第3話 凪(Gymnopedie)

「こんな逃げ方をするか。よほど嫌だったんだな」

 淡々と呟く自称父。わたしはさすがにかっとした。

「なに冷静に言ってるんですか! 落ちて、お母さんがもし――」

「心配ない。空気の神霊が助けてくれる。それがわかっているから飛び降りたんだよ」

 自称父は軽く頭をかくと、じゅうたんに座り直した。

「とにかく、ひととおり説明したほうがいいだろうな。カナカ、まず私は君の父……といわれても困るって顔だから、君のお母さんの夫と言おう。名前はキース」

「はあ」

「そして単刀直入に言うが、君の母は女王だ。君から見たら異世界にある、ここ――王国ミーサの」

「はあ」

 現実と思えない。思えないのでリアクションのしようもなく、わたしは極限まで凪の気持ちでその言葉を受け止めた。

「で、その女王のお母さんが、どうしてわたしのいた世界に」

「逃げた。幼い君を連れて」

 それって命を狙われてとか? わー、かっこいい……と頭の中で棒読みしたのを見抜いたようだ。キースさんは苦い顔で首をふった。

「言っておくが、彼女の立場はいたって安泰だったんだ。ミーサでは、王族は王族というより神職だ。政治にかかわらないから権力争いとは無縁だし、なくてはならない存在として敬われてもいる。しかしエメライアは、“女王”から逃げた」

「それは、なんで」

「即位後、女王には向いていないと本人はこぼしていた。それが原因だろう、たぶんだが」

 ――へそまがりの神様や自由と精霊さんのご機嫌取りは断固拒否――

 さっきお母さんの放った言葉がよみがえる。

「ミーサは、昔は自然の神霊がのびのびとお暮らし……といえば聞こえはいいが、暴走状態になっていたところでね。地震に嵐に大噴火、起こり放題の荒れた土地だった。そこにやってきた王家の先祖が、自分で自分を止められなくなっていた神霊をお鎮めするのに力を貸し、この地に住まわせてほしいとお願いしたそうだ。その古い契約が、今に至るまでミーサの礎になっている」

「へえ」

「気のない返事だな、君の先祖の話だぞ」

 そういわれても、相変わらず何の実感もわかないし。わたしは、適当にうなずいて先を促した。

「ただ、逆に言うと、神霊が少しお気持ちを乱したらあっという間にめちゃくちゃになる、そんな不安定な土地に我々は住んでいる。だから今でも王族は、儀式や祭りをこなし、時には直接神霊と交信して、国土を守るんだ。しかしエメライアには、その役割が苦痛だったようだ――こう言っていたよ、『私には向いてない、なぜ王族だからって決められたように生きなきゃならないの。そんな業を子どもに負わせるのもいや』……と」

 なるほど。なんとなく納得した。

 お母さんは直球タイプで、アツくて激しい。そのさっぱり感が島の人には好かれているけれど、誰かにお願いするとか機嫌をとるとか、そういうことは確かに苦痛に思いそう。

「でも、キースさん」

 お父さんとはちょっと呼べない。

「そんなお母さんを、何も今さら連れ戻さなくても」

「ここにいてもらわなきゃ困るんだ!」

 突如大声を出されて、わたしは吹き飛ばされそうになった。

「彼女と君が消えたあと、10年、女王代行をつとめてきた。もともと王族のもとで働く神職だったから仕事の代行はできる、だが、私はあくまで“王配”だ。これがどういうことかわかるか」

「わかりません」

「考えもせず即答しないでくれ。エメライアなら立場は安泰でも、私はそうじゃないんだ」

 んーと。

「……血筋でいうと王家の人じゃないから、あんまりよく思われないみたいな?」

「よく思われないというか、不安がられる。二言目には『あの方で大丈夫か』とヒソヒソだ。それに年数が経つにつれ、もう女王の帰還はあきらめて、傍流でも他の方に王位を……なんて声も大きくなってきた。とにかく直系の王族に戻ってもらえなければ、私は立場を失ってしまう。だからエメライアか君が必要なんだ」

 キースさんは言葉を結び、わたしに期待の視線をよこした。が、わたしの気持ちはさっきの「凪」から、さらに凍りつく方向に向かいつつあった。

「そりゃ、お母さんが帰りたがらないわけですよ」

 とうとうわたしは言った。

 キースさんが、へ?という顔になった。

「なぜ」

「だってキースさんは、さっきから立場の話しかしてないじゃないですか。要するにお母さんやわたしにいてほしいのは、自分の安定のためでしょ。妻や娘がいなくなって寂しいって思ったことは? なさそうですね」

「うっ……いや、そんなことは。君やエメライアのことは、もちろんずっと気にかけ……」

 わたしは無言でキースさんを見つめた。

「……。エメライアとの夫婦仲は悪かった」

「ですよね」

「最初は大恋愛だったんだ。けれど仮にも娘に言う話ではないが、お互い熱が冷めたら喧嘩ばかりで。なにしろ彼女は気性が激しくワンマンで……」

 ほんとに娘に聞かせる話じゃないな。彼から聞こえ始めた、胡弓のような単旋律がいかにも愚痴っぽかったので、わたしは急いで言葉をかぶせた。

「とにかく話はわかったけど、お母さんは戻らないと思うし、わたしも王女にはなれません。帰してください」

「そういわれても、しばらくは無理だ」

 さらっといわれて、今度はわたしが「へ?」となった。

「どうして!?」

「他の世界との接点を開くには、いろいろ条件があるんだよ。暦や星の運行、タイミング、場所。全部合うときに儀式をしないと開けない」

 ――うそ。

 絶句するわたしがよほど青ざめて見えたのか、キースさんはぎこちない笑みを浮かべた。

「まあ……そういうわけだし、この際だ。私を助けると思って一緒に来ないか」

「お飾りになるしかないのに?」

「そうとは限らないぞ、王女様。王族の大半は神霊とかかわるための、何らかの特別な力を授かっているものだ。思い当たることはないか? エメライアは自分の使命を嫌ったが、ギフトを活かして活躍できる可能性は大いにあるぞ」

 思い当たること?と少し首をひねって、わたしははっとした。もしかして、気持ちが音楽で聞こえるのって、それ?

