紫陽花

西しまこ

第1話

 走り梅雨が続き、そのまま本格的な梅雨に突入した。

 庭の紫陽花は、薄い黄緑色だった花弁が色づき始め、窓から見る景色に彩りを加えていた。雨が紫陽花に降り注ぐ。風が紫陽花の丸い花を揺らす。

 雨の日は昼間から薄暗い。夕暮れが迫っていることを時計で知った。


 紫陽花に雨は似合う。

 雨の音を聞くのが好きだった。音楽みたい、と思う。

 薄暗いリビングに雨の音が響いて、庭には紫陽花が浮かんで見えていた。

 きれいだな。


 夕闇の迫る庭の紫陽花を見ていたら、ふと、花の色が去年とは違う色に見えた。

 去年までは青色の花だったと思ったけれど、今は赤い花に見えた。

 どうして赤色になったんだろう。

 紫陽花の花の色は、地面の土壌のPHに関係して変わる、と聞いたことがある。アルカリ性の土壌だと、赤い花になる。しかし、日本では雨が多く、雨で土の中のカルシウムが流れ出てしまい、酸性の土壌になることが多いから、青い紫陽花になることが多いという。


 去年までは、青い花だったのに、赤い花になったのは、地面にカルシウムを埋めたから? カルシウムって、何だろう? ……骨? 骨って、なんの骨? 

 誰の骨?

 雨足が強くなり、ざあああという音を立てながら、大きくなった庭の紫陽花に降り注ぎ、風は紫陽花の花を強く揺らしていた。紫陽花の花の色はやはり赤色に見えた。   

 誰の骨?


 庭の紫陽花を見ていたら、ぽわっと白いものがその根元に揺れるのが見えた。

 わたしは雨に濡れるのも構わず、庭先に出た。

 白い猫だった。

「おいで。濡れちゃうよ。おうちにおいで」わたしは手を差し出した。

 すると猫はわたしを睨めつけ、わたしの手をひっかくと紫陽花の木の下の奥の方へと走っていった。わたしは手を血が滲んだ手を押さえながら、白猫が行った先を恐ろしく、見た。

 駄目。そっちは。


 わたしは紫陽花が好きだった。庭の片面には紫陽花をたくさん植えていた。雨に濡れた紫陽花を陽に輝く紫陽花を風に揺れる紫陽花を見るのが好きだった。白猫が行った先の紫陽花の一群だけ、赤く色づき始めているように見えた。そう、赤く。去年まで、みんな青い紫陽花だったのに、どうしてあそこだけ赤い紫陽花なんだろう?

 骨? 

 だめ、そっちに行ったら。ねえ、戻って来て。


 ふいに地面から手が出ているような気がした。

 手。その手に何度殴られたか。その手が小さい充を殴りわたしを殴り、充が大きくなってからは、わたしだけを殴るようになった。わたしの身体は服で隠れているところが痣だらけになった。わたしは怖くてこわくてこわくて、あのとき、あのひとを。


「母さん! 何をしているんだよ」

 学校から帰った充の声で我に返った。

「猫が」

「猫?」

「うん、白い猫がいた気がして」

「……いないよ。……家に入ろう。ずぶ濡れだよ。風邪をひいちゃうよ」

「うん」

 わたしは充に抱えられて家に入った。いつの間にこんなに頼もしくなったのだろう?

「大丈夫だよ、母さん。家はもう安心出来る場所だから」

「……うん」


 紫陽花が、雨に濡れながら、わたしのことを、見ていた。

 紫陽花はもう切ってしまおう。ぜんぶ。ぜんぶ。

 

 だって、こわいから。




   了



一話完結です。

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