第2話 交渉
母子はそのまま屋敷に留め置かれ、その一室に軟禁された。昼夜を問わず見張りが付き、部屋を出ることが許されぬまま数日が過ぎた。
その間、リーナは小さな息子をしっかりと抱き、怖がる我が子を落ち着かせることに終始した。さも従順に、大人しく振る舞い、全てを失った哀れな未亡人としての姿を晒した。
そして、その部屋に一人の男が訪れた。リーナにとって、この世で一番顔を合わせたくもない相手、すなわち、レーザ公である。
夫を殺し、自分と息子にもこの仕打ちである。それを指図した目の前の男に、どうして会わねばならぬのかと内心では怒りに燃えていたが、そんな感情など毛先ほども見せず、あくまで従順に振舞った。
やりたくもないが、心の内を偽るために頭を下げ、息子にもそれに倣うように促した。
「これはこれは、レーザ公、よくぞおいでくださいました。このような散らかった場所でお出迎えせねばならぬのが、心苦しくて仕方がありませんわ。御足労願わずとも、お呼びしていただければ、こちらから参りましたのに」
リーナの態度はレーザ公の意表を突いた。一連の騒動などまるで他人事と言わんばかりの態度だ。
レーザ公はこの哀れな未亡人の態度に、いささか拍子抜けした思いであった。なにしろ、目の前の貴婦人の夫を殺すよう命じたのは、他でもない自分自身である。
そして、そのこともすでに承知のはずだ。有らん限りの罵声でこちらをなじって来るか、あるいは恐怖に打ち震えて無様を晒すか、どちらかだと考えていたのだ。
それだというのに、慇懃で従順な態度で出迎えられたのである。
「ん、あ、ああ、そうだな。それには及ばんよ。ハッハッハッ!」
レーザ公は少し慌てながらも尊大な態度で取り繕い、そして、大声で笑った。
リーナにとっては、その笑い声を耳にするだけでも怒りで発狂しそうであったが、それでも堪えた。あくまで、機を窺わねばならなかったからだ。
そして、そこからがレーザ公の独壇場であった。今回の騒動がいかに自分に正当性があるかを一方的に語り始めた。王という後ろ盾がるのをいいことにリオ伯がいかに専横を極め、諸侯の反発を買うような真似をしてきたかを得々と語り、自身にとって都合のいいことだけを述べた。
その言葉たるや、自己満足と自己弁護の融合物であり、ここまで醜悪な自己正当化の態度もないであろうと、リーナは怒りに打ち震えた。
(よくもまあ、これだけのことが言えるわね。蒙昧この上ない、豚野郎め……!)
とにかく、リーナは平静を装うのに必死であった。目の前の無礼極まる男に平手打ちの二、三発でもお見舞いしてやりたい気分であったが、そういうわけにもいかない。そんなことをすれば、自分も息子も刑場に引っ立てられ、命を散らすことは明白であったからだ。
だが、今はまだ大丈夫であった。リーナの心は激情よりも、理性の方が勝っている。軽はずみな行動は厳に慎んでいた。
「それで、レーザ公。わざわざこのようなむさくるしい場所へお越しになられたのは、何用があってのことでありましょうか?」
「おお、そうであったな。実はルリ城のことなのだ」
やはりそう来たか、リーナは内心で喝采を上げた。今、この瞬間こそ、策を実行に移し、反撃の一打を加えるべき“機”が訪れたのだと考えた。
ちなみに、ルリ城はリーナが保有する城だ。かなり辺鄙な場所にある城と領地であり、普段は代官にそこの管理を任せ、自分は息子と共に夫の持つモラ城で生活をしていたのだ。
「実はな、ルリ城が一向に開城しようとしないのだ。リーナ殿の身柄を押さえ、抵抗は無駄な努力だと何度も使者を出したのだが、まったく門を開く素振りを見せん。話し合いの場を設けることもできん。攻め取るにしても、あんな辺鄙な場所まで兵を動かすのも難儀でな」
隙が生じた、リーナはレーザ公の言葉を聞いてそう感じた。
レーザ公とて、国の全てを掌握できたわけではない。反対勢力もまだまだ存在する。それが田舎城一つに手こずったとあっては、反対派を勢いづかせることにもなりかねない。
ここに付け込まなくてはならないと、リーナは考えた。
「それで、私に開城を迫れというわけでしょうか?」
「そうだ。そもそも、あの城はあなたの城だろう? 城主の開城命令ならば拒めまい」
事も無げに言うレーザ公であったが、リーナの怒りはいよいよ頂点に達しようとしていた。
(夫を殺した上に、その妻である私に、此度の暴挙に与しろというのか、この男は!)
