さんは言った。

「ここまで隠れてきたのに見つけられたのは、あなたにスイッチが入ったせいなのかしら」

「お母さん……」

「違う世界であなたを育ててきたのは……あなたを王家の役割に縛りつけたくなかったからよ。それなのに――私は反対だから! 絶対に嫌!」

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