第4話  帰城


 ルリ城は門扉を閉ざし、何人も近づけまいと立てこもっていた。そんな中に、城主であるリーナが姿を現したのだ。城兵はその姿を確認すると直ちに門を開き、主人の帰還を歓迎した。



「リーナ様、よくぞご無事で!」



 真っ先に声をかけて駆け寄ってきたのは、代官のジャゴンであった。それにつられて城兵らも歓声を上げ、城内の士気は否応もなく沸き上がった。リーナを取り囲み、口々に喜びようを伝えた。



「ジャゴンよ、よくぞ城を守り通した。もちろん、城兵の皆もですよ。事が落ち着きましたら、十分な恩賞を約束いたしましょう」



 リーナは留守を守り通した全員を労い、その功を讃え、賞することを宣言した。これによりさらに士気は高まり、歓声が場外まで飛び出すほどであった。


 事後策を検討したいからと、ジャゴンに人払いを命じ、二人で城内の一室に入った。飲み物と食事を用意させ、飢えと渇きをまず癒し、一息ついてからリーナはジャゴンに語り掛けた。



「まずは改めて礼を言うわ。本当のことを言うと、私の出した手紙で、あなたが開城してしまわないかと心配していたのですよ」



「滅相もございません。何があろうと門を開けるな、という命に従っただけでございます」



 ジャゴンは恐縮して頭を下げ、リーナはそれに対して笑顔で応じた。



「結構なことですわ。では、ジャゴン、改めて命じます。籠城します。徹底抗戦ですわよ」



「え?」



 主人からの意外な命令に、ジャゴンは目を丸くして驚いた。



「よ、よろしいのですか? それでは敵中にあるヴィラン様が危険ではありませんか?」



「あなたと兵士は、私の手足となって動いてくれればいいわ。何も考えてはいけない。とにかく、私の命に従いなさい」



 先程見せた笑顔から一転、その顔からは一切の表情が消えた。ただ口を動かし、命を伝えるだけ。それゆえに、ジャゴンは不気味に感じた。


 ジャゴンはリーナが嫁ぐ前からの従者であり、幼いころから側近くに仕えていた。「信頼できる者を少しくらいは連れていきたい」と輿入れの際に述べ、それにジャゴンを選んだ。


 ジャゴンはそれを最大の誉れと感じ、リーナに対してはいつでも命を投げ出す覚悟で仕え続けた。


 その功臣の労に報いるべく、代官に任じて領地の一切を任せ、ジャゴンもまた主人の期待に応えるべく、身を粉にして働いた。


 そうした長い付き合いがあるだけに、今目の前にいる主人の変わりように、ジャゴンは怖く感じた。


 笑いもすれば、泣きもするし、とにかく感情をそのまま露わにするのが主人であり、それだけに無表情なリーナが不気味であったのだ。



「命令であれば従いますが、その、若様の身が心配で……」



「お黙り」



 静かだが、迫力のある声に、ジャゴンは無意識にビクついた。


 リーナは席を立つと、机を挟んだ反対側にいるジャゴンのすぐ横まで歩み寄った。


 そして、慌てて立ち上がったジャゴンに向かって右手の人差し指を突き出し、心臓の有る左胸に突き立てた。徐々に力が加えられ、その心臓を圧迫した。



「つい先程、言われた通りに動けばいいと申し付けたのに、もう命令違反かしら?」



「い、いえ、そういうつもりではございません」



 気圧されたジャゴンは無意識に足が後ろに下がり、リーナもそれに合わせて前に進み出た。そして、気が付けば背中に壁が当たり、もう下がれなくなった。



「り、リーナ様、本当にヴィラン様のことはよろしいのですか? 見殺しになりますぞ」



 どうにか震えながらも声を絞り出して尋ねたジャゴンであったが、途端に目の前の主人から怒りの感情が放たれた。胸に突き刺していた指は、今度はジャゴンの胸倉を掴み、怒りのままに睨みつけた。



「見殺し? ええ、そうなるでしょうね。でも、何の問題もないわ」



 今度は一転して、満面の笑みをリーナは浮かべた。喜びではない、狂気に満ちた笑みであると、ジャゴンは感じたが、あまりにころころ変わる主人の感情に付いていけず、何も声を発することができなかった。