辺境の小城に手間取るのは問題であるが、すんなり開城できればその手際のよさを称されるだろう。国内の掌握も進むというものだ。
しかも、リオ伯の夫人がそれを成したとなれば、リオ伯の一派が与したと見られ、反対派の士気を挫く一助にもなろうというものだ。
二重三重の効果を狙った、実に嫌らしい手口であった。
もちろん、リーナはそんな企みに乗るつもりなどなかった。
だが、そうしないことには自分も息子も危うい立場になることを重々承知しているので、少なくとも表向きは従順に従っておかねばならなかった。
「留守を預かるのは、ジャゴンという代官でございます。彼はとても頑固者でして、何か起こった際には誰であろうと油断なく当たれ、と命じておりました」
「まあ、そうでしょうな。でなければ、留守を預ける訳には参りますまい。であるから、城の持ち主である、あなたに説得してほしいというわけです」
「分かりました。お引き受けいたします。ですが……」
逸らす視線の先には幼子が一人。これの処遇が決さぬことには、動くわけにはいかなかった。
「ああ、それならばご心配には及ばぬ。本来ならば……、そう、子供の鼻先に刃物でもちらつかせて、無理にでもご協力願うつもりでしたが、あなたが話の分かる方で良かったですよ。子供の安全は保証しましょう。あくまで、あなたの態度次第ではありますが」
レーザ公の視線がリーナの体をなぞった。
一児の母とはいえ、リーナの体は豊満なる乳房を持ち、程よい肉感を纏わせた、実に魅力的な肢体を備えていた。男であればしゃぶりつきたくなるほどの。
レーザ公もその例にもれず、目の前の美女を体を味わいつくそうと、邪な考えを抱いていた。無論、リーナはそれをすぐに理解し、吐き気を催した。
このままレーザ公の思惑通りに進めば、自分の身は夫殺しの男の妾となり、息子もどれほどの冷遇を受けるか分かったものではない。二人揃って苦渋に満ちた生活を強いられるだろう。
無論、そんなものを甘んじて受け入れるつもりはなかった。だからこそ、リーナはあらん限りの知恵を絞り、状況の打開を目論んだ。
「レーザ公、我らの身の安全を保証していただけるのでしたら、ご協力いたしましょう。私の領地も、亡き夫の領地も、あなた様の物でございます」
「よかろう。大人しく従う者に対して、無下に扱うつもりはない」
「では、手紙を書きますので、紙と筆をご用意ください」
レーザ公は頷いて応じ、部下に命じて紙と筆を用意させた。
リーナはレーザ公が身も見守る中、代官のジャゴンに対して開城するように促す文言を書き記した。
「これにて、いかがでありましょうか?」
「うむ、これでよい。二人の安全は保証いたすが、城が明け渡されるまでは、しばしこの場にてお待ちいただこう」
「致し方ございませんわね。自由な身に一日でも早くなれることを祈っておりますわ」
リーナの態度はどこまでもへりくだったものであった。レーザ公の自尊心を満足させるために、従順に頭を垂れた。
しかし、レーザ公は二人を自由にするつもりは初めからなかった。領地は奪うし、本来の相続人であるヴィランも時機を見て消すつもりでいた。
そして、目の前の美女を心ゆくまで貪り、辱め、蹂躙してやる心づもりでいた。
レーザ公のそんな考えなど、リーナは見抜いていたが、今はまだ動けないことも承知していた。機はまだだ。まずは動ける自由を得なくてはならない。書いた手紙もそのための布石だ。
そして、レーザ公は手紙を握り締め、意気揚々と部屋を出ていった。彼は気付かなかったが、リーナの下げた顔は歪んだ笑顔を浮かべていた。
~ 第三話に続く ~
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