小学生馴染み【ジンクスは坂の上での改訂版】
仙ユキスケ
第1話 中学1年生
「ふん、むむむ―――……っ、ふうぅ、ふぅ、はぁ、はぁ……」
新緑が清々しい5月。私は吹奏楽部の朝練のため、中学校に向かう坂道を自転車で登っていた。この坂はとても緩やかではあるが、下からは上が見えない程長く続いており、最初のうちは道の両側に植えられている欅の新緑を愛でる余裕があったものの、後半は坂を登る事に必死になり、重くなったペダルを立ち上がって一生懸命踏みこんでいる。
女子の間では、この坂を自転車で登りきると、その日は願いが叶うというジンクスがあったから、何としてでも、自転車を降りることなく坂を登りきりたいと頑張っていた。
「もう少し、もう少しで坂が終わる――」
ラストスパート! と、思ったところで急にペダルがふわぁっと軽くなり、自転車を押されている感覚を受けた。
驚いて後ろを振り返ると、
「よう、卵ちゃん、おはよう」ってニッコリ笑った田中が、私の自転車の荷台を掴んで押しているではないか。
「た、田中!?」
「吉永、おまえも朝練なの?」
「ちょっと驚かせないで、それに、もう中学生なんだから小学校の時のあだ名は止してよね」
「ハハハ、ごめん」
田中は小学生の頃からサッカー少年で、中学に入ってもサッカー部で活躍している。昔は感じなかったのに、日焼けした肌にぱっちりとした目は、芸能界にいそうな顔かもと最近思ったことがある。
小学生の田中は、何かと私に絡んできたり、時には優しくしてくれたり、振り回された感は否めないが、今でもいい友達関係だと思う。
時には両想いなのかなと思った事もあるけれど、それを確かめる勇気もなく、この微妙な関係に甘んじていた。愛読している漫画にも幼馴染関係を壊したくないから、敢えて恋愛感情を表に出さないで一緒にいるって設定があったし、それと同じかもしれない。
「やっと、坂が終わったなぁ」
坂を登りきってから、田中が自転車から手を離した。
「うん、押してくれて有り難う……」
ジンクスのことがあり、少し不満げに言ってしまったから、田中が口を尖らせた。
「吉永、もっと素直に喜べよ」
「――だって、チャレンジ失敗だし……」
「へ? 何のこと?」
「ううん、何でもないの。田中、押してくれて有り難う」
今度は目をまっすぐに見て感謝を込めて言うと、田中は満足気に猫のように伸びて腕を頭の後ろで組み「へへへ」と照れ笑いした。そして、ふと何かを発見したようで私の鞄に釘付けになっている。
「吉永それって、もしかして?」
「ああ、これのこと?」
田中は目を輝かせて、私の鞄のキーホルダーを指さした。
それはビーズで編まれた犬のキーホルダーで、昔、田中がくれたものだ。
「これ、覚えている?」
揶揄い口調で聞いてみたけど、田中は「何だっけ、覚えてない」と赤くなって否定するから少しムカついた。田中の顔は、明らかに「覚えている」の表情なのに。
小学6年の夏休み明けのこと、田中は家の犬が死んだものと勘違いして、私を慰めるためにプレゼントしてくれた物で、大切な思い出になっている。
「私、大事にしているんだ」
キーホルダーを手に取り、優しく握りしめた。私の様子を見て満更でもない田中は、思い出したようにニヤッと笑いながら、「おまえん家の犬、元気?」と聞くから、「うん、もちろん元気だよ」と私もニヤリとした。
2人だけにしか分からない会話なのが心地よくて、少しくすぐったくて、自然とにやけてしまう。
坂を登り切ったら学校までは10分弱の道のり。坂の上では自転車から下りて押しながら田中と並んで学校まで歩いて行った。ゆっくり話すのは本当に久しぶりで、この何気ない時間がすごく楽しかったと思っている自分がいるから少し困った。
***
「吉永、教科書サンキューな!」
3時間目の授業が終わり、田中が英語の教科書を返しにきた。田中は3組で私は2組。田中が2組の入り口に立つと、2組の女子が一斉に注目した。