 そして、リーナは自分を腹をさすり、平然と言い放った。


「だって、考えてごらんなさい。私が生きてさえいれば、私の子供はまた作れます。畑が無事なら、種さえまけば、実りは期待できるというもの。ええ、その通りだわ。後で子供くらい、いくらでも作ってあげるわよ」



 正気を失われたかとジャゴンは感じたが、リーナは至って冷静であった。机まで戻ると、先程の飲みかけであった葡萄酒ワインの注がれたグラスを手に取り、それをグイっと飲み干した。



「ジャゴン、三度は言うつもりがないから、今度こそよくお聞き。私に言われた通りに動きなさい。それが命令よ。意に反する行動は許しません」



「は、はい」



 ジャゴンは恭しく頭を下げ、主人の次なる命令を待った。


 だが、部屋に響き渡ったのは主人の声ではなく、ガラスの砕け散る音であった。リーナが手にしたグラスを床に叩きつけ、さらに空いた酒瓶を手に取って壁に向かって投げつけた。ジャゴンのすぐ横の壁に命中し、これまた粉々に砕け散った。


 ジャゴンは恐怖のあまり、頭を下げたまま震え、そして、恐る恐る顔を上げた。



「ジャゴン、お聞き! 私の望み、それはレーザ公の破滅!」



 リーナは再びジャゴンに歩み寄った。ジャリジャリというガラスの破片を踏みつける音が耳に刺さるたびに、ジャゴンの体から汗が噴き出した。



「そう、私の望みはレーザ公の破滅。私を破滅させたあいつを、今度は私が破滅させてあげるのよ。私は生き永らえた。命だけは残った。でも、私はあいつから何もかも奪ってやるわ。地位も、名誉も、財産も、そして、家族と自らの命も奪ってやるわ。そう決めたの」



「本気……、なのでございますね?」



「ええ、もちろん。それが成せるなら、他のことはどうでもいい」



 睨みつけてくる主人に対して、ジャゴンは首を縦に振る事しかできなかった。下手なことを口にしては、今度は自身の身が危うくなるのではと思ったからだ。


 従ってくれる部下の姿に満足したのか、リーナはまた表情を変え、笑顔を見せた。指をジャゴンの顔や首筋をなぞり、部下のビクつく反応を楽しんだ。


 ジャゴンにしてみれば、まるで毒蛇に体を這われているような感覚に襲われ、指一本すら動かせぬほどに恐怖に心を支配された。


 それを打ち消したのは、リーナの大きなあくびであった。



「あら、失礼。さすがに急ぎで馬を駆ってきたから、疲れてしまっていたみたいね」



「お、お部屋はすでに準備できておりますので、いつでもお休みになれます」



「手際の良さは相変わらずね。これからもよろしくお願いするわ」



 リーナはパチンと軽くジャゴンの頬を叩き、クルリと身を翻して、扉に向かって歩き始めた。



「お腹が空いたから、食事を摂った。眠たくなったから、寝台に向かった。ただそれだけ。後のことは任せたわ」



 手をヒラヒラさせながらそう言うと、リーナは部屋を出ていき、扉を閉めた。


 部屋に一人取り残されたジャゴンは、ようやく恐怖から解放されたのか、そのまましりもちを突き、そのまま座り込んで安どのため息を吐いた。


 だが、不意に扉が開き、ひょこっとリーナが顔を出した。ジャゴンはビクリと肩を震わせたが、リーナは気にもかけずに話しかけてきた。



「そうそう、言い忘れていたわ。ぐっすり寝たいから、敵襲でも起こさないでね。違反したら、命令違反の廉で斬首よ、斬首。レーザ公が現れたら呼びに来てね」



 そして、扉は再び閉じた。


 ああいう無邪気な態度は、少女時代の彼女を知るジャゴンを安堵させるが、その多感のままに復讐に燃える危うさも同時に感じた。


 ともあれ、命を投げ出して仕えると決めていた以上、自身の成すべきことはただ一つであると言い聞かせ、ジャゴンはゆっくりと立ち上がった。



              ~ 第五話に続く ~

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