第26話 公爵令嬢の本気②



 ここは舞台であり、釈明の場である。断頭台の前であり、最後の機会である。

 エリスはそう理解して、自分の胸に手を当てた。

指先にまで優雅さを込めて。


「わたくしは、とある毒のことをずっと調べていました。その毒がわたくしの大切な方の命を奪うという夢を見たからです」


 エリスの声はよく通る。生まれつきの才能でもあるが、発声の訓練もしている。声や話し方は貴族の武器のひとつだ。

 エリスは周囲の視線も、夜の静けさも、石造りの部屋での音の響き方も、すべての力を借りて最後の戦いに挑む。ここで負ければ死ぬか、それに近い運命を辿ると知っている。


「夢ですって……? バカバカしい」


 王妃は嘲笑する。

 エリスは真剣な表情で頷く。


「ええ。バカバカしいと思いながらも、それでもわたくしは毒について必死に調べました。そしてその毒がアコニトゥームというものということまではわかりました」


 王妃の口元がぴくりと揺れるのを、エリスは見逃さなかった。しかし指摘はしない。まだ早い。


「さらに調べていくうちに、その毒の効果をお互いに打ち消し合う毒……ティルトロンの存在を突き止めました」


 本当のことを話すときには自然と説得力を持つ。まるで魔法のように。魔法は部屋全体を包み込み、一種の異空間に変える。


「王妃様のお茶会に、わたくしはティルトロンの毒を持ち込みました。なぜなら、わたくしの見た夢の中ではお茶会で大切な方が亡くなったからです」


 両手を顔の前で祈るように握り合わせる。アルウィンが死んだあの光景を思い出すだけでエリスの身体は震え、一筋の涙が流れる。


「……わたくしは、自分で持ち込んだ毒を自分の紅茶に入れました。もしこの紅茶の中にあの毒が入っていれば、参加している人たちが危険だと思って。あのときのわたくしは普通ではなかったでしょう」


 ティルトロンの毒を持ち込んだのはフィーネだが、いまその名前を出すとフィーネにあらぬ疑いがかかるかもしれない。フィーネを巻き込まないためにも、エリスは自分の所業にした。


「そして、飲みました」


 場が騒然とする。

 エリス・カルマートが自ら毒を飲む。妄想の産物ではなく自分の手で入れた毒を。それは他者から見れば狂気に過ぎないだろう。なんて無茶をするのかと、集まる視線が言っていた。


「もし紅茶にわたくしが入れた毒しか入っていなければ、わたくしは死んでいたでしょう。ですがわたくしは生きている……毒と毒が打ち消しあったからですわ。――それでは、誰が?」


 問いかける。


「誰が毒を入れていたのでしょう?」


 問いかける。その指先を王妃に向けて。


「王妃殿下――王妃殿下が使用人に命じたのではないのですか?」

「何を白々しい。お前が毒を入れたのでしょう」


 エリスはふわりと笑った。


「ならどうしてわたくしがマナーを破ってまで一番に紅茶を飲んだのでしょうか。毒が入っていることを訴えたのでしょうか。誰かを殺したいのなら飲まなければいいだけ。自分がその場で死にたかったのなら、拮抗毒を持ち込まなければよかっただけです」


 王妃の身体が震えていた。内から湧き出す怒りで。

 場の空気はエリスの優勢へと傾いている。だがエリスの足も微かに震えていた。エリスにとってこの場所は断頭台の前。失敗すればすべてが終わる。一瞬たりとも気が抜けない。


「……最初から」


 ぽつりと呟いたのはカルマート公爵だった。視線が公爵に集中する。


「――失礼。どうも聞いていると、最初から毒など入っていなかったのではないかと思えてましてな。もしかしたらすべてエリスの妄想かもしれないと」

「父上?」


 フレデリックが驚きの声を上げる。


「妄想……妄想だなんてそんな。ちゃんと調べられていて、証拠も残っているはずですわ。だってこのわたくしが毒だと言って倒れたのに、すべて片付けてしまったなんて、誰も調べていないなんて、ありえませんわ。そんなのはまるで証拠の隠滅ではないですか。いったい誰がそんなことを」


 口元を押さえてわざとらしく大げさに嘆く。もちろん演技だった。


「……これではわたくしが何かをしていたとしても、していなかったとしても、真相は闇の中ですわね」

「すぐに調査させよう」

「ありがとうございます、アルウィン様」


 きっと証拠は残っていない。何もかもきれいに片付けられているだろう。だが人の記憶はまだ新しいから証言を取ることはできる。その場にいた令嬢たちや城付きメイドから。これで王妃のお茶会での事件のことは有耶無耶にはならない。


「ですがお父様のおっしゃられる通りなら、すべてわたくしの妄想ということで平和的に解決するのです。わたくしはそれでも構いません。――陛下の御身を蝕む毒以外は」

「父上に、毒だって……?」

「はい。この部屋からは、そして陛下からも、毒の匂いがします。そしてそれは――こちらからも」


 エリスはゆっくりと顔を動かし、王妃を見据えた。


「……本当に頭がおかしくなったようね? まさかわたくしの仕業だとでも? そこまで言うのなら証拠はあるのかしら」


(証拠? 証拠なんてありませんわ。まだ)


 そして、ここからが本当の勝負だ。命を懸けた勝負。一度目の人生も、二度目の人生も登れなかった舞台にエリスは立ち、覚悟という名の剣を抜く。もう引き返すことはできない。