針のような視線に刺さりながら、田中から教科書を受け取る。
「――もう、忘れ物しないでよね」俯きながらボソッと言うと、
「吉永の教科書は予習してあって、単語の意味が書いてあるから便利なんだよ。また、貸してくれるだろう?」
と、屈託のない笑顔を見せてくる。
「えっ、と――う、うん……」
教科書を貸すことはいいんだけど、クラスの女子からいらぬ注目と嫉妬を向けられるのは嫌だし、歯切れの悪い返事をしていたら、横から「ねえ」と甲高い声が割り込んできた。
「田中君、次に忘れ物した時は吉永さんではなく、サッカー部のマネージャーでもあるこの鈴木優香に言って頂戴!」
田中と2人で一瞬ポカンとしてしまったが、鈴木さんは、悪役令嬢のような堂々とした態度で腕組みをしながらこちらを見ている。
「田中君分かったら、もうすぐ4時間目だから、自分のクラスに戻って。さあ!」
「ああ、――うん、じゃあ、吉永またな」
「うん、また……」
半ば鈴木さんに追い出されるように自分のクラスに戻る田中。その背中を見ていたら、ずいっと鈴木さんが私の視界に入ってきた。
必然的に、私と対峙するような立ち位置になり、改めて鈴木さんを見てみると、とても可愛い女子だと思った。
サッカー部のマネージャーという人気があるポジションを勝ち取り、何人かいるマネージャーの中でもアイドル的な存在らしい。活発でありながら甘え上手、大きな瞳はやや猫目でアヒル口、いつもツインテールに結んでいた。
一方の私は、はっきり言って地味な平凡。小学校の時はおでこ全開にしていたから卵ちゃんと言われたけど、さすがに中学に入る時は前髪を作って、セミロングのストレートヘアにした。それで少しは雰囲気が変わったので自分では満足しているけど、他の人より誇れるものは正直無いと思っている。小学校の時、田中はいつも私の事をデブとか言っていたし……。
「吉永さん、田中君と仲が良いみたいね」
鈴木さんが口角を上にあげて私のことを値踏みするようにねめつける。鈴木さんの勝ち誇った表情にカチンとしたが、掌をぎゅっと握って我慢した。
「うん、同じ小学校だったから」
「そうなのね。はっきり言うけど、私、田中君のことが気になっているの。あなたは田中君と付き合っているの?」
私の目は、きっと丸くなっていただろう。いきなり直球の質問にたじろいでしまったが、答えは分かりきっている。
「付き合ってないよ」
「本当に? スゴく仲がいいのに?」
鈴木さんは私に何を確かめたいのだろう。
彼女の好戦的な視線に嫌気がさした頃、天の助けとばかりに授業開始のチャイムが鳴った。
「あ、チャイムだ。鈴木さん、またね」と話を打ち切り、早々に自席に戻った。
さっきの余韻で未だにモヤモヤしていたら、「ねぇ、ちょっと」と、後ろの席の男子に声をかけられた。授業中なのに迷惑と振り向くと、「これ回ってきた」と小さく折り畳まれた手紙を渡された。宛先は私らしい。
先生に見つからないように教科書で隠しながらそっと開けてみる。
『吉永さんへ、私は田中君に告白するから、あなたも協力してね』
差し出し人は――鈴木さんから……。さっきの話の続きなのだろうけど、すごく面倒な内容で眩暈がしそう。私に構わず勝手に田中に告白でも何でもすればいいのに。お願いだから私を巻き込むのは止めて頂きたい……。その願いだけで、私は後先考えずに、一言だけ返事を書いた。
『私は何もできないと思う。ごめんね』
しかし、この返事がきっかけとなり、放課後クラスの女子に校舎裏に呼び出されることになるなんて、この時はまだ思いもしなかった。中学女子のカースト制を甘く見ていたことの代償がこんなに大きいとはつゆも知らずに。
***
「吉永さん、あなた鈴木さんの告白を止めさせようとしたんだって?」
スクールカースト1軍に君臨する、バスケ部の歩美が詰め寄ってきた。
傍らでは、鈴木さんがさめざめと泣いている。どう見てもウソ泣きでしょう。
