倫理の戦場。
高橋てるひと
1.
僕たちは今日も「倫理」と戦っている。
違う。何かの比喩じゃない。
これは正真正銘の、僕たち戦争の話だ。
ぴぃーっ、と。
ただの通知音一つでその戦争は始まる。
例えばそれは、洒落た喫茶店での女性とのデート中に。
「んん?」
不思議そうな顔で僕は携帯端末を確認。もちろん、本当はすでに分かっている。
そいつは、戦闘開始を告げる着信音だ。Nシステム製のアプリが鳴らす着信音。
問題は今、女性とデート中だってこと。
「――どしたの?」
「や。別に全然何でもないですヒナさん」
意識して、誤魔化しているような早口で言った。
「全然まったく、これっぽっちも大丈夫。ほんっっとにどうでもいいことだから。
ヒナさんとのデートの方が大事だって」
「こら」
ヒナさんは予想通り僕をしかってくる。
色々と素敵な胸の前で腕を組んでみせ。
への字に唇を一生懸命にぎゅっと曲げ。
頑張っても吊り上がらないハの字の眉。
「誤魔化さない。ちゃんと白状しなさい」
全然、これっぽっちもおっかなくない。むしろ超可愛い。ただ単に可愛いだけ。
本当にこいつ大学生なのか大丈夫かよ。到底社会に出て平気な人間に見えない。
年上の恋人に対して、僕はそんな感想を抱く。
それから如何にも渋々といったように。彼女に白状する、振りをして嘘を吐く。
「塾の模試の返却日だったのを忘れてて。で、まあその……取りに来いって……」
「もおー、ちゃんと行きなさい。受験生」
「えー」
受験生。うん、まあ、その通りである。十五歳。中学三年生。つまり未成年だ。
言われずともちゃんと行った。午前中。結果も当然第一志望。楽勝で合格圏内。
けれど言わない。僕は単にごねてみる。
「……久しぶりに会えたわけですし」
「だーめ。今日のデートはここまで。そもおねーさんはこれからバイトなのです」
僕はぐずぐず言ってから諦めたように。
「……その……ごめんなさい。ヒナさん」
と、僕はしおらしい顔を作って告げる。
「しょうがないよ。だって受験生だもん」
そう僕に言うヒナさんは優しい。
僕としてはさっさと出ていきたい。が、未練たらたらといった感じで席を立つ。
僕に対しヒナさんはボディランゲージ。似合わないが、超可愛いガッツポーズ。
「――頑張れ、受験生」
笑顔でガッツポーズを返して店を出た。
ヒナさんは良い人で、つまりは馬鹿だ。おまけに可愛いし胸だって素敵である。
遊びで付き合う相手として都合が良い。
しばし歩き、ガードレールに腰を下ろす。携帯端末に目を向けて、時間を確認。
通知を受けてから掛かった時間は5分。大分掛かったがまあこんなもんだろう。
戦争においては1秒も無駄にできない。それが一応理想だ。それは僕も分かる。
が、戦争が理想通りに行くわけがない。
本当に理想通りに行くのであるならば。そもそもそれ以前に戦争なんてしない。
理想通りに行かないから、戦争をする。そういうものだろうと僕は思っている。
僕は、僕の戦場へと向かうことにする。
通知を出していた、汎用アプリを起動。Nシステム謹製の高性能な汎用アプリ。
機能を詰め込めるだけ詰め込んだそれ。
ぶっちゃけると、クソ過ぎるアプリだ。
動作が重く、使いにくく、バグも多め。
機密性は高いそうだが信用はできない。絶対に大量の脆弱性が残ってると思う。
まあいい。送られたメッセージを読む。長文だった。速読。すぐに読み終わる。
即座に友人兼仕事仲間へとメッセージ。コンマ一秒でほとんど即座に付く既読。
返事は待たない。
こいつは既読が付くのは早いのに「わかった」と打つのに30分掛かるのだ。
だから返事は要らない、と言い聞かせてある。
というわけで30分後。
集合場所のコンビニ前に辿り着くと、相手はすでに待っている。
だぼっとしたパーカーと、加工ではなく色の褪せたジーンズと、薄汚れたスニーカーといった格好。
倫理的に言葉を選べば、飾らない格好――倫理を無視して言わせてもらえば、ちょっとコンビニに唐揚げ買いに行くときの男子みたいな格好だ。ただし、パーカーにアニメの美少女キャラがでっかく描かれていなければ。それでもまあ男子なら問題ないのかもしれないが、友人兼仕事仲間は女子なのでちょっと問題がある。
