夏至の前

真花

夏至の前

 二本目のタバコに火を付けようと構えたら、先輩が小走りでやって来た。夏至が近く、終業後でもまだ明るくて、先輩の肩までの髪が揺れるのがよく見えた。宮地みやじは一度くわえたシガレットを箱に戻す。

「お待たせ。だいぶ吸わせちゃった?」

「そんなことないです」

 先輩は、そっか、と頷く。

「じゃあ、行こっか」

 言い終わらない内に方向転換が始まっていて、宮地はそれには慣れていて、追いかけて並ぶ。数歩進む間だけ先輩は黙っていた。

「今日もお疲れ」

「お疲れ様です」

「私、今日はがんばった。通常業務に加えて講演会の資料作ったんだよ」

「大変だったですか?」

「そりゃもう。ヘロヘロ。だから今日も行こう」

 先輩は秘密めいた笑みを浮かべる。

「もちろんです」

「宮地君は今日はどうだった?」

「普通です。いつもと同じ仕事を同じようにしました」

「そっか。……でさ、次の短編なんだけど、バス停でバスを待つ二人の話にしようと思うんだ」

 道を曲がる。先輩の目がギラリと光る。

「どんな話ですか?」

「まだね、タネの段階なんだけど、二人ってのが男の子と女の子で、男の子が女の子のこと好きなんだ。で、次のバスに乗って女の子は行