5.
ぴっ、と。
そんな着信音からまた戦争が始まる。
そのときの僕は、土曜日の夜に、自宅でSNSで現在進行形でバズりかけている動画の話題を追って、タイミングを見計らって印象的なコメントを残す、という極めて非生産的な作業に没頭していたが、特に未練もなくその作業を中断した。
見ると、古井から直接にメッセージが来ていた。
内容は大規模な倫理攻撃を受けているとのこと。
「緊急事態だ! 至急!」
と、古井はメッセージで僕に対して告げていた。
なので、とりあえず、僕は着替えることにした。
僕はパジャマを脱いで「今季のトレンド!」「コスパ最高!」「みんなと差を付ける最先端のめちゃモテファッション!」とSNSで紹介されている、街を歩けば誰もが着ているような平凡な服装を身に着け、居間に揃っている家族に適当な理由を告げ、妹が「不良だ不良だー」などと絡んできたので適当にあしらってから外に出る。
シーズンが変わるごとに捨てて買い替える安物のスニーカーを履き、外に出る。
言繰と待ち合わせ場所で出会うと、なぜか言繰は馬鹿みたいにめっちゃ可愛い格好をしていた。可愛いというか、その、ちょっとアレというか、童貞とか殺す感じのワンピースだった。一瞬、アニメキャラのコスプレかと思った。でも靴が例の履き潰されたスニーカーだったので、たぶん違うのだろう。
「何その格好狙ってんの?」
「違う。普通の服」
「普通ってのはもっとみんなが着てるような格好を言うんだ。なんだよその色々見えてる服。ファッショナブル過ぎて逆にドン引かれるパターンだよそれ」
「私は気に入ってるからいいの!」
「さいで」
まあ言繰の場合そんなに痛々しくは見えない。むしろ普通に可愛い。美少女め。
「というかなんでそんな格好」
「今日買ったばかりで……嬉しくて家で着てたときに電話が来て……」
「着替えてこいよ」
「だって緊急事態でしょ!」
「僕は着替えた後で妹と遊んできたけど」
「くそ野郎」
理不尽な言繰の罵倒をスルーしつつ、僕は携帯端末で展開している戦闘アカウントの状態を確認する。
戦況はあまりよろしいとは言えない。
攻撃に使っていた「天使」アカウントたちはデマ情報に引っ掛けられて、晒されて八つ裂きにされた上で火炙りにされているところだった。もうアカウント消去するしかない。あとできっと〈Nシステム〉のブリーダーから文句を言われる。古井が。
まだ生き残っている「悪魔」アカウントにも片っ端から火を付けさせているが、見事に消火されていた。おそらく、相当腕の良い倫理作戦員が敵側にいる。
「暇人め。もっと他にやることないのか」
「ブーメラン……」
「ここはお前の出番だぞ言繰。やれ」
「えっ、待ってちょっと考えさせて」
早くして欲しい。
すでに「悪魔」アカウントたちが敵のSNS攻撃に捕捉され始めているし、この相手の技量を考えると、バックアップをさせている支援アカウントすら危うい。焦ったらしい古井から送られてきた「何やってんだおい早く何とかしろ」メッセージに対して「話は後で」とメッセージを送って後はスルー。
さらにはヒナさんから送られてきた「今度のデートっていつにするー?」というメッセージに対して「今度の土曜日は空いてる?」「ごめん~サークル~」「えー、俺とサークルどっちが大切なんだよー。もー」「あ~ん、好きだから怒らないで~」「どれぐらい好き?」「好き好き好き好き好き好き好き好き~!!!!」「愛してます! 付き合ってください!」「もう付き合ってるじゃ~んっ!」などとメッセージを送りあっておくがこれは必要最低限な会話であって別に仕事中にプライベート持ち込んでいるわけではない。
SNS上で敵の倫理作戦員とコメントの刃で切り結ぶ――あっ。
「悪魔」アカウントが敵の倫理作戦員の放った聖言にがっしと捕まった。神の裁きでございとばかりに、容赦なく一般人によって悪魔狩りされ、ざっくざくなます切りにされていくアカウント。
「言繰ぃっ!」
「待って今ちょっと推敲してるから!」
SNSで推敲とかすんじゃねえ小説書いてるわけじゃねえんだぞ馬鹿、という言葉を僕は飲み込み、支援アカウントで最後の抵抗を試みるが所詮は中立型のアカウントなので大きなことは言えない。
