3.

 僕は、他人とのコミュニケーションが得意らしい。

 言繰には鼻で笑われるが自分ではそう思っている。


 だから昔の僕はその能力を最大限利用して、学校中の人間に僕を友達だと錯覚させてみたり、クラスカーストを月一で入れ替えてみたり、クラスメイトの気に食わない奴がいじめられるように誘導したり、それを止めるどころかいじめに加担してエスカレートさせてくれやがった使えない担任の代わりに、いじめ問題を解決してやったりして遊んできた。


 過去の話だ。

 そんな危険なことは、今はしていない。


 今の僕はクラスカーストの真ん中ら辺にいるごく普通の男子高校生として生きている。似たような友人(と向こうには思わせている)二人と「モテたいのにモテない! ちくしょう!」みたいな馬鹿な会話ばかりしていて、「三馬鹿」と呼ばれてクラスの連中には揶揄われている。


 そういう立ち位置で、だから成績は上位十位「以外」をキープしている。


 ちなみに、僕の認識は「人とのコミュニケーションが得意=自分に何らかの意図があったとき、その意図を何らかの形にし何らかの手段で他者に伝えることで、その意図の通りに他者を動かせる」なのだが、たぶん倫理的にアウトな考えなので言繰以外に話したことはない。ちなみに、言繰の感想は「よくわからないけど、あんたが最低なことだけは分かった」だった。


 だから。

 今、ヒナさんと彼女の部屋で一緒にいるのもそのおかげだ。


「君はさ」


 僕に対して、ヒナさんはちょっとアレなことをした後で言う。


「私のどこが好き?」


 あまりされたことがない質問だった。たぶん初めてだ。


 そういう面倒くせえ質問をするところは嫌いだよ、と僕は心の中で背後の相手を罵ったが、それだと質問の答えにはなっていない。聞かれているのは好きな部分だ。それでも会話は一応成立するところが、コミュニケーションの面白いところで、困難なところだ。


 とりあえず僕は冗談で誤魔化すことにした。


「胸」

「えっち」

「そりゃ俺だって男だしさ」

「それはちゃんと知ってる」

「逆に聞くけどさ」


 僕はヒナさんに尋ねる。


「ヒナさんは、俺のどんなとこが好き?」

「可愛いとこかな」


 即答だった。


「えー、せめてそこは、格好良いって言ってもらいたかったなあ」

「もー、そーゆーことは、ちゃんと大人になってから言いなさい」

「大人ですって。ヒナさんのおかげで大人の階段上りましたって」

「生意気言ってー」


 こつん、と僕の額に自分の額をぶつけて、それからヒナさんはじっと僕を見た。

 何だか、今にも泣きそうな目だった。

 僕は少し思い出す。


 図書館で声を掛けたときのヒナさん。一番覚えているのは、そのとき彼女が読んでいた本。古いSF小説。僕が大好きな小説だった。翻訳された牧歌的なタイトル(それは実のところ街一つ消し炭にする爆弾の名前なのだけれど)とユーモラスな表紙、そのくせ世界が凍り付いて滅んでしまう内容の、とってもとっても素敵な物語。そのときのその本を読んでいた彼女も、こんな目をしていた。


 楽勝だ、と思った。

 実際に楽勝だった。


 ヒナさんはそのまま何も言わず、「私、ちょっとシャワー浴びてくるね」と言って風呂場へと向かう。理由はよくわからないが何となく僕はそわそわする。


「んー? 恥ずかしがってるー?」


 気づきやがった、と僕は心の中で舌打ちする。目聡い女だ。


「ヒナさんの裸を想像してますね」

「初心だねー」


 と、ヒナさんは笑って、それから言った。


「やっぱり君は可愛いなあ」


 そりゃそう思わせてるからな、と僕は思った。

 もちろんこれは倫理的にどうこう以前に、法的にアウトな状況だ。

 さすがに子どもができるようなヘマはしてないが、ちょっとアレなこともばっちりしているので言い逃れは難しい。

 ただ、露呈してもアウトなのはヒナさんの方であって僕ではない。

 法的には、僕はただの被害者だ。

 最悪の場合でも。


 倫理的には、どうなるだろう?


 大人しそうな女子大生が裏では初心な男子中学生を誑かしていた。

 きっと「倫理」はそう考える。

 だって、そっちの方が分かりやすいから。しかもけっこう面白い。

 馬鹿な連中が妄想してそうな話。

 学校や家では地味で普通な男子が、裏で女子大生を誑かしていた。

 きっと「倫理」はそう考えない。

 だって、それはちょっと意味不明だから。そして少し気味が悪い。

 普通よりちょっとだけ異常な話。

 そういうちょっとだけ異常な話を「倫理」はなかったことにする。


 異常な人間が異常なことをすれば、それはごく普通で単純な話だし、正常な人間が異常なことをしても「異常なことをしているならそれは異常な人間だろう」と素朴に「倫理」は考え攻撃する――でも異常な人間が、ごく普通に平凡にそれなりに楽しく生きているという、ほんのちょっとだけ異常な話を「倫理」はたぶん認めない。


 その考えは「倫理」的にアウトだ。

 そんな気持ちの悪い話があってはならない――異常者は、異常であるべきだ。

 だから僕は「倫理」的には正常だ。

 普通に正常に生きているならば、それは異常者ではなくて正常者なのだから。

 異常者だと、ばれさえしなければ。


 ヒナさんがシャワーを浴びる音が聞きながら、それでも厄介なことにはなるだろうな、と僕は思う。事件の被害者に対しても「倫理」は時々牙を剥く。僕自身が異常か正常はあまり関係なく、ただ単純で分かりやすい理由がそこに付くなら、そりゃもう幾らでも。


 戦争初期の混沌が過ぎ、ある程度の秩序が生まれた今でも、僕たちを静かに取り巻いていて、何かの拍子にその銃口を向けるかもしれない倫理の戦場。それは、世界中の国々がありとあらゆる手段で必至にコントロールしようとして、それでもコントロールできずに何かの拍子に暴れ出す怪物だ。


 けれども、その初期の混沌からして「倫理」という名前のその怪物が標的としてきたのは、ごくごく分かりやすく単純な標的だ。倫理の戦場を構成している世界中の人々や社会――その中でも多数派である「普通」の人々の意見によって作り出される、分かりやすく単純な標的。「倫理」はそれを攻撃する。例えそれが、ちょっと詳しく裏を取ったり、ちょっと深く考えれば簡単に分かるような誤解だったとしても、あるいはその背景に複雑な事情を持っていたりしても、そんな小難しいことは「倫理」には分からない。「普通」の人間はそんなことは考えたりしないから。もし標的を八つ裂きにした後でそれが誤解だったとすれば、今度はその誤解を作った相手を標的として食い殺すだけだ。


 なんせ「倫理」は馬鹿だ。反省なんてしない。

 そして、「倫理」は「倫理」自身を裁かない。


「ねーねー!」


 と、脱衣所から顔だけを突き出してヒナさんが言ってくる。


「一緒に入らないー?」

「遠慮しておきます」


 と、僕は答える。


「なんでー?」

「俺は」


 と、僕は少しだけ言い訳を考えようとして、やめた。


「色々と小難しいことを考えて行動する人間なんすよ」


 それこそ「倫理」とは違って。

 普通の正常な人間とは違って。


「君って真面目だよね」


 と、ヒナさんは楽しそうに笑いながら脱衣所へ戻っていく。

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