第5話  籠城

 城に戻ってからというもの、リーナは実にのんびりと過ごした。すぐ近くに敵が陣を構えているというのに、まるで何も起こっていない日常のようにしていた。


 朝日が昇れば目を覚まし、それから読書に勤しむか、兵士の詰め所を回って談笑し、籠城戦という状況下にあって平静さを皆に見せつけた。主人の豪胆ぶりに安堵してか、城兵は一人としてこの息苦しい状況にあって取り乱す者はなかった。


 ああも冷静なのは、きっと何かしらの秘策があるのだろう、誰しもがそう考えた。


 その中にあって、唯一の例外はジャゴンであった。場内でただ一人リーナの狂気に触れたため、どうにも落ち着かないのだ。迷いや恐れが心にこびりつき、兵士の前で平静を装うのに苦労したほどだ。


 そんな日が数日続き、とうとうしびれを切らした敵陣が動き始めた。リーナの口車にまんまと乗せられたレーザ公は怒り狂い、数十騎の部下と共に城門近くまでやって来た。


 そして、その一団の中には、縄で縛られたヴィランの姿も確認された。



「やい、この淫売めが! 私をたばかりおったな!」



 有らん限りの怒声が響き渡った。顔を真っ赤にして怒り狂ったレーザ公は、思い付くままにリーナに対しての罵詈雑言を捲し立て、さっさと城門を開くように叫んだ。


 一通り聞き終わってから、リーナは城壁に設けられた見張り櫓に姿を現し、公の姿を見下ろした。



「あらあら、レーザ公、お久しぶりでございます。ご機嫌はいかがでありましょうか?」



「お前の面を見て、急に悪くなったわ!」



「あら、そうでございますか。残念ですわ」



 こうしたふてぶてしい態度が、レーザ公の更なる怒りを買った。帯びていた剣を抜き、縛り上げていたヴィランの鼻先にそれを向けた。


 ヴィランは何がどうなっているのかが分からず、ただ泣き叫ぶだけだ。



「こいつがどうなってもいいのか!? 父親のところへ送り付けてやってもいいんだぞ! いいんだな、こ、殺すぞ!」



「声が震えてましてよ、レーザ公。我が夫も含め、数多の人々を殺しておきながら、子供一人殺すのを躊躇われますか?」



 リーナは大声で笑い飛ばし、そして、侮辱した。

 


「レーザ公、いいこと? あなたは毒薬と暴力を以て権力を手に入れたのですから、毒薬と暴力を以てそれを守らないといけませんわよ。あなたは寝首をかいた人間なのですから、同じく寝首をかかれる心配をしなくてはなりませんわよ。そうでなければ、今に全てを失いますわ」



 これでもかと言う程に相手を罵倒してから、リーナは側に控えていたジャゴンに合図を送った。


 それを受け、ジャゴンは数名の部下と共に、“それ”を前に押し出して、城壁の周りを取り囲む敵兵に見せつけた。


 車輪付きの台座に乗せられた大きな円筒形の物体、すなわち“大筒”である。



「な、しょ、正気か!?」



 レーザ公は戦慄した。大筒はまだ戦場でたまに見かける程度の真新しい兵器である。それがこんな田舎城に配備されているなど、予想の範囲外であった。しかも、二門も配備されていた。


