第24話 脱走
「エリス、こっちに」
上に向かうほど警備は厳重になっていく。
本当に脱出できるのだろうかとエリスが不安を募らせてきたときに、アルウィンはそう言って廊下の窓のひとつに駆け寄り、窓を開ける。
そこは蔦のカーテンに覆われていて、外の景色はまったく見えない。
アルウィンは躊躇いなく窓の縁に飛び乗って、蔦のカーテンをくぐり抜けて外に頭を出す。何かを確認すると、蔦を除けて、人が通れる穴を開けた。
エリスの認識ではその外には何もない。それでもアルウィンに呼ばれたら、何の疑いも持たずに伸ばされた手を取り、窓によじ登ろうとする。
しかし、エリスの筋力ではそこに登ることはできなかった。するとアルウィンはすっと下に降りると、手と膝を床についた。
「乗って」
王族を踏み台にするなんて不敬すぎる。しかしそれを無下にする方が迷惑がかかる。
「ごめんなさい、アルウィン様……」
「気をつけて」
靴を脱いで窓の縁に置いて、背中を踏んで身体を持ち上げる。なんとか膝を窓辺に置くことができた。
「外に出て。だいじょうぶだから」
いまのエリスはアルウィンの言葉を疑うことはしない。靴を手に取り、蔦のカーテンから顔を出す。風が頬を撫でた。
金と銀、ふたつの月に照らされた外には、足場があった。そして壁を添うようにして階段が上に伸びていた。秘密の通路だ。ここなら警備の兵にも見つからない。
王城はアルウィンの家でもある。エリスの知らない場所も道も知り尽くしている。エリスが靴を履いて足場に降りると、アルウィンもすぐに降りてくる。きっちりと窓を閉めて。
「行こう」
アルウィンに手を引かれて、手摺もない階段を上る。風は容赦なく吹き付ける。落ちたらこのまま死んでしまうだろう。だがアルウィンの足取りに恐れはない。だからエリスも怖くはなかった。
巨大な螺旋階段を一段ずつ登っていく。一番上、塔の屋上まで。
屋上には小さな小屋のようなものが建っている。その中にはおそらく下へ向かう階段がある。
屋上の端からは天空の回廊が伸びていて、城の別の場所に続いているようだった。
(こんな場所があるなんて……こんなに空が近いなんて。こんなに夜がきれいだなんて)
エリスはいまの状況も忘れて感動していた。街の光に。星の近さに。きっと他の人はこんな景色を知らない。
そして少しばかり足が竦んでいた。まさかこんな回廊を通ることになるなんて。強い風に吹かれたら落ちてしまいそうだ。
立ち竦むエリスの手を、アルウィンが握りしめる。
「だいじょうぶ」
アルウィンに笑顔でそう言われれば、不安は消えてしまう。何もかもだいじょうぶなような気がしてしまう。竦んでいた足が動き出す。
(アルウィン様は魔法が使えるのかしら)
不思議な気持ちで前に進もうとしたその時、足元がぐらりと揺れた。
(え……)
足元に丸くヒビが入り、身体が下に吸い込まれていく。屋上の底が抜けそうになっているのだと気づいた時にはもうヒビは蜘蛛の巣状に広範囲に広がっていた。
これは魔法を使った代償か。エリスはせめてアルウィンを助けようと突き飛ばそうとしたが、手はぎゅっと握られたまま離れない。むしろ引き寄せられる。その間にも身体は沈んでいく。
「――――ッ」
がらがらと音を立てて崩れる瓦礫と共に、ふたりは下へ落ちていった。
エリスが目を開けて見えたのは、黒い穴に切り取られた星空。そしてエリスを覗き込んでくるアルウィンとテオの顔だった。エリス自身は床に寝転んでいたが背中に冷たさは感じなかった。
「エリス……よかった、だいじょうぶ?」
「あ、はい。どこも痛くはありません」
瓦礫と共に落ちたのに、身体はどこも痛くはない。下にも分厚い絨毯が敷かれているらしく、固いどころかむしろふわふわしている。
「当然だ。妖精の粉をかけてやったからな。ったく世話のかかるやつら」
テオが得意げに言う。その羽からは銀色の光がはらはらと落ちていた。おそらくその粉を被れば落下のスピードが遅くなるのだろう。