古井からの「やばいやばいもう無理ぽ」というメッセージを既読スルーし、ヒナさんからの「ちなみに今おねーさんお風呂で~す。興奮する~?」というメッセージに対して「めっちゃする」「素直でよろしい」「んじゃ、とりあえず今すぐ自撮り画像をですね」「素直でもえっちなのはダメで~すっ!」とやり取りをするがもちろん余裕とか全然まったくこれっぽっちもない。
そして、ようやく――
「できた!」
「よし、投稿しろ!」
「あ、でも、待って、心の準備が――」
「投稿しろぉっ!」
僕の叫びに背中を押されて言繰が携帯端末を操作してメッセージを投稿した。
そのまましばし反応を待つ――無反応。
「さすがにフォロワー数現在一桁はダテじゃないな」
「うるさい黙れ!」
実は気にしているらしい言繰はしばらく画面を食い入るように見つめて、
「あ! いいね付いた! 1つ! やったやったあっ!」
「そうか……良かったな……」
と、僕は友人に生暖かい視線を送りつつ、こっそり自分のアカウントを操作して友人のアカウントに「いいね!」を付けてやったことは、黙っておくことにした。
「おめでとう。僕も嬉しいよ」
拍手してやると「えへへ……」とめっちゃ可愛い顔で笑う友人。哀れな奴だった。
とぷんっ、と。
哀れな友人の言葉はSNSの海の中へ沈み、そのまま見事に飲み込まれていった。
誰の注目も浴びることないまま他のコメントの波に消えた。よくあることだった。
読まれないコメントには、何の価値もない。
言繰にはそれがよく理解できていないのだ。
こいつは本当に人とのコミュニケーションが苦手なんだな、と僕はその度に思う。
人とのコミュニケーションは。
対人コミュニーケーションは。
ぶるりっ、と。
直後、言繰の言葉を飲み込んだSNSの海が震えて痙攣する――具体的な何かとしてそれが見えるわけじゃない。でも間違いなくそれは起こっている。始まっている。
僕は僕が大好きな古いSF小説のことを思い出す。
世界が終わってしまうところが最高に素敵な物語。
その世界を終わらせる原因を作った、その代物を。
それを放り込むだけで海だって凍り付いてしまう。
全てをそれと同じに作り変えてしまう九番目の氷。
もちろん、誰もそうとは気づいていない。言繰の言葉に「いいね!」は付かない。フォロワーも増えない。それでも、SNSの海に投げ込まれた言繰の言葉は、たぶん誰かの目には触れるのだろう。もちろん、その誰かはそれを軽やかにスルーする。でも、その言葉はその誰かの言葉に影響を与える。その影響が広がる。広がって、広がって――
僕の貸与されているインフルエンサー・アカウント全て。
それらが、全く同時に全く同じのコメントを受け取った。
それはインフルエンサーとしては無視できない類の、少し古めかしい言葉で言うなら「バズった」何かとしてやってきた。何らかの反応しなければインフルエンサーとしては「あいつは遅れてる」扱いされるような代物。
そしてその内容は信じられないことに言繰のコメントと一言一句全く同じだった。
それぞれのコメントの発信者はまるで違う不特定多数の誰かであるにも関わらず。
言繰自身のアカウントには、何のフォロワーも「いいね!」も付いていないのに。
倫理的戦略兵器。
言繰のことを、〈Nシステム〉は、そんな風なものとして位置付けている。
言繰のコメントはSNS全体に影響を与える――一つ残らず、その全てが。
彼女の上げたコメントも、彼女が上げた景色も、彼女が上げた動画も、彼女が「いいね!」を付けたコメントも、全てが最終的にインフルエンサー・アカウントが取り上げざるを得ないような「今話題の」何かしらとなって波及する。
例えば、この間、彼女が感想を上げていた本は、そのしばらく後にSNSでインフルエンサーたちがこぞって読んだり読まなかったりして「エモ過ぎる」とか「今まで読んだ中で最高の本」だとか「埋もれていた傑作」だとかコメントをする話題作となっていた。数週間後には、テレビにも取り上げられた。今や異例の大ヒット作だ。
それが一体何なのか。
『対社会コミュニケーション能力』
