第3話 きら、きら

 さすがにコンビニのベンチで歌い始めるわけにいかないと思って、僕たちは近くの公園に移動した。ちょうどいい木陰に花壇があったので、その縁石に座る。幸いにも他の人はいなかった。流石に他に人がいるのは、少し恥ずかしい。

「うわ。ギター初めて見た」

 ケースから取り出すと田熊は嬉しそうに覗き込んだ。初心者向けの安いアコースティックだけど、僕の宝物だ。軽くチューニングを確認するために爪弾くと弦の響きが楽器を通して広がる。「うわぁ」とさっきよりも嬉しそうな声。

 ちょっといい気分になって、簡単なコードを続けて鳴らす。そう言えば、僕は人前で弾くのは家族以外では初めてで、どうにも浮かれているようだ。

「すごく柔らかい音。弦の音ってなんか素敵だね」

 ギターは六弦あるけれども、コードを弾くときはいくつかの弦を同時に鳴らす。ピアノの和音と同じだ。この重なり合う音が僕は大好きだった。

 さて、何を歌おうかということになり、田熊は少し考えてから「童謡でどうかな」と提案した。合唱部でもケア施設の慰問などで歌う機会がそこそこあるらしい。手軽に弾けるしメロディや歌詞も頭に残ってるので、僕にとっても望むところだった。

 どんな童謡を弾こうかと考えたとき、さっきの彼女の瞳を思い出した。

「まずは『きらきら星』でいいかな?」

 田熊はふわりと立ち上がると、僕の方を向いて微笑んだ。ゆったりした立ち姿。すっと立っているだけでリラックスしているように見えるのに、急に彼女の周りの空気が少し張り詰めたようにも感じる。

 よし。僕はギターを構えてから息を一つ吐く。

 少しゆっくりしたテンポを意識しながらきらきら星の前奏を二小節入れる。ギターの和音が広がり、次いで彼女が歌い出した。

 そして、僕は第一声から目を見張った。

 表情はやわらかく、特に力を入れてるわけではない。声が特別に大きいということでもない。けれども彼女のからだ全体から、音があふれ出すようだった。僕は彼女に寄り添うように、そっとコードを鳴らす。

 たった十二小節の短い曲が終わって、静寂が戻ってくる。

 この胸の内から込み上げてくる感情はなんだろうか。僕らはお互いに目をあわせた。

「すごい、南くん」

「いや、田熊こそ。なんかびっくりした」

 そう、僕は驚いていた。

 こんなにも美しいきらきら星を聴いたのは初めてだった。彼女の声が綺麗というだけではない。自分のギターの音に他の人の声が乗っかるのが、こんなに気持ちよく感じるだなんて。

「ねえ、もう一回。今度は南くんも歌ってよ」

 田熊も少し興奮しているようだった。

 もう気恥ずかしさや、見栄のようなものはどこにもなかった。ただ、彼女とのこの時間を楽しもう。

「じゃあ行くぞ」

 先程と同じイントロ。ギターの柔らかな音色に、今度は二人の声が重なる。

 なんて気持ちがいいんだろう。そう思っていると、五小節目に彼女の声が僕と分かれた。

 主旋律よりも少し音程を下げたパートを歌う彼女の声と、僕の声が緩やかに溶け合う。さらにギターの和音の響きも重なって、音楽が僕らの周りの空気全体を包み込んでいるようだった。気温はまだ高いのに、僕たちの周りは少し涼やかで澄みきっているようにも思えた。

 木々も、花も、まだ明るい空もとてもきらきらしている。彼女の肩まで伸びた髪の隙間から光が揺れる。そして何よりも、彼女の瞳が喜びに満ちてきらめいていた。

 曲が終わり、微かに響く弦の音がそっと消えていく。

 静かな余韻とは反対に、僕は熱を感じていた。少し赤みがさした田熊の頬を見て、僕だけじゃないと知った。頭は冴えているのに、身体の内側からなにかが迫ってくるような熱さだった。

「もっと」

「うん、もっと歌おう」

 楽しくなった僕たちは、それから何曲も歌った。スマホで検索すると歌詞とコードがいくらでも出てくるので、童謡に限らず目につく曲を片っ端から弾いて歌う。こんなにもギターが、歌うのが楽しいと思ったことはなかった。

 やがて、流石に少し薄暗くなってきたと、どちらからともなく今日はこれで終わりという雰囲気になった。だけど、なんだかとても名残惜しいと僕は思った。なにか言わなければ。そう思って、言葉を探す。

「あの……」

「ねえ、呼び方、拓真でも良いかな? 私も美波って呼んで」

 すると彼女がまだ先程の熱を残し、上気したたままの表情で言った。僕はうなずく。僕の頬も、まだ熱く感じた。

「拓真」

「何? 美波」

 美波は僕の方をじっと見て笑顔になった。

 美波のことを名前で呼ぶのはとても自然な気がした。僕たちにとって、こっちが表。美波もそう思ったのだろうか。

「合唱部入ろうよ。もっと一緒に歌おうよ」

 先程の心地よい和声を思い出して、僕の胸に何かが灯った。

 もっと一緒に歌いたいと思った。もっと話してみたい。もっと美波の声を聞きたい。

 僕は、僕と同じなまえをもつ少女の瞳をじっと見て笑った。


 これが、僕と美波のはじまり。


 彼女の名前がキラキラするのは、それはもう少し先の話だ。


 完

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きら、きら 島本 葉 @shimapon

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