第2話 初恋の行方

 次の日の早朝。怒りのパワーを自転車のペダルに込めて、いつもの緩やかな長い坂道を自転車で登る。


「ふん、むむむ―――……っ、ふうぅ、ふう、はぁ、はぁ……」


 あと200メートル。


「打倒! 1軍女子!! ふう、ふう……負けないっっ」


 ――残り100メートル。太ももの筋肉がプルプルして限界だけど、絶対に上り切るから……。


「――っ、やったー! 初めて坂を登り切った!」


 自転車から降りて乱れた呼吸を落ち着けると、なんだか今日は良い事が待っていそうな予感がする。


「吉永、おはよ」


 驚いて声の方を見ると、待ち伏せしていたかのように田中が立っていた。

 急に昨日のことが恥ずかしくなり俯いてしまう。

「――おはよう……」

 それにしても、田中って神出鬼没すぎやしないか。私の周りによく現れるんですけど。


「吉永、ここから学校まで5分だけ俺に頂戴?」


 唐突な申し出に思わず視線を合わせてしまった。


「これからの5分間は、吉永は俺の話を聞いているだけ。質問とか口を挟むのは無しだからな」


「ゲームなの?」


「そう思ってもいいよ」

 いたずらっぽい顔をする田中。

「よし、スタート!」


「えーと、まずは昨日の事は、改めてごめん」

「田中は悪くないよ」


「――ゴホン!」


 田中は喋るなと目で制する。

「鈴木には困ったところがあるけれど、悪気はないみたいだから許してやってくれ」


(それ、騙されてるよ……)

 喋れないから我慢して、心の中で反発する。


「俺は小学校の時、吉永が誰とでも明るく付き合っているのを見て、すごくいいなと思っていたんだ。困っているやつには手を貸してあげたり、優しいところも尊敬した」


(へぇー、そんな風に思っていてくれたんだ……)


「でも、俺は吉永と話すと緊張してしまって、いつも悪口ばかり言っていた」


(その通りです……)


「だって、吉永の可愛いおでこを見たらドキドキしちゃって――」


(おでこ?)


「小学校の頃一緒にウサギ小屋当番をやって、生き物係も一緒にできて本当に嬉しかった」


 徐々に田中の顔が赤くなってきた。


「吉永は、その、卵みたいで本当に可愛いと思う……」


(――あのぉ……、それって褒めてますかぁ……?)


「吉永、これからもよろしく頼む……」


「――よろしくって……、何を言いたいのかよく分からないよ。田中は取り巻きの女子が多いでしょう、私あんたと仲良くしたら迷惑する事もあるのよ」


 約束をやぶって口を出してしまった。


「ごめん、はっきり言うから、一回しか言わないから……」

 田中の慌てふためく様子に、急に私もドキドキしてきて次の言葉を待った。

 ――も、もしかして!?


「吉永のことが、ずっと好きです……」


 蚊の鳴くような小さな声だけど、確かに聞いた。

 5分前には全く予想できなかった展開に、私の鼓動は激しく飛び跳ねている。 

 真っ赤になって照れている田中に、私は好きと言ってくれたおでこを全開にして見せて、おどけながら笑顔で応えた。


「田中、私も好きです」

 

 新緑が清々しい5月。二人の鞄には、朝日を受けてキラキラと輝くお揃いのキーホルダーが静かに揺れている。ジンクスの達成は、私に両想いを運んできてくれた。


「田中、これからもよろしくお願いします」


 田中の目を見て、まっすぐに手を伸ばす。


「うん、吉永、よろしくな」


 田中が照れながらも交わした掌は、緊張しているのか汗ばんでいる。

 それが面白くてクスっと笑ったら、田中は頭を掻きながら更に真っ赤に上気した。


 ***


 6月に入った。

 6月は体育祭があり、私も何かの競技に参加しなければならない。運動があまり得意でないので悩んでいると、ツインテールを揺らしながら鈴木さんが声をかけてきた。うんざりした態度が表に出てしまったかもしれないけど、そんな私の様子をスルーして、鈴木さんはにこやかに笑っている。


「吉永さん、私と一緒に二人三脚に出ましょう」


「えっ、どうして私と」


「そんな、冷たいなぁ。前のことは私も反省しているから水に流してもらって、仲良くしましょう」


 屈託ない感じが憎めなくて、強引に押しきられそう。でも、田中も鈴木に悪気はなかったから許してやってくれって言っていたし、わざわざ誘ってくれたのだから正直、嫌な気はしない。


