桜の樹の下には、死体が埋まっている。

朝比奈爽士

花で彩られて

「桜の樹の下には死体が埋まっている」

 

 いったい誰がこんなことを言い出したのかは知ったことではない。


 分かっているのは、かの有名な「檸檬」の著者・梶井基次郎の短編小説がもととなっていることぐらいだ。


 この言葉を僕が知ってしまったのは小学生の頃だった。確か国語の時間に、骨みたいにやせ細った先生が、死にそうな顔で教えてくれた。


 その時はあまりの衝撃によって、頭の中にぐちゃと、手を突っ込まれたような感覚を味わった。


 その手は執拗に脳みそを刺激して、僕の中にその言葉を植え付けてしまった。


 そこからの人生は早いものだった。気がつけば、僕はいつの間にか子供でもなく、大人でもない中途半端な生物――大学生になっていた。


 あの言葉の真偽を確かめたい。そう思ったことは何度もあった。


 ただ、僕の中に残ったまともな「僕」がそれを許さない。彼は世の中のレールから外れることを極端に嫌ったのだ。


 転機となったのは大学に入って、3年が過ぎた頃だ。研究室配属によって、僕はある一人の女性と知り合った。


「大里美桜です。よく友達からはミオって呼ばれます」


「……三島、です」


 名乗る直前まで、喉の奥に別の言葉が引っかかっていた気がした。それが何だったのか、思い出せないまま、僕は名乗った。


 彼女を見た瞬間、僕の網膜が機能不良に陥ったのは、ひとえに彼女の美貌のせいだろう。


 大学に入ってから、ろくな美人を見た事がなかった僕は、その流れる水のような、生き生きとしすぎた黒髪に、どうしようもなく目を奪われた。


 ミオは春みたいに優しい雰囲気で、包み込むような暖かさを持つ女性だった。


 いつだったか、研究室終わりの帰り道、彼女と一緒に桜を見た。僕は木の根っこばかり見ていたから、花を見ていた彼女とは目が合わなかった。

 

「桜って綺麗だけど、すぐ散っちゃうよね」


 僕はどう返せばいいのか分からなかった。

 

 綺麗なら、それでいいじゃないか。散るかどうかなんて、見なければいい。


 あの時の言葉が、ずっと引っかかっていた。


 だから、もう一度ちゃんと桜を見せればいいと思った。


 夜なら、人も少ない。落ち着いて話もできる。余計な物にも、邪魔されない。


 僕はミオに、電話をかけた。


◇ ◇ ◇


 当日の夜。僕は手順通りに、ミオを助手席に座らせてエンジンをかけた。

 

 シフトレバーを「D」に、ガチャンと入れ、アクセルを踏む足にじわじわと力を込めていく。窓からの景色が流れていき、さらに車が速くなる。


 夜空に切り取られたみたいに白く浮かび上がるコンビニの前に、車を停める。

 

 エンジンを切ったのを確認した僕は急いで助手席まで回り込み、扉を開けた。ミオはぐっすり眠っているようで起きる気配はなかった。

 

 僕は心の中でやれやれとつぶやきながら、彼女をお姫様のように丁寧に抱きかかえる。

 

 ミオの赤色に染まったドレスが風になびく。


 彼女の花のような香水のいい匂いを鼻いっぱいに吸い込んで、僕は何だか幸せな気持ちに浸っていった。

 

 しばらくして目的を思い出した僕は、ゆっくりと公園の方へ歩き出した。


 入り口から公園の中に入ると一面に砂がまかれている。歩くたびに、ジャッ、ジャッ、ジャッ、という砂を潰しながら歩く音が響いた。

 

 昼間は大勢の子供たちが遊んでいただろう遊具たちは、すっかり暗闇に溶けてしまっていて、目を凝らしてもよく見えなかった。

 

 風が僕の頬を撫でて、短い髪も揺らしていく。その風はミオの長い髪もさらさらとなびかせた。

 

 僕はそんなことお構いなしに桜の樹へと進み始めた。朝まであまり時間がない。

 

 桜の花びらがひらひらと舞い、風と共に去っていく。その先には、僕たちが目指していた大きな一本の桜の樹が咲き誇っていた。

 

 周囲には、踏み場もないほどの花びらが落ちている。僕はその樹の偉大さに心を奪われ、しばらく目を離すことすらできなかった。


 ようやく我に返った僕は、抱きかかえていたミオをそっと地面に下した。

 

 今日の朝、木の影に隠していたスコップを手に取り、桜の樹の下を力いっぱい掘り始める。

 

 ザクッ、ザクッ、ザクッ、と土を一心不乱に掘る音が、静まり返った深夜の公園に響いていく。

 

 大粒の汗が、静かに僕の頬を伝う。

 

 だんだん木の根が顔を出してきて、掘るのが格段に難しくなってくる。

 

 僕は汗を拭いながら、必死に掘り続けた。


 どれだけ長い間掘っているのかも分からなくなってきた。

 

 穴の外では朝の光が宝石のようにキラキラと輝いている。

 

 その光を合図に僕は掘った穴から、一気に飛び出した。

 

 確認してみると、穴は人間が一人入っても余裕ができるほどには大きく、深いものだった。

 

 それなのに、死体は見つからないどころか、出てくる気配すらない。

 

 僕は嬉々としてミオのもとへ行き、笑顔でこう言った。


「良かったねミオ。……まだ死体が埋まっていなくて」


 ミオからの返答は何もない。


 氷のように冷たくなった彼女は放置された人形のように脱力していた。

 

 さながら死体のように青白い。

 

 赤く染まったドレスからは、錆びた鉄のような酷い匂いがした。


 あの日、君が僕のことを拒絶なんてしなければ、君はこうならなかったのに。


 僕は心の中でつぶやいた。

 

 あの日まで彼女は「僕」のことを愛していたように感じるし、……「俺」も彼女のことを心から愛していた。


「これで、君は「俺」のものになったね」


 そう言いながら、冷たいミオの死体を掘った穴の中へ勢い良く投げ捨てる。

 

 だらんとした身体は、思いのほかスムーズに穴に収まった。

 

 そのまま彼女の身体に、少しずつ土をかける。

 

 散った桜の花びらが混ざった土が、彼女の体を彩ってゆく。

 

 その光景は今までに見たどの絶景よりも、神秘的だった。

 

 やがてミオの顔以外全て埋めた辺りで、俺は手を止めた。


「さようなら、愛していたミオ」


 言い終わった後、彼女の冷たい唇に優しく口付けをする。

 

 きっと「俺」とミオの最後になるであろう口付けは、土の味がした。


 ミオを完全に埋めた後、一人で車に戻った「俺」は静かにつぶやいた。


「――桜の樹の下には、死体が埋まっている」

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桜の樹の下には、死体が埋まっている。 朝比奈爽士 @soshi33

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