第27話 エリスの決意
王妃が国王に飲ませていた毒は、王妃自身が自分の宝石箱を開けて、発見された。
それを聞いたときエリスは、もう二度と自分の魔法を利用しないことを決めた。テオに怒られない程度に使う必要はあるが、一年に一回くだらないことだけに使おうと決めた。この魔法は本当に恐ろしい魔法だと、身をもって知った。
エリスは兄のフレデリックと共に白の塔を登る。特別に許可されて、投獄されている王妃と扉越しに会話する機会を得ることができた。
「お兄様、王妃殿下とふたりきりでお話しさせていただけませんか」
「ダメだ」
「お兄様、お願いします」
兄は妹に弱い。瞳を潤ませて真摯にお願いをすれば「少しだけだぞ。何かあったら大声を出すように」と引いてくれる。
重厚な扉の前でひとり立つ。侵入者を遮り、罪人を逃がさないようにするための扉。
その前でエリスはドレスの裾をつまみ、深く礼をした。
「ごきげんよう、王妃殿下。エリス・カルマートです」
程なく中から声が響いた。
「よく来てくださったわね。銀色羽の子は元気かしら」
「はい、とても。毎日元気そうに甘いお菓子を食べています」
思いのほか元気そうな声だった。この扉さえ挟んでいなければ、普通の会話だっただろう。
「それで? わたくしから何の話を聞きたいのかしら」
「ヘドリー様の隷従の魔法のお話です。……王妃殿下はヘドリー様に魔法を使わせてご自身の傀儡を増やして、アルウィン様を排除しようとされていたのですね」
「そのとおりよ。わたくし自身は魔法を貰っていないわ。あなたと違ってね。あなたの魔法は……秘密を聞き出す魔法かしら?」
「ご想像にお任せします」
エリスははぐらかした。手札は誰にも見せるものではない。誰が聞いているかもわからないのだから。
「……どうしてアルウィン様を?」
「聞き出せばいいじゃない。無理やり」
「わたくしは、王妃殿下の心を通した言葉を聞きたいのです」
「面の皮の厚いこと」
呆れたように、だが楽しそうな笑い声が響く。
「この国が嫌いだから、壊してしまいたかったの。特に陛下のことは憎くて憎くて仕方がないわ。そしてその次がアルウィンだった。それだけのことよ、母親の心はわたくしにはなかったみたいね」
「……どうしてそんなにも」
「わたくしの元の身分はご存知でしょう」
王妃の生家は子爵家だ。伝統のある家だが爵位は低い。
「わたくしには想いあった婚約者がいたの。宝石箱をくれた方よ。尊敬していた方もいたわ。陛下の婚約者だった方よ」
「…………」
「陛下との結婚でどちらも失ってしまった。でもそれは仕方のないことだと、ちゃんと受け入れていたのよ。だって王家に逆らえるはずがないもの。陛下がわたくしを選んだ理由が、妖精の瞳を継がせるためだけだったとしても、むしろ納得できたのよ?」
小さなため息が響く。
「でもわたくしの大切な方たちが、どちらももうこの世にはいなくなったことを知って……そしてヘドリーという復讐の道具を手にしたとき……」
話はそこで途切れる。
「エリスさん、あなたもいずれわたくしのようになるでしょう。絶望の中で壊れてしまうでしょう」
「わたくしは――」
「いいことを教えてあげましょう。アルウィンの魔法は妖精を殺す魔法よ。アルウィンについた銀色羽は、すぐに逃げてしまったけれど……あなたのかわいいお友達も、殺されてしまうかもしれないわ」
「ああ……だから銀色羽は悪い妖精だと教えて、金色羽を守らせていたのですね……でも、クラウディア様」
あえて名前で呼ぶ。王妃という役割ではなく、ひとりの人として。
「人にも人を殺す力があるじゃないですか。力なんて、すべて使い方次第です」
「ふふ。あなた、わたくしなどよりよっぽど悪女だわ」
それから数日後に王妃は毒を飲んで亡くなったと、エリスは父から聞かされた。いずれ病死と発表されるだろうと。自死なのか誰かに殺されたのかまではエリスにはわからなかった。
お茶会のことは、犠牲者が出なかったこと、はっきりとした証拠が出なかったこと、そしてエリスの希望もあって、王妃が毒を混入させたことは表沙汰にはならなかった。隷従の魔法にかけられていた人間も、命令を聞いていた時の記憶は失われていた。
そしてエリスの戦いは終わった。
◆
エリスは体調不良を理由にしばらく学園を休んだ。久しぶりに登校したエリスを出迎えたのは、友人たちの親身な気遣いだった。
放課後、エリスは人気のない中庭のベンチに座り、ぼんやりと噴水を眺める。図書館に行かないのは、よくその場所にいたことがアルウィンに知られているからだ。
いまのエリスはアルウィンに合わせる顔がないと思っていた。
(アルウィン様とお話ししなければいけないけれど……でも、何をどこから? わたくしなら……家族を死に追いやった人間の話なんて、きっと聞きたくない……)
寂しい噴水を眺めながら、思う。
一度きちんと話をしなければならないと思いながらも、エリスはできないでいた。
そもそも何度も人生をやり直しているなんてこと、言って信じてもらえないだろう。エリスにも信じられない話なのに。