最初に出会ったときに、古井はそう説明した。
『コミュニケーション、と一口に言っても、実際は様々だ。人と楽しく話すことがコミュニケーションだって考え方もある。人に理解されるように話すことがコミュニケーションだって考え方もあれば、コミュニケーションには言葉すら要らないって考え方もある』
そうだな、と古井は続けた。
『例えば、友達と楽しくおしゃべりしていとするだろう。その友達たちとの間のコミュニケーションは上手く行っている、と言える。だが、そこが電車だとすると、電車内で騒がしくしているということは電車内でのコミュニケーションを間違っている、とも言える。そしてそれを動画で取られたりするともっとコミュニケーションが間違っているってことになる。
それが対社会コミュニケーション。対人コミュニケーションがどれだけ上手くても、今の時代、対社会コミュニケーション能力が高くなければ生きていけない。でも意外とそういう奴は多い。特に、この「倫理戦争」以前の常識から抜け出せない年寄りのお偉いさんにはな。おかげで俺たちは大忙しさ。
でも、それなら――それなら、その逆もいるかもしれないわけだ。対人相手じゃろくに喋れないのに、社会相手だとぶち抜けたコミュニケーション能力を持っている奴。例えば「例の事件」――最初の書き込みをした奴はどこにでもいるコミュ障の引きこもりだったが、そいつの書いたデマが蝶々の羽ばたきみたいに波及して――バタフライ・エフェクトの説明は、たぶん、今時のガキにゃいらねえよな?――その結果、どこにでもいる本当に平凡な人間たちが「善意の」殺人者になって、虐殺行為に加担することになった。俺はな、あのデマを流した引きこもりは、社会的に対するコミュニケーション能力は高かったんじゃねえかと思ってんだよ。ただ、それが最悪の形で発揮されちまった、ってだけでな。そして、あの美少女もそんな一人だ――たぶんその中でも飛びぬけてぶち抜けてる、天才。
天才過ぎて、誰にも理解できない類の――俺たち〈Nシステム〉の権限で手に入れたSNSの履歴データを、ウチのスパコンと最新鋭のAI解析とに掛けてようやく見つけられるくらいの、SNSの怪物である『倫理』すら思いのままにできる天才』
長々と語ってから、つまりは、と古井はこう話を締めくくった。
『この倫理戦争における、究極の兵器だ』
一体どんな意図があるのか、言繰の「ついで」で〈Nシステム〉に僕を「協力者」としてスカウトし、言繰の仕事上の相棒として任命したとき、古井が言ったそれらの言葉。聞かされた僕はこう思った。
馬鹿が。
そんなことは僕はとっくに知っている。
ご自慢のAIとやらよりもずっと先に。
僕は見つけた。
世界で最初に。
言繰を。
あの美少女を。
僕が見つけた。
暴れまわっていた「倫理」が突如としてその動きを止めて方向転換する。
相手の倫理工作員は、今、何が起こっているのかわからないに違いない。
それは僕も同じだ。
ただ単に、その理由だけを僕は知っている。
僕たちのような普通の倫理工作員が、複数のインフルエンサー・アカウントを使って、大量の言葉の弾丸を撃ち込んで戦っていたSNSの戦場――それが、言繰の言葉によって発生した一撃で、跡形もなく消し飛ばされたのだ。銃火器だの戦車だの艦船だの戦闘機だの誘導弾でちまちま撃ち合ってるところに、衛星軌道上から無数の戦略爆弾をぶちこまれたような――それどころか、地球の環境そのものを根こそぎにされたようなもの。
ただ、言繰という美少女を僕は知っている。
「いいね!」の言葉一つでよろんで、フォロワーが一人増えただけでにやにやしているような――でもその実、コメント一つで世界がコントロールできない「倫理」を容易く動かして、あの物語の九番目の氷が海だって凍らせたように、SNSの大海を自分の言葉で塗り替え続けている美少女のことを。
だから理由は知っていて、でも、知っていても抗うことはできない。
巻き起こる変化の衝撃で、僕と相手のアカウントが、諸共に消し飛ばされていく。
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