とはいえ、男子に間違われることはない。
何たって髪が馬鹿みたいに長く、綺麗だ。
とんでもなく、さらっさらの黒髪である。
おまけに友人兼仕事仲間はそんな格好なのに可愛く見える。めっちゃ可愛い。
何で、という疑問に対する答えは単純だ。
美少女だから。
身も蓋もないその一言で全て解決できる。
言繰ツグミ、というのがその美少女の名前だ。
ちなみに美少女にもいろいろなタイプがいると思うが、言繰はどちらかと言うとインドア派な美少女である。色白で儚げ。少し激しい運動とかしたらすぐ死にそう。
しかし今、言繰はそんなイメージをぶっちぎって、全力疾走して駆けつけてきたかのように、ぜいぜい、と息を切らしている。
というか、たぶんしてきたんだろう。全力疾走。
何もそこまで頑張らなくても、と携帯端末を操作しつつ、ごく普通の速度で歩いてきた僕は思う。言繰はそんな僕を見て睨む。
「……遅い」
「悪い悪い」
僕は無表情に言う。笑顔とか浮かべてたらぶん殴られそうだったし、言屋には笑顔を浮かべてもあまり意味はない。僕的には、意味がないなら、笑顔なんてしんどいものをいちいち浮かべたくない。
「誠意が感じられない……」
「誠意を見せれば許すか?」
「ぶん殴る」
「だろうな」
馬鹿な話は終わりにし、仕事の話に移る。
「それで、状況はわかってるのか?」
「偉い人が不倫して、その尻ぬぐい」
「そうそう」
僕は、まず頭のリソースを二つに割った。
半分を携帯端末の操作に使って、残りの半分で言屋と話をする。
「SNS上で、いつも通りにデマゴギー散布からのモラル攻撃が行われて、対倫理防壁でしのぎ切ったなと思ったところで、埃が出てきて引火してどかん。大炎上」
「嘘から出た真だ」
「そうそう」
「焼き捨てていいの?」
「うん。だから今回の僕らの仕事は、間抜け一人に責任を丸ごと擦り付けて延焼を防ぐだけ――たぶん僕だけで十分だけど、一応、お前も用意しとけよ」
「戦況は?」
「優勢だ」
僕は言いながら、アプリを通して起動している一〇の各種SNSアカウントの操作を続行する。どのアカウントのフォロワー数も、凄まじい桁数――所謂、インフルエンサー・クラスのアカウントだ。
もちろん僕自身のアカウントではない。
〈Nシステム〉から貸与された戦闘用アカウントだ。
単純な不正操作によって一朝一夕で作られる張りぼてとは異なり、アカウント・ブリーダーたちによって手塩に掛けて育て上げられた「生きている」アカウントたち。
今、主に操作しているのは二種。
二種とも、攻撃型アカウントだ。
一種は、悪意と毒舌を振り巻き何もかもを炎上させるための「悪魔」アカウント。
一種は、正義と善意を掲げ罪人に社会的制裁を加えるための「天使」アカウント。
僕は「悪魔」たちを使い、すでにSNS上で炎上し始めていたこの事件に、大量のガソリンをぶちまけて着火。たちまちの内に盛大に燃え上がる。
ただし、こちらの都合の良い導線に沿って、ガソリンはぶちまけられている。
その誘導した方向に沿わせるように「天使」アカウントにラッパを吹かせる。
その辺のアカウントのラッパなら、ただ鳴って終わりだ。
だが、インフルエンサー・クラスのラッパはある種の流れを呼び込む――その流れに沿って、SNS上で大量の「いいね!」の叫びが上がる。後は、どこにでもいる普通のユーザーたちが、悪を滅ぼせ、と立ち上がり即席の軍勢となってSNSの戦場を勝手に駆け抜けてくれる。ちょろいもんである。
悪意と善意の合わせ技。
焼き捨てにおいても使えるし、当然、攻撃のときにも使える僕の得意技だ。
善意と正義の十字軍に八つ裂きにされていく切り捨てられたお偉いさんを見つめながら、僕は穏当で中立的な発言を繰り返す支援アカウントたちで比較的冷静なユーザーたちの意見を調査――うん、なかなか悪くない方向性に持っていけている。
この分だと言繰の出番はなさそうだった。
「あんたって」
その状況を横から見ていた言繰が僕に告げる。
「最低だよね」
「今更過ぎる」
と、僕は彼女の言葉に答える。
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