祓い。
「止めはよろしく」とそう言った纒の左手にはいつの間にか三枚の札、霊符がある。
まだなぎさが持つことを許されていないそれは、扱いが難しいものの、『堕神屋』や『祓魔師』などといった霊力を扱う者たちにとっては神に清められた得物の次に頼れて、最も汎用性の高いアイテムだ。
どういう仕組みなのかは後で聞いてやろうと心に決めて、なぎさはこれから始まるだろう戦闘に全神経を集中させる。
あの幼女の霊の一瞬の隙を衝いて最後の一撃を与えるために。
特に力を入れてないような立ち姿ではあったが、纒に隙は無かった。
そのことに気が付いているのか、少女の霊もなかなか動こうとはしない。
長く感じるが、実際はほんの少しであったのだろう膠着状態は、少女が再び腕を掲げたことで破られる。
しかし、今度は片手ではなく両手。右手は纒に、左手はなぎさにその照準を合わせている。
直撃すれば、全身を切り裂き荒れ狂う夜の海に突き落とされるだろう。そうなれば待っているのは他の犠牲者と変わらない死に様だけだ。
けれどなぎさは動じない。纒は「止めはよろしく」と言った。つまりそれ以外はやらなくて良いと。そして何より、その視界には纒の持っていた霊符のうちの一枚が地面に落ちていく様子がはっきりと見えている。
打ち出された烈風を纒は軽々と避け、けれどなぎさは動かない。
その死を告げる風が目前まで迫ったその時、突如なぎさの一歩前の地点の地面が盛り上がって強固な大地の壁になった。風に紛れた不可視の刃は突然出現した壁の表層を削るのみにとどまり、砂煙が舞う。
視界不良の中でも、少女の霊が動揺する気配をなぎさは正確に感じ取った。
巻き上がった砂煙と土壁でなぎさの姿を見失った少女の標的は自然と纒に向く。
そんなことは当に織り込み済みで、纒は断崖絶壁、そのぎりぎりを霊力によって強化した脚力で駆け抜ける。
みるみると縮まる距離。
しかし、少女は血の気の無いその腕で、その先に発生している暴風で、纒の唯一の進路となった崖の上を塞ぐように薙ぎ払う。
纒はたまらず空中に飛びあがった。
しかし、その先に退路はもうない。
薙ぎ払った流れをそのままに、烈風は纒を追って空を駆ける。
迫りくる死に、纒は残った二枚の霊符の内、一枚を投げつける。
霊符とぶつかった途端に広がるのは、砂煙。
溢れ出す砂煙が房総の夜の空を覆う。
姿を隠して躱す気か?
そう訝しんだ少女はすぐに嗤うことになる。
今宵は月夜だ。
例え、砂塵に隠れようともその
土の壁、そしてその裏のなぎさに向けていた左手を月明りによって浮かびあげられた纒に向ける。
人体を容易に切り裂く刃を孕んだ風が纒を直撃して、
その体を容易く砕いた。
???
そんなはずは無い。霊力の刃は人体を切り裂けはするものの、粉砕するほどの威力は有していない。
あり得ない光景に、一瞬、ほんの一瞬だけ少女の動きが鈍る。
故に、遅れた。それに気づくのが。そう砕けた人影の奥、みるみる内に大きくなるもう一つの人影。
砂煙を切り裂くようにして纒の姿が月明りに照らされる。
自らの落下の勢いのまま、少女を一太刀で斬り捨てようとするその姿が。
少女の反応は遅れたが、まだ致命的なほどではなかった。
神に祝われ怪異にとっては猛毒にも等しい霊力を宿した刀身を、少女は己の目と鼻の先で、両手を駆使した暴風で受け止める。
荒れ狂う刃が一瞬で纒に数えきれない程の切り傷を負わせる。
しかし、それは少女にとっても同じ事。霊力で形成されたものは、霊である少女にも等しくダメージを与える。
『KYAAAAAAAA』
人ならざる声をあげ、裂傷だらけになりながらも、少女は纒の一撃を弾き返す。
弾き飛ばされた纒の姿は、地に下りてきていた砂煙の向こうへ消えていった。立ち上がるような気配も感じられない。
危機を脱し、なぎさの強い霊力が未だに土煙と壁の向こうにあることを確認して、少女はもう死んでいる霊とは思えない安堵を感じた。
止めを刺そうと一歩踏み出して
『???』
視界が揺れるように崩れた。
反射した月光とそれ自体が発する青白い光が暗闇にひとつ、美しい弧を描いた。
それは少女の首を断つ、薙刀の一振り。
逆さになった視界で、少女はそこにいるはずのないなぎさの姿を確かに視認する。
そして意識が暗転した。
堕神屋(おちがみや) 千羽 一鷹 @senba14
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