第25話 公爵令嬢の本気①
王城の一部にある塔の最上階――国王が眠る場所に、近衛騎士に守られた王妃が入ってくる。第二王子であるヘドリーと共に。
先に中にいたアルウィンとエリスは取り囲まれるかたちとなった。袋のネズミのように。
「母上、どうしてこんな場所に父上がいらっしゃるのですか」
アルウィンはまったく臆することなく、怒りと困惑を帯びた表情で王妃に問う。
こんな場所とは、貴人のための牢獄のような場所だ。国王が過ごすような場所では断じてない。
「陛下は重い病にかかっているからです。伝染する可能性があるからと、陛下自身の願いでここで静養しているのです」
王妃は毅然とした態度でアルウィンに答える。
「それなら何故、私にも教えて下さらなかったのです」
「あなたはすべてを知ることのできる立場ではありません。驕り高ぶらないよう」
「…………」
「わかったなら早く出ていきなさい。ただし――エリスさんは置いていきなさい」
「それはできません。私は公爵家に彼女を帰すと約束しました」
王妃は大きくため息をつく。
「驕り高ぶるなと言っているでしょう。あなたごときが決めていいことではありません。その娘はわたくしのお茶会に毒を持ち込んで、人を殺そうとした疑いがあるのです。ちゃんと調べて、罪を償ってもらわなければね」
「エリスがそんなことをするわけがない!」
王妃の嘲笑が静かに響く。
「あなたが何を知っているというの。それとも、母を疑うというのですか。証拠があるのですか? エリスさんが罪を犯していないという証拠が」
そんなものがあるわけがない。
無実の証明は困難だ。それこそ真犯人を連れてこない限り。
しかしここでいくらエリスが無実を叫んだところで状況は好転しない。近衛騎士たちは王妃の兵であり、おそらく隷従の魔法が使われているだろう。
「騙されてしまったのね。可哀そうなアルウィン」
「…………」
慰める声や眼差しはやさしい。勝利を確信してのやさしさだ。もとより王妃はまさか負けるだなんて思ってもいないだろう。すべて自分が思うままに進み、自分の望みが叶うと疑っていない。
だがエリスも諦めてはいなかった。まだ終わってはいない。まだ再起の芽はある。きっと。いまは王妃に従順になるべきだ。死なない限り勝機はある――そう信じて。
エリスは自分を鼓舞させて、自分の足で王妃の元に赴こうとした。これ以上アルウィンを王妃と対立させてはいけない、と。
王妃はきっとアルウィンを殺すことも厭わない。不慮の事故に見せかけて、子どもを殺すことなど造作もないだろう。
進もうとしたエリスの前に、アルウィンの手がかざされる。行ってはいけないと、止めるように。
「なに、その目は」
王妃が苛立たしげにアルウィンを睨む。エリスの位置からはアルウィンの表情はわからない。だがエリスを守ろうとしていることは、エリスにもわかった。アルウィンは王妃よりもエリスを信じようとしていることは。エリスはそれだけで救われる気持ちになる。
「アルウィン様、わたくしはだいじょうぶです」
エリスがそう言っても、アルウィンは退かない。
「仕方ありませんわね。少し痛めつけてあげて」
その命令には近衛騎士たちも流石に戸惑っていた。
「早くなさい。誰が次の王か、よくわかっているでしょうに」
「――それは初耳だ。王太子がどちらに決まったのか、私にもお聞かせ願いたい」
凍原のような厳しく重厚な声が響く。
部屋に入っていたのはエリスと同じ紫髪の男性だった。神経質そうな硬い表情と佇まいには、静かな迫力と胆力があった。
――カルマート公爵。その後ろにはエリスの兄であり公爵家の嫡男フレデリックの姿もあった。
「お父様、お兄様!」
エリスは喜びを抑えきれずに声を上げた。これほど心強い味方はいない。その後ろには王城の兵士の姿もあった。
「カルマート公爵……何故あなたがこちらに――」
王妃が不機嫌そうに顔を顰めながら問いかける。
「白の塔の異変に気づいて、手勢を連れて参りました。万が一にも罪人が逃げ出したら一大事だと。しかしいったいどうして、こちらに陛下がいらっしゃられるのか」
厳しい声には嵐のような怒りが込められている。言い逃れは許さないという迫力が公爵の全身から静かに立ち上っていた。
「陛下が我々の前に姿を見せて下さらなくなって久しい。何故このような場所で眠っておられるのか、王妃殿下はご存じのようですな」
「陛下は重い病にかかっているからです。陛下自身の願いで臣下にも伝えず、ここで静養しているのです」
「そのような大事を我々にも伏せるとは……王妃殿下の権力はいつそこまで肥大化したのか……しかし陛下の意向とはいえ、この風は陛下の御身に障る。即刻場所を移しましょう。陛下をすぐに王の間へ」
口調は丁寧ながらも有無を言わさない迫力がある。
(お父様……さすがですわ)
エリスは感動しながら公爵と王妃のやり取りを聞いていた。公爵は知っていたのだろう。国王がこの場所にいることに。そしてエリスがここに捕らえられていたことにも。
崩落の音を察知してここぞとばかりに兵を連れて乗り込んできた。国王を王妃の手から救出するために。
「触らないで!」
王妃は激しい拒絶で、動こうとしていた兵たちの動きを止める。声を荒げながらも気高さを失わなず、威厳を保ったままで。
「陛下はわたくしにご自身の運命を託されたのです。あなた方は下がりなさい! それとも、王命に逆らうつもりだと? わたくしが安全な場所に移します。あなた方は即刻立ち去りなさい」
――ガシャン!
王妃の声を遮るように部屋のスタンドライトが倒れ、石が剥き出しだった床で割れる。
一瞬だけ訪れたのは奇跡のような静寂だった。誰もが言葉を紡ぐ息を忘れて、しんとする。
「いけません」
澄んだ静寂の中に響いたのは、エリスの声だった。
沈黙の間隙を自分のものにしたエリスに一瞬で注目が集まる。エリスは静かに周囲を見回し、小さく頷く。十分に意識を集めていることを理解して。
「王妃殿下からは毒の匂いがしますから」
「……なんですって?」
王妃はゆっくりと振り返る。憤怒の黒い炎を灯した瞳でエリスを見据える。
――エリスは理解していた。
「自分のしたことも忘れて、よくぞ言えたものね。毒の匂いがするのはあなたでしょうに! 弁明できるものならしてみなさい!」
「そうですね……ちょうどいい機会かもしれません。いまからわたくしの知る、本当のことをお話しします」
――エリスは理解していた。ここが勝負所だと。
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