「ありがとうテオ。アルウィン様もありがとうございます。ここは……」
「塔の最上階の部屋なんだろうけど」
そこは仕切りのない広い部屋だった。最上階がひとつの部屋になっているようだ。天井の一部には穴が開いていて、そこからエリスたちが落ちてきた。床には見張りの兵がふたり、気を失って倒れていた。
部屋の重厚なドアは開いていた。兵は異常を感じて中に入ったが、運悪く頭の上に瓦礫が落ちたきたようだ。
床には厚い絨毯が敷かれ、部屋の奥には立派な天蓋付きのベッドが置かれていた。
そして、そこで眠っている人がいた。天井が落ちてかなりの振動と音があったはずなのに、起きることなく。
アルウィンが吸い寄せられるようにベッドの元へ向かう。エリスも起き上がり、それについていく。寝ている人物の顔がよく見える距離にまで。
「父上……?」
ベッドを見つめていたアルウィンが信じられない様子で呟く。その言葉を聞いてエリスも愕然とした。
(国王陛下――? まさか陛下がこんなところにいらっしゃるなんて!)
エリスは想像もしていなかった。そしてアルウィンも知らなかったようだった。アルウィンはここを貴人専用の牢獄のようなものだと言っていた。どうしてそんな場所で国王が眠っているのか。
エリスが気づかなかったのにはもう一つ理由があった。あまりにも面立ちが変わっていたからだ。髪は白く変わり、肌は艶が失われ皴が深く刻まれ、そして黒い斑点状のシミがぽつぽつと浮かんでいた。
「父上……どうして父上がこんなところに……」
ベッドに駆け寄ったアルウィンは枕元で苦しそうな声を漏らす。それでも国王は眠ったまま目を覚まさない。
エリスは鼻を掠める匂いに眉をひそめた。
(これは……この匂いは、もしかして……)
「失礼します」
エリスも国王のベッドに近づき、深く匂いを嗅ぐ。甘い花のような香りと、ナッツのような香ばしい匂いが、どちらも微かに香る。
国王の顔を改めて見る。この皮膚の斑点に、年齢以上に老いた様子。尋常ではない。
「……アルウィン様、陛下をすぐにここから移動させましょう」
「ああ、もちろんだ」
その時、背後から鎧の金属音とくぐもった呻き声が響く。見張りの兵士のひとりが目を覚ましたらしい。その兵士はゆっくりと起き上がってアルウィンを見ると、顔をひきつらせた。
「アルウィン王子殿下……!」
アルウィンがいることに心底驚いている。
「どうして父上が王の間ではなくこんなところにいる」
「それは……私どもの口からは」
アルウィンからの詰問に兵士は言葉を詰まらせる。
「いいから
「王妃殿下のご命令です!」
『王妃殿下のご命令です』
勢いあまって魔法を使ってしまったが、本音と言葉は一致していた。そしてその答えはある意味エリスの予想通りだった。しかしアルウィンは違ったようだった。
「母上の……」
アルウィンの表情に影が差す。そしてそのまま黙ってしまった。
王妃に対する不信感と親子の情の間で苦しんでいるのが、エリスには見て取れた。だがエリスにはかける言葉がなかった。無責任に気休めを言ったり励ますことはできない。王妃の本音を知っているから。
(アルウィン様……)
開いたままのドアから、下の方から人の上がってくる気配が入ってくる。人数は複数。
アルウィンは堂々とした姿でドアを眺めた。最初に入ってきたのは近衛騎士だった。王族を守る使命を帯びた騎士。
騎士たちはアルウィンの存在に驚き、侵入者がアルウィンとエリスだけだとみると剣の柄にかけていた手をすぐに離す。
続くように入ってきたのは高貴な女性。そしてその後ろに少年の姿。
「まったくなんてことかしら。陛下の寝所がこのようなことに」
王妃は部屋の惨状に眉をひそめ、そして口元に嗜虐的な笑みを浮かべた。後ろのヘドリーの腕を引いて。
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