第2話 怒りの日!?

 うわあ、何これオーケストラ!?

 お母さんが急にクラシックに目覚めたのか。わたしは思わず耳をふさいだが、音楽は勝手に聞こえてくる。違う、これは誰かの心の音楽だ。わたしは玄関に靴を放り出し、つきあたりの台所へ走った。

「お母さん?」

 走り込んだとき、今度は視界がぐにゃりとゆがんだ。身体が何かゼリーみたいなものを通過した? と思った直後、わたしはトランポリンで跳ねたみたいに、ぽよよーんと空中に放り出された。

 ――空中?

「……えええ~っ!」

 さかさまになったわたしの目に飛び込んだのはコバルトブルーの空。服が風を含み、自分の身体が自由落下を開始しているのがわかった。なんでなんで。わたし台所に走り込んだはずじゃ!?

 わけがわからないうちに人生詰みかけている、いや詰んだ、と思ったが、急に下から強い風が吹いてわたしを押し上げた。わたしはつかのま羽になったように空を漂い、うまいことに、なにか柔らかいもののうえにとすんと背中から着地した。

 と同時に、さっきのオーケストラが3倍の音量になって襲ってきた。

「なんてことしてくれるの、いきなり! さっさと元の家に戻しなさいよ!」

「家出人を迎えに来ただけだろう! 見つけたからにはもう逃がさんぞ!」

 な、なに!? 両方とも、この世の終わりみたいに怒ってる。

 落ちたのはじゅうたんの上だった。床に敷いたやつじゃなく、空中をすべるように飛んでいる……え、これ、いわゆる魔法のじゅうたん?

 わたしは半分起き上がり、端っこに着地したわたしに気づかず怒鳴りあうふたりを見た。

 ひとりは長めの金髪を風にはためかせた、顔の濃いおじさん。宝石で飾ったコートのような服を着、二重のギョロ目を血走らせて、もうひとりをにらみつけている。

 もうひとりは――お母さん?

 気づくまでにしばらくかかった。だって普段のお母さんは、Tシャツとパンツを制服に天パのロングをひっつめた、見るからに勇ましい海の女だ。お父さんのいない我が家をひとりで支えるアウトドアガイド、38歳。

 それがどういうわけか、お母さんは濃紺に銀糸の刺繍が美しいドレス姿だった。頭には宝石つきの細い輪っか、胸にも宝石のブローチ。髪は、空に溶けるような青。

 こうしてみると、けっこうきれいな人でびっくりする。でも髪が青? 朝、染めた?

「あ、あの。お母さ……」

「私は帰らない! 私にはあっちで築いた生活があるの!」

「勝手に出ていったくせに、築いた生活も何もあるか! だいたい自分の立場を何だと思ってる! おかげでこっちはヘロヘロだ!」

「あの、お母さん……」

「私なんか仕事の役に立たないわよ!」

「それでも君が“そこにいる”ことが大切なんだよ! わからないのか!?」

「はあ? 私は人形じゃないわよ。ふざけないで!」

「私は自覚しろと言ってるんだ!」

「――お母さんってばっ!」

 爆音のオケがひゅうっと止んだ。ややあって、静かにこちらに顔を向けたお母さんの目が、まんまるになった。

「か、奏歌……いたの!?」

「さっきからいたよ、いったい何これ!? その格好、なに!?」

 お母さんは答えず、どうしようというように口元に手を当てた。

「あなた……転移に巻き込まれ……」

「カナカ! 君はカナカか!」

 どういうことかと問い返す前に、すばやく私の手を取ったのは顔の濃いおじさんだった。

「よかった、君のことはあとで考えようと思っていたが、一緒に来ていたとは! エメライア、こうしよう。君は女王を放棄したままでいい。だが私たちの娘(王女)は王宮に戻せ」

 は?

 エメライアって誰? お母さんなら「エミ」だよ?

 娘? 「私たちの」? 女王? 王女?

 待って何それ。情報過多。

「何を言ってるのよ!」

 お母さんが叫んだ。

「私とあなたの娘だからって、奏歌を王女よばわりしないでよ! この子は日本の中学生、汐入奏歌。奏歌には“あちら”で自由に育つ権利があるわ!」

「いーや、カナカは王女だ! 君がこの子と“あちら”に逃げさえしなければ、今頃りっぱに仕事をこなしていたはずだ! この子は王女に戻るべきだ!」

 わたしは頭の上を飛び交う会話を呆然と聞く。わたしの話みたいだが、わけがわかんなくて絡めない。

 と、お母さんが自称父から、わたしの手を取り上げた。

「もうかまってられない。私も奏歌も、へそまがりの神様や自由な精霊さんのご機嫌取りは断固拒否よ。降りるわよ、奏歌」

「降りる!?」

 じゅうたん、航空中ですが!? しかしお母さんはまるでためらわずジャンプの姿勢をとった。わたしの腕をとらえたまま――!

「そうはいかん!」

 向こうから自称父が手を伸ばしてきた。

「カナカはミーサの王女だ!」

「ちょっ痛、やめてよ両方で――お母さん!」

 お母さんは空に舞った。わたしを慮ってくれたのか、単にあきらめたのか、あっさりわたしの腕を手放して。濃紺と銀糸のドレスが、空中に花のように広がった。

 自称父に引き戻されたわたしは、しかし、すぐにその手を振り払い、じゅうたんから身を乗り出した。

「お母さん――お母さーん!!」 

 下には緑の森が広がるばかり。

 さっき咲いたドレスの花は、どこにも見えなくなっていた。

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