「何か言ったらどうなの!?」
クラスのバスケ部とバレー部の面々が、怖い顔をして放課後の校舎裏で私を責め立てる。
「――はぁ……」
何でこんなことになってしまったのだろう。後悔先に立たずとはよく言ったものね。あの時の返事の書きぶりが悪かったのかな。でも、田中の告白に協力なんてできないし、するつもりもない。鈴木さんが勝手にやればいいんだから。
私は彼女たちから数歩下がり、距離を保ちながら気の抜けた愛想笑いをしてしまった。それがいけなかったのか、彼女たちの怒りに拍車がかかる。
「ねえ」
歩美が低い声を出して私に詰め寄り、ヒステリックな感情を露わにしながら言った。
「吉永さんと田中君は付き合っていないのでしょう? それなら、なんで鈴木さんが告白するのを止めさせるのよ。鈴木さんが可哀想じゃない」
「協力はできないと言っただけで、告白するのを止めようとはしていないけど……」
私が冷静に答えると、鈴木さんが顔を真っ赤にして大声を出した。
「そんなの、同じことでしょう!」
相変わらずウソ泣きしながら、バレー部の女子に慰められている。
この場をどう収めればいいのか思案していたら、その冷静な態度が気に食わなかったようで、いよいよ歩美が強硬手段に出た。バスケ部に所属するだけあり、歩美は上背があり体格がいい。彼女に比べれば誰でも小柄に映るだろう。
そんな大柄の歩美にドンと肩を思いっ切り押されてしまい、その衝撃で背後にあった側溝に足を取られ、豪快に尻もちをついてしまった。
「痛……っ――」
「ふふふ、吉永さん側溝に足ひっかけて転んだよ。きったなーい」
「クスクス」
「アハハ!」
スクールカースト1軍の女子たちは、私の無様な恰好を見て笑っている。
お尻を打った痛みなのか、精神的な痛みなのか、情けなくて熱いものが込み上げてきた。でも、ここでは泣きたくない。彼女たちには絶対に涙を見せるものか。歯を喰いしばって気持ちを奮い立たせ、ぐっと堪えた。
「あれ? この犬のキーホルダーって……」
突然の不意打だった。
鈴木さんが私のキーホルダーを見ている声が聞こえて、心臓がドキっとした。
さっき転んだ拍子に、抱えていた鞄が鈴木さんの近くに転がったらしい。
「これって、田中君がサッカースパイクを入れている袋に付けているものと同じだわ」
えっ? どういうこと? そんなの聞いたこと無いけど。
「ねぇ、このキーホルダーって、あなた達の小学校で流行ったの?」
鈴木さんは喜々として、両手をパチンと合わせた。何か思いついたようで楽しそうに私を見た。さっきまでの涙は、どこにいったんだと言ってやりたい。
「このキーホルダーいいなぁ、欲しいなぁ。そうだ! これ頂戴? それで今回のこと水に流すから」
はああぁ!? 私はとんでもない事だと思い、鈴木さんをキッと睨み上げ、
「これはダメ。大切なものなの」と、はっきりきっぱり断った。
「自分だけ田中君とお揃いってことなの!?」
鈴木さんは一転してこわばった視線で私を一瞥し、悔しそうにぎりぎりと歯ぎしりをしたら、「うわああぁ――ん」と大きな声で再び派手な泣き真似を始めた。
「吉永さん、あなたのお陰で鈴木さんは酷い目にあったのだから、キーホルダーくらいあげればいいじゃない」
歩美はすっかり鈴木さんに同情している。
どうしてあのクサい泣き真似に騙されるのか、信じられない。
酷い目にあっているのはこっちですって、喉まで言葉が出かかったけど、火に油を注ぎそうだったから飲み込んだ。
でも、このまま黙ってキーホルダーを取られるわけにはいかない。
転んだ体制を立て直して、鞄を引き寄せようとしたが、反対側から歩美に鞄を掴まれた。
「鞄を離して!」
必死で鞄を引っ張った。
歩美もムキになって鞄を引っ張る。
そのうちカースト1軍女子達が歩美に加勢し始め、『おおきなカブ』の絵本状態になった。
だめだ、負けちゃう。でも、そのキーホルダーは、私の大切な思い出なの!!
