トゥッティ ~神さまと精霊の国で~
岡本紗矢子
第1話 はじまり(子守唄)
海に突き出した消波ブロックの突端まで駆けてくると、背後以外の三方が海になった。今日はほとんど風がない。なめらかな青い海が、水平線までずっと続いている。
ひとしきり海面に立っているかのような開放感にひたったあとで、わたしはかがんだ。ふたつしばりにした髪のたばが肩からたれるのを、いったん背中側にはね上げて、海の中をのぞき込む。
透明度の高い浅い水底には、ゆらゆら揺れる光の網ができている。だんだん水の下に焦点があってくる。ブロックの足元にひそむウニやカニ、ゆらめく海藻、流れるように泳ぎ寄る無数の小魚たち――そんなのがはっきり見えだすのと一緒に、音楽が聞こえ出した。
わたしは集中する。
しゃらららら、しゃらららら、魚たちのそれはハープで奏でるようなアルペジオ。そこにしずくのようにてんてんと、貝かな、別の生き物の音が混じってからむ。ああ、いいなあ、西洋の子守唄みたい――わたしは聞こえたとおりのものを、一緒に口ずさみ出す。
と、そのわたしの頭の上から、声が降ってきた。
「おや、
わたしは急いで振り返る。顔見知りのおじいさんが親しげな笑みを浮かべていた。周辺数kmの小さな島、ここでは知らない人なんてほとんどいない。
「おはようございます」
「なにか歌ってたけど、歌の練習?」
「え、まあ、そんなようなものです」
「がんばってね」
散歩の途中にここまで来たらしいおじいさんは、ひとしきり海を見まわして、砂浜に戻っていく。その背中に会釈したとき、おじいさんから、ピアノを一本指でとつとつと拾ったみたいな、素朴な旋律が響くのを聞いた。いい音。きっといつもこんなふうに、大らかで落ち着いたひとなんだろう。
……わたしが言ってる「音楽」。これ比喩じゃないんだけど、誰か信じてくれるかな?
本当に聞こえるんだ。人や生き物たちから、音楽が。それはたぶん、その人や生き物の気持ちと連動している。楽しそうな人からは楽しそうな、悲しそうな人からは悲しそうな、そんな音楽が聞こえてくる。特技? 体質? 能力? 想像? わかんないけど。
聞こえてたのはいつからだったのかな。たぶん、ずっと前からそうだったんだと思う。でも、人の音楽がちょっとしんどいと思い始めたのは最近。一応、意識して耳を閉じることもできるんだけど、気を抜くと勝手に聞こえてきちゃう。
いつのまにか毎朝、魚や貝の音楽を聞きにくるようになったのは、もしかしたら癒しのため?なのかもしれない――うちのお母さんとか、感情の起伏がすごくて「うるさい」し。
日がどんどん高くなり、海面をのぞきこむ背中がじりじりしてきた。
そろそろ学校に行く支度をしないと。わたしは「また明日」と波の下に声をかけて、元来た道を走り戻った。
夏は海水浴客でにぎわう海沿いの道から一本入ると、古びた家ばかりが並ぶ路地になる。カツオや昆布のだしの匂いがあっちこっちからぶつかってくる真ん中をわたしは駆けて、並びの真ん中へんにある我が家の引き戸を、ガラリと開けた。
「ただい……いいっ!?」
そのとたんだった。大音量の音楽がどかんとわたしを直撃したのは。
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