「うん、いいよ。よろしくお願いします」


「有り難う。体育祭が楽しみね」


 やけに上機嫌な鈴木さんが鼻についたけど、同じクラスだし仲良くできれば嬉しい。なんだか体育祭が楽しみになってきた。


 そんなこんなで、体育の授業も体育祭の練習一色になり、鈴木さんとの二人三脚はかなりいい具合にできる。身長が同じ位なのも好条件なのかもしれない。今日も5組10人で競争をして1位でゴールしたからスゴい。少し面倒なのは、一緒にいるとチョイチョイ鋭いことや、嫌み混じりの会話に付き合わなければならないこと。


「そう言えば、吉永さんは吹奏楽部だっけ? 朝練があるんでしょう?」


「うん、あるよ。サッカー部もあるんでしょう?」


「そうよ。まあ、田中くんから聞いているわよね、貴方達って朝から仲良く一緒に登校しているみたいだし、ね」


「そ、そんなことないよ。偶然一緒になることはあるけど」


「ふーーん、偶然ね。偶然に握手することもあるのね」


 ――握手か。一瞬ドキっとして、鈴木さんの顔色を伺っちゃった。

 もしかして、あの日のことを目撃されていたのかもと思うと無駄に心臓が走り出す。せっかく鈴木さんと仲良くなれたのに、かなり気まずい思いがする。しかも、鈴木さんは今でも田中のこと好きだよね……きっと。

 私の困惑した顔に反応して、鈴木さんは私の手を取った。


「ああ、誤解しないでね。私は、吉永さんのこと応援することにしたから。もう田中君のことを好きじゃないし」


「――う、ん……っ」

 ――本当に? って確認したかったけど、それを聞くのも何か変で言葉をのみ込んだ。



 そして、体育祭当日。今日はいかにも初夏らしく澄みわたる空で、気温は、初夏を通り過ぎて夏のように高い。

 クラス対抗なだけに、どのクラスもはりきって競技に参加している。優勝クラスには、各担任からご褒美が出るらしく、生徒は一丸となって勝ちを取りに行っている感じだ。

 田中は小学校のときから足が速くて、今日も当然リレーの選手に選抜されている。リレーは3組に一位を持っていかれそう。その分二人三脚は頑張らないと、ハチマキを結び直して気合を入れた。


「よう、吉永! この後のリレーの応援よろしくな」


「私は2組だから、2組を応援するもん。でも、田中は足が速いから大丈夫だと思うけど、まぁ、頑張ってね」


「卵ちゃんは、俺だけを応援すればいいから!」


 小学校のあだ名をまた出されて、ムカついてぷうぅと頬を膨らますと、田中は「アハハ!」と笑いながら手をヒラヒラ振って逃げて行った。


 リレーの競技が始まるとぶっちぎりで田中が独走になる。

 とにかく、めっちゃ早い!! 

 走っている最中に田中がチラリとこっちに視線を向けたから、私の周りの女子は黄色い歓声を上げた。


「私を見たよ」

「違う! 田中君は私の事を見たんだから」


 女子達がきゃあきゃあ盛り上がるなか、本当は私と田中の視線が絡んだことを皆に知られなくて良かったと安堵した。

 田中ってばどうして目立つようなことをするのか、半分は迷惑で、半分は嬉しいから心臓がトクンと跳ねたけど、照れ隠しからつい憎まれ口が出てしまう。

「ねぇ、うちのクラスのチームはビリだよ? 敵対するチームを応援するの?」


「寝言は言わないで! あんなカッコイイ田中君を応援しないで、誰を応援するの?」


 はい? 一瞬目が点になったけど、女子達の言うことは、分からなくはない。

 それにしても周りの歓声を聞く限り、田中の人気はもの凄い。

 ――そういえば、

 私と田中って、付き合っているのだろうかという疑問が浮かんだ。お互いの気持ちを伝えたけど、多分付き合ってはいないが正解だろう。だから、田中の視線を独占するのは他の女子に申し訳ないかもしれないと思った。


 プログラムの放送に合わせて、いよいよ二人三脚で私の出番だ。

 鈴木さんも張り切っているし、いつもの調子で走れば1位は間違いないはず。


 パンと乾いた空砲の合図で、一気に走り出す。


「いち、に、いち、に……」


 ――あれ、いつもと歩調が違うかも。

 ちらりと鈴木さんを見ると、めちゃくちゃ意地悪な視線を送られた。そして鈴木さんは突然スピードアップする。


「ちょ、鈴木さん、まって、速い!」


 ついて行くのが精一杯で、何とか必死に足を動かす。いつもより速いせいか、私達はぶっちぎりに1位になっていた。でも、もう、私、転びそうでっ!!