しかも、家族が自分を殺そうとしていて、実際に自分が殺されてしまったこともある話なんて、エリスでも聞きたくない。きっと心が認められない。
本音を聞き出せる魔法を使えることも、言えるわけがない。きっと気味が悪いと思われる。
――すべて自分の内に秘めておこう、そうエリスは決めた。それが一番平和だと。
「エリス」
「アルウィン様……」
家に帰ろうとしたその時に声を掛けられ、思わず身体が跳ねる。
「隣いいかな」
「はい」
頷くと、アルウィンはエリスの隣に座った。手を伸ばせば届きそうなほどの距離に。
「身体はだいじょうぶ」
「ええ、もう」
「父上も少しずつだけど良くなってきている。もうすぐ表にも出られると思うよ」
「よかったです」
ぎこちない会話の後に沈黙が訪れる。エリスはこれ以上ない気まずさを感じていた。隣にいるのに距離が遠い。アルウィンが何を考えているのかまったくわからない。
そしてエリスは、ある決意を実行することにした。
「アルウィン様には好きな方はいらっしゃいますか?」
噴水を見たまま、アルウィンの顔を見ないまま、問いかける。
唐突な質問にアルウィンは驚いたようだったが、少し間を置いたあと、答えた。
「……いるよ」
エリスの胸に鈍い痛みが走る。
じわりと涙が浮かびそうになり、エリスはそれを堪えた。
「きっとその方のほうが、アルウィン様の伴侶にふさわしいと思います。わたくしとの婚約は解消していただいて結構です」
きっと公爵である父は激怒するだろうが。
アルウィンが王太子になるのは確実視されている。王太子妃になれるのに辞退するなど、役立たずとされるかもしれない。だが穏便な婚約解消なら幽閉はされないとエリスは思っていた。幽閉されないようになんとか立ち回るつもりだった。
それでも――二回目の人生のことを思えば、婚約解消は難しいかもしれない。
「もし……解消が難しいのならばその方を側室にしていただいて、わたくしとは子を作らずに、その方に御子ができ次第、わたくしと離縁していただいても結構です」
「エリス、ちょっと待って。どうしていきなりそんなことを――」
「……わたくしには人の心がわかりません」
うつむいたまま答える。
アルウィンが本当に好きになった相手はきっと、人の心がわかる人だろう。王太子妃にふさわしい人だろう。愛しあえる相手と、支えあえる相手と結ばれる方が良いとエリスは思った。
エリスにはわからない。
その複雑さが。魔法を用いても無理やり本音を暴くことができるだけで、相手の思いや葛藤はわからない。昔よりは考えられるようになったかもしれないけれど、やはりわからない。どうしても。
「そんなの僕にだってわからないよ!」
「……は?」
素の声が出る。
エリスは顔を上げてアルウィンを見た。アルウィンはひどく焦ったような困ったような顔をしていた。
「いまエリスが何を思ってそんなことを言っているのか、僕にはわからない。わかりたくない」
幼い子どもが拗ねるみたいに怒る。
エリスには何故アルウィンが怒っているのかわからない。逃げ腰になる手を上から重ねられる。それだけでエリスはもう逃げられなくなる。
せめて顔だけは見られないように顔を伏せる。
「エリス。僕を見て」
近くでそう言われれば抗えない。
きっと情けない顔をしていると思いながらも、ゆっくりと顔を上げる。碧い瞳が、真剣な眼差しが、まっすぐにエリスを射抜いた。
「僕が好きなのは君だ」
――本当に?
そう、思わず確認しそうになる。だがそれはしない。瞳を見ればわかる。その瞳は言葉よりも雄弁に語ることを知っている。
――それでも、拗れた心は素直にそれを受け入れられない。
(アルウィン様がわたくしのことを……? わたくしのどこを??)
「僕は君を知りたい。知っていきたい……君が好きなんだ」
「……わたくしは」
――わからない。
――人の心は複雑で、何度やり直しても、本音を聞き出しても、きっと本当の心はわからない。自分自身の心でさえもわからない。
だからこそ言葉を交わして、心を交わして、少しずつ知っていくのかもしれない。そう思い至ったとき、エリスは思った。
知っていきたいと。
(わたくしはアルウィン様のことを知りたい。わたくしのことを知ってほしい。アルウィン様を支えていきたい)
それが本当の気持ちだった。その気持ちを言葉にするなら、ふさわしい言葉はひとつしか見つからなかった。
震える声で、心で、本当の言葉を紡ぐ。
「わたくしは、アルウィン様が好きです……」
いまならわかった。自分に足りなかったものは相手の心を知ろうとする心なのだと。寄り添おうとする心なのだと。
あたたかな涙が頬を濡らした。
「……きっと君には苦労をかける。でも僕はもう君以外に考えられない。僕が守るから、ずっと傍にいてほしい」
「いいえ、アルウィン様。わたくしはいずれあなたの伴侶になるように育てられました。守られるだけではなく、わたくしもアルウィン様をお守りしたい。よろしいですか?」
「……ありがとう、エリス」
「本音が聞こえる魔法」で破滅した公爵令嬢のやり直し 朝月アサ @asazuki
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