 わたしが少し考える表情になったのに気を良くしたのか、キースさんは夢見るような顔で両手を広げた。

「神職としての仕事は忙しい。日々神霊と対話が必要だし、天気や気候に異常があったらすぐ出動だ。だがな、人に尊敬されるぞ。直系の王族ともなれば、人々の尊崇も絶大だ」

「そう言われても、何するんだか……。言ってる神霊って存在がわたしには見えないし」

「ああ、」

 キースさんは胸元につけていたブローチを外して、わたしに差し出した。

「たぶん少し補助があれば見えるだろう。これを握って」

 頭の上に疑問符を浮かべつつ、わたしはそれを手に取った。

 途端、自分の感覚がばっと拡大したように感じた。周囲の彩度が一段階上がった。

「わ……」

 すぐに、風の中を、薄くきらめく小さな人影が飛んでいるのがわかった。毎朝見ている魚の群れのよう。

 降りそそぐ光の中で、見下ろした木々の周りで、同じような存在が和やかに歌い踊っていた。

 音楽が聞こえ出した。今見ているすべてが調和した、穏やかであたたかい合唱。世界は意志ある存在でできている、わたしは突然実感した。

「すごい」

「だろう? 彼らが穏やかでいると、この国も世界も穏やかなんだ。逆に言うと、乱れたらとんでもないことが起こる。その平穏を保つのが、王族をはじめ神職の仕事なんだよ」

 わたしがブローチを返すと、キースさんは大きな目を細めてにやりとした。

「興味を持ったか? 活躍してみたくないか? 特別な存在になれるぞ? 私にはすでに偉大なる王女の姿が見えるようだよ、胸躍るなあ。ああ、ちなみに生活も悪くないぞ。王宮はいいところだし料理はおいしい。神職の養成校に行く子と友達にもなれる、もしかしたら他国の王子が君に恋する可能性も――」

 わたしはしゃべり続けるキースさんの声をBGMに、自分の中に沈んだ。

 キースさんの言葉に心動かされたところがあったとしたら、それは「能力」のところだった。わたしは今まで、自分に何か才能があるなんて思ったことはなかった。成績は悪くないけどそれだけで、何から何まで平々凡々。

 そんなわたしの、「気持ちの音楽が聞こえる」特技。役に立つもんじゃないと思ってきた。聞こえて疲れるときだってある。でも、もしこれが――まだどう使えるのかもわからないこれが、ここでは「能力」なのだとしたら……?

「な、カナカ。どうだ、いいことがいっぱいあるだろう?」

「あ、すみません、『ちなみに』あたりから聞いてませんでした」

 キースさんがじんわり涙目になったので、わたしは急いで言い添えた。

「いえ、少し考え込んじゃっただけなんです。えっと――ちょっとだけ、前向きにはなりました」

「おお、本当か! 我が娘よ!」

 抱きついてこようとする彼を、わたしはかわした。

「まだ、ずっといるとは言ってません。それに、妻と娘がいなくなっても自分の心配しかしない自称父の、何を助ける義理があるのかって今でも思ってます」

「う……」

「でも、わたしも、何も知らない異世界で、ひとりで暮らせる自信ないし」

 もし、神職の能力ってものをわたしも持っているのなら、それがどんなふうに使えるのか、ちょっと試してみたい気がしなくもない――。

 そのときだった。不意に全身に霧のようなものが集まってきて、ぱっと光ったと思ったら、すぐ消えた。

「ふむ、君本来の姿になった。多少前向きになったというのは本当みたいだな」

 言われて自分を見下ろしたとき、両脇に垂れた髪のふさが緑色になっているのに気付いた。着ていたものは消え、クリーム色のふわっとした服がわたしを包んでいる。

「へ、変身っ? 何これ?」

「この世界を出たときの姿かな。単に元に戻ったんだよ」

「わたし、ここを出たとき3歳ですよ? 服のサイズとかどうなってんの!?」

「あまり細かく考えるな。この世界のことわりは、君がいた世界と違うんだ」

 ……。ほんとにわけわかんない。

 わたしは気を静めるために押し黙り、じゅうたんの進む先に目を向けた。すぐ先で森は薄まり、人家と道が景色の中心になってきた。家々はカラフルで、見下ろすとまるでマカロンの詰め合わせみたい。それらは小高い丘の上にある、ピンクオレンジの石でできた大きな建造物を取り囲むようにして、だんだんと密集度を上げていた。

 聞かなくてもわかった。丘の上のあれが、キースさんの目指す先。王宮なのだと。


 だけど、それを見ていられたのは少しの間。

「――――うわっ!?」

 キースさんが声をあげる。

 突然なんの前触れもなく、強風と暗雲が真正面に立ちはだかった。

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