脳裏に浮かんだのは、笑っている田中の顔。田中、ごめん。鈴木さんにキーホルダーをとられちゃう……。
敗北を意識した――その時、校舎の陰から数人の男子が現れた。
「何しているんだ、おまえら」
彼らは休憩していたサッカー部員だった。その中に田中もいる。
客観的にこの状況をみれば、1人対4人の構図。しかも私は泥だらけである。
何があったかは、状況から推測できるだろう。
「鈴木、部活はどうしたんだ? それに吉永、大丈夫か?」
田中が心配そうに私に駆け寄ってきた。
田中の顔を見たらホッとして、それと同時にひどい有様を見られたのが恥ずかしくなって、正直泣きたくなる。私の目が赤くなって、今にも涙が零れ落ちそうなのを田中は見過ごさないだろう。
「それ、吉永の鞄だろ。こっちによこせよ」
「田中君、どうして吉永さんの鞄だと分かるのよ。それ、私の鞄よ」
鈴木さんは、自分が悪くならないように嘘をついた。
「何でかって? そんなの見れば分かる。俺がプレゼントしたキーホルダーが付いているからな」
――田中がプレゼントしたという事実に鈴木さんは驚きを隠せないでいる。少なからず私も公開告白的な発言に驚いた。
「――って、どういうことなの?」
鈴木さんが田中に詰め寄ったけど、田中の冷気帯びた怒りに耐え切れず歩美が無言で鞄を渡した。クラスの女子達は形勢が悪くなったと分かり「じゃあ、私達、部活行くから」と早々に退散していった。
「鈴木、おまえも早く部活行けよ」と田中が促すと、鈴木さんは、まるで自分は被害者ですとでも言いたげに瞳を潤ませ、甘い声を出した。
「あのぉ田中君、吉永さんにこのキーホルダー頂戴ってお願いしていただけなのぉ」
――ひどい、全然違うから!
鈴木さんの悪びれない態度に唖然としたけど、こんなに可愛く言われたら男子達は、信じるかもしれない……。
「これは、吉永が大切にしているものだ」
田中は全く怒りを解いていない。
「でも、田中君も持っているじゃない? 小学校で流行ったんでしょう? 私も欲しいなぁと思って」
「はっ!?」
同じ物を持っている事を指摘された田中は、一瞬、こっちをチラ見して今までの勢いが後退したけど、それでも鈴木さんを見る田中の目は軽蔑の色を含んでいた。
「何があったのかは知らないが、吉永を巻き込むな」
田中は一呼吸おいてから、ゆっくりと言葉を続けた。いつもとは異なりかなり硬い表情だ。
「吉永に何かしたら、俺は、金輪際おまえとは仲良くできないから」
「ひどい! ――田中君っ。私は吉永さんに何もしてないし。ねぇ、吉永さん!」
「……」
「何とか言ってよ、吉永さん」
私は鈴木さんの問いかけに答えることはせず、田中から鞄を受け取ると「迷惑かけてゴメン」と一言呟き、気まずくなってその場から走って逃げた。
「吉永っ!」
後から田中の声が聞こえたが、一秒たりともこの場所には居られなかった。
もう限界だった。目から溢れ出た涙が洪水のように頬を水浸しにする。気を抜くと大声で泣き声をあげてしまいそう。こんな状態で帰ったら、きっと家族にも心配されてしまうだろう。
少し、公園で休憩しないと……。
校舎裏を駆け抜けながら、手の甲で涙を拭った。
通学途中にある公園は、遊んでいた小学生達が18時のチャイム音と共にいなくなる。誰もいなくなった公園のベンチで、私は一人気持ちを落ち着かせながら気分を切り替えていた。
よくよく考えると本当にムカつくし、まるで私がいじめられているみたいじゃないですか!
信じられない。いつも明るく元気にがモットーのまゆかさんのはずじゃないの。
私は自問自答しながら、足元の砂に棒でいたずら書きをする。腹が立ってきてムカムカする。
『鈴木さんのオタンコナスのぶりっ子』
『歩美のゴリラ女』
『田中の……』
……田中は助けてくれたんじゃない。
自分の陰キャ具合が嫌になり、足で地面のいたずら書きを消そうとしたとき、
「うわぁ、ひっでー、俺の名前の後はなんて書くつもりだったんだ?」
後ろから声を掛けられて慌てて振り向いた。
「田中!?」
「吉永、ごめんな。うちの部の鈴木が迷惑かけたみたいで」
「田中のせいじゃないよ。私が鈴木さんへの答え方を間違えちゃって」
田中は隣に座ると、私に温かいココアをくれた。5月とはいっても夕方になると日中の暖かさが冷たい空気に変わるから、冷えた手に温もりが有難い。
「――有難う」
「うん」
何か話したい気持ちもあったけど、隣で田中が一緒にココアを飲んでくれているだけで、心が満たされるようで、いつの間にか嫌な気分がいなくなっていた。
お互い無言のまま、ミカン色に光った雲が重なり合うような夕焼けを眺めた。
この夕焼けなら、明日も晴れるに違いない。
自分に喝を入れる気持ちで、明日こそジンクス達成にチャレンジしようかな。
夕焼けを眺める田中の横顔をそっと見上げると、田中もこちらを偶然にも振り向き目が合った。田中がふんわり微笑むから、つられて私もにっこり笑った。
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