「王妃殿下、本当の・・・ことを教えてください。毒はどこにあるのですか? 陛下に盛った毒は――?」





『死んで邪魔生意気などうしてわたくしの宝が毒が邪魔邪魔邪魔ああ助けて宝石箱が見つかるわけああ汚らわしい殺してどうしてわたくしがわたくしばかりがこんな不遇をすべてすべて汚らわしい陛下のせい死んで死んで死んで死んでわたくしの部屋を調べられては死んで汚らわしい死んで死んで死んで』



 天井にぶら下がっていたシャンデリアが落ち、割れる。開いていた穴が更に大きくなり、瓦礫が落ちてくる。それはかろうじてエリスに当たることはなかった。

 エリスは立ちくらみに耐えながら、まっすぐに立つ。


「王妃殿下の私室の、宝石箱を調べていただきたく思います」

「な……」


 王妃の顔から血の気が引き、真っ青になった。

 ――宝石箱。それがエリスが魔法で聞き出した答えだった。嵐のような罵倒の中からかろうじて拾い上げたキーワードだった。

 王妃は宝石箱の中に毒を隠している。それは誰にも触れることを許していない、私的な宝石箱。


「……アコニトゥームの毒は、一度に大量に摂取すれば即死します。少しずつ体内に取り込めば、中毒症状になり少しずつ死に至ります。それが王妃殿下の元にもあるはずです」


 エリスはスカートの裾をつまみ、深々と頭を下げた。


「わたくしからは以上です。これよりエリス・カルマートは、すべてご判断に従います」

「……なぜ、その場所だと?」

「夢で見ました」


 アルウィンの問いにそう答える。まさか魔法で聞き出したとは言えない。この魔法は誰にも言えない

心を覗ける魔女を誰が信じてくれるだろう。


「わかった。誰か、すぐに母上の部屋の調査を」

「アルウィン王子殿下、それでは我が愚息に。ご安心ください。不正が起こらぬよう王妃殿下の騎士も共につけましょう」

「ああ。公爵に任せる」


 アルウィンが承諾するとすぐさまフレデリックが動き出そうとする。


「――お待ちなさいアルウィン! この娘の戯言を本気にするのですか!」

「彼女は覚悟を持って告発している。私はそれに応えます。何も出なければそれまでの話です。……母上も、彼女の覚悟に応えてください」


 王妃は唇を噛みしめ、後ろにいたヘドリーの腕を取って引っ張った。


「ヘドリー、この無礼者たちを止めなさい!」


 その叫びにエリスは戦慄した。王妃はヘドリーの隷従の魔法をこの場にいる者たちにかけさせるつもりだ。大人数に一気にかけることができるなら、エリスの味方側だった父や兄がもしも隷従させられたなら、形勢はあっという間に逆転する。

 隷従の魔法の仔細がわからなかったため対策できなかった牙が、いま剥かれようとしている。


「母上……でも、ルウが……」


 ヘドリーは身体を縮こませ、目には涙が浮かんでいる。だが王妃はそれに気づいていない。

 焦りが王妃の思考を鈍らせ、目を曇らせ、それは怒りとなってヘドリーにぶつけられる。


「ヘドリー! あなたまで出来損ないなの!」

「――――ッ」

「母上!」


 あまりの暴言に止めに入ろうとしたアルウィンを睨む王妃の目には、この世のすべての憎しみを集めたような炎が燃えていた。


(――ヘドリー様はきっともう魔法を使えないのだわ。金色羽が妖精王の元へ帰ったから)


 それはエリスにとっては幸いだった。

 もし金色羽の妖精をアルウィンが潰していなければ、いまこの場にいる全員に隷従の魔法をかけられ、すべて揉み消され、エリスは――そしてアルウィンも消されていただろう。


「アルウィン……忌々しい子。あなたは母よりも小娘の言うことを信じるのですか」

「……私は正しいことを見極める必要がある。たとえ肉親と言えど、肉親だからこそ、盲信はできない」


 他人行儀な言い方は、決別の言葉だった。明確に別の道を歩み出した子から母への。

 王妃は喉の奥で笑いながら、糸が切れたようにその場に座り込んだ。応酬の嵐が静まり、夜の静寂がひっそりと戻ってくる。


「それでは、調査に参り――」

「やめて!」


 王妃の部屋に向かおうとしたフレデリックを、悲痛な叫び声が呼び止める。


「……ええ、ええ、そうよ。わたくしよ。陛下に毒を盛ったのはわたくし。茶会に毒を入れたのも。わたくしがすべて悪いのよ! だからわたくしの宝物に触らないで!」


 罪を認めながら狂乱する王妃の姿を見るアルウィンの碧い瞳は、悲しそうだった。実の母の凶行を受け止められていなかった。

 ヘドリーも泣きじゃくりながら母のドレスにすがっていた。


「どうしてこんなことを……」

「憎いからよ……この国が、陛下が、あなたが。だから全部壊してしまいたかったの!」

「……捕えてくれ」


 第一王子の命令に従い、女性の近衛騎士が王妃を両脇から支え、立ち上がらせる。

 王妃は碧い瞳でエリスを睨み。


「化け物」


 憎しみのこもった呪いの言葉を紡ぐ。

 その時、天井の一部が崩れ王妃とエリスの頭の上に同時に瓦礫が落ちてきた。

 鈍い衝撃に、エリスが意識を失う直前、自分を呼ぶアルウィンの声が聞こえた気がした。



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