 それ以上に驚愕したのは、目の前にいる女が、自身の息子に筒の先を向けていることであった。



「お、おい、こいつが見えないのか!? お前の息子だぞ! そんなものをぶっ放してみろ。お前の息子も一緒に吹き飛ぶぞ!」



「それがどうかなさいましたか?」



 リーナの口調は至って冷静。たとえ息子が吹き飛ぶことになろうとも、容赦なく砲弾を放ってきそうな雰囲気があった。


 慌てふためく眼下の敵を後目に、リーナはジャゴンに視線を向けた。ジャゴンは準備ができたことを手で知らせ、いつでも砲撃できることを伝えた。



「さて、こちらも準備が整いましたし、その醜い面を拝まなくていいように、一切合財を吹き飛ばして差し上げましょう」



「母上ぇ!」



 ヴィランはあらん限りの声で叫んだが、母には届いていなかった。というより、耳には入っていても、心には響いていなかった。


 何が何だか分からないうちに縛られ、引き立てられてみれば、今度は母親が砲口を向けてくる。狂気に満たされているこの空間が、誰も彼もに混乱を呼び込んだ。



「砲手、しっかり狙いなさい! 撃て!」



 リーナの合図とともに導火線に火が着けられ、そして、砲口から爆炎と砲弾が飛び出した。


 レーザ公には当たらなかったが、地面に命中した衝撃や爆音で馬が驚き、何人も暴れる馬を御しきれずに地面に投げ出された。


 レーザ公はどうにか馬を落ち着かせたが、焦りの色は隠しようがなかった。



「くそ、本気で撃ってきたぞ。貴様、正気か!?」



「どうでしょうか、私自身、自分が正気かどうか自信がございませんわね。砲手、もう一発、撃ち込んでやりなさい!」



 リーナの命に従い、もう一つの大砲が火を噴いた。今度はレーザ公の近くに命中し、側にいた騎兵と馬がグチャグチャの肉の塊と化した。


 血と肉片を浴びたレーザ公とその手勢は戦意を喪失し、大慌てで逃げ出した。



「ア~ッハッハッハッ! 見なさい、城兵の皆さん、敵が無様にも敗走していきますわよ! レーザ公もみっともないですわね!」



 リーナは腹を抱えて大笑いをし、まるで息子の事など頭にないかのような態度だ。


 一方、ジャゴンは逃げる敵兵の中に、縛られたままのヴィランの姿を確認し、ホッと胸を撫で下ろした。いくら主君の命とはいえ、主君の息子を砲撃で吹き飛ばすようなことはしたくなかったのだ。とにかく無事でよかった、そう安堵した。



「さて、これで今少しは時間を稼げましたか」



「はぁ?」



「ジャゴン、私が何の勝算や策もなしに、こんな狂人を“演じて”いるとでも思うてか?」



 リーナは呆けたジャゴンに歩み寄り、そして、ニヤリと笑った。



「援軍のない籠城戦に勝ち目なし。ならば、援軍を呼べばいいだけの事。あなたも、私が帰って来ると信じていたからこそ、門扉を閉ざして抵抗を続けていたのでしょう?」



「無論です。主よ、では、すでに援軍を呼ばれていたのですか?」



「ええ。夫の死を知った直後に、実家の方に早馬を走らせておきました。援軍の要請がそちらに届き、軍隊を編成して、さらにここまでの行軍となると、あと二、三日といったところでしょうか」



 すべては計算の上での行動。勝利を確信しているからこその余裕。ジャゴンは改めて主君の思慮深さに敬服した。



「あれだけ派手にやってやったのですから、もうレーザ公の目にはこの城の事しか頭にはないでしょう。優先度の低いこの城に固執し、大局を失う。無視して、他の要衝を押さえることに労力を割けばよろしいのにね。こちらはこのまま援軍の到着を待ち、城の内と外から相手を挟み込む。これですべてがひっくり返るわ」



「は、その通りです。……では、ヴィラン様の件も何かお考えあってのことで?」



「それは賭けになる」



 笑顔が崩れ、少し苦しそうになったのを、ジャゴンは見逃さなかった。



「賭け……、でございますか?」



「ええ、賭けよ。もし、あの子のことを第一に考えるのであれば、さっさと降伏していたでしょう。でも、それは嫌。あんな豚野郎に頭を垂れ、体を差し出して、それで得られるのは魂の尊厳を失った肉体と言う抜け殻のみ。そんなの生きているとは言わないでしょう? だから、レーザ公を破滅させることを決めたんですから」



 どう転んでもあいつは殺す、そうリーナは改めて宣言した。



「ああ、残念だわ。先程の砲弾がレーザ公に直撃していれば、混乱に乗じて城から撃って出て、ヴィランを取り戻せたでしょうに、さすがにそれは虫が良すぎましたわ」



「はい。これでは今度こそ、ヴィラン様は殺されてしまいます」 


 

「私は殺されないと踏んでいる。人質っていうのは、生かしてこそ価値が生まれるのですから。子供一人殺して状況が好転するでもなく、殺すかどうかで迷いが生じる。レーザ公は権勢欲で目が曇っていても、頭の方はまだ思慮と言う言葉が僅かに残っている。それに賭けるしかない」



 この期に及んで、敵方の思慮に期待するなど、策としては愚も愚であるが、他に手立てがなかったので、リーナはそれに賭けることにしたのだ。


 どちらが全てを失うのか、もう時間との勝負だ。レーザ公が激発する前に、援軍が到着してくれることを祈るしかなかった。



「相手が自棄を起こす前に決しますか。援軍が到着した直後、そこが唯一の機会。どさくさ紛れの奪還でございますな。とても正気の沙汰とは思えません」



「同感だわ。先程、私自身が口にしたけど、私が正気だという自信がないわ」



 リーナはどこか気落ちした声を漏らし、逃げるレーザ公と縛られた息子の背中をジッと見送った。



           ~ 第六話に続く ~

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