 そしてゴールした途端、鈴木さんは急ブレーキをかけてピタリと止まるから、私はその反動に耐え切れず思いっ切り派手に転倒してしまう。


「いたたたぁ……」

 膝をおもいっきり擦りむいているのに、女子徒達は心配するより私の無様な様子に笑っている人が多い。


「あら、痛そうね。でも、私の心の痛みはそんなもんじゃないからっ」


 そう言ってそっぽを向く鈴木さんの目には、底冷えするような怒りが見えた。


「――っ……っ」


 泣きたくなった。何故鈴木さんが私と二人三脚をやりたがったのかが、今になって分かったからだ。


 ――鈴木さんは私に復讐するためだったんだ。


 そう気が付くともうダメで、中学生にもなって人前にも関わらず涙が止まらない。鈴木さんの気持ちに全く気が付かずに仲良くしてもらっていると勘違いしているなんて、私はバカだ。

 途方に暮れる私の前に来てくれたのは、


「吉永、大丈夫か!?」


「た、なかぁ……」


 一番に駆け付けてくれて、心配してくれるのは紛れもなく田中なんだ。


「吉永、ほら、俺におんぶされて」


 田中は私に背中を見せてしゃがみ込んだ。「無理だよ。私重いし。恥ずかしい」そう言って、立ち上がろうと思ったけど、足を捻挫しているのか思う様に立ち上がれない。


「俺は鍛えているから大丈夫。ほら、背中に乗れって。乗らないならお姫様抱っこにするよ」


「え、それは嫌かも。じゃあ、重いけどごめん」って、私は田中の背中に乗った。


 田中はひょいと立つと、急いで保健室の方へ向かう。人の背中に乗るなんて幼児以来かも。すごく恥ずかしいし、皆が見ていると思うと顔を上げていられず、自分の顔が涙で濡れているのも忘れて田中の背中に顔を埋めた。田中のシャツを涙で濡らしてしまったと後悔したところで驚きのやりとりが聞こえた。


「田中君、先生に任せなよ。田中君がおんぶする必要なくない?」


「鈴木、お前、もう少し責任感じろよ。吉永は怪我したんだぞ。それに、自分の彼女の世話をして何が悪いんだよ」


 田中は保健室へ向かいながら鈴木さんにそう強く言い放った。信じられない内容に足の痛みすらどこかに行ってしまいそう。


「か、彼女って……」

 堪え切れなくて田中の背中で呟いてしまう。

「だって、そうだろう? 吉永も俺もお互い好きなんだからさ」

「私達って、その、付き合ってるの?」

「俺はそう思っていたけど、吉永は違うのか?」


 プシューって頭の上から聞こえた気がする。もうキャパオーバーで、何も考えられない。


「吉永? おいっ、しっかりしろって。先生! 保健室の先生!!」


 気が付けば保健室のベッドの上だった。目が覚めたら、寝かせてもらったお陰で随分と頭がスッキリしている。ふと、目を向けるとベッドの足元には、座りながらうつ伏せになって寝ている田中がいる。体育祭で大活躍だったから疲れたのだろう。田中は今日の体育祭で色々と目立ってしまったから、明日から大変だろうな……。私も田中のために何かしたいけど、今思いつくのはこれしかない。


「よし、足も大丈夫そうだし、明日もジンクス達成目掛けて坂を上り切るぞ、っと」


 田中のあどけない寝顔を見ていたら、小学生の頃を思い出す。


「田中は、いつも一生懸命だね……」


「……吉永だって、そうだろう?」


「お、起きてたの!?」


 田中はうつ伏せのままこちらに顔を向け、寝ぼけまなこのままフニャっと柔らかい笑みを見せた。その表情はズルい!! もうハートが射抜かれっぱなしだよ。


「田中、中学を楽しもうね!」


「――ああ」


 ジンクスは坂の上で成就する。だから明日も私は一生懸命に坂を上るんだ。

 まずは、二人の楽しい中学生活を願って。



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小学生馴染み【ジンクスは坂の上での改訂版】 仙ユキスケ @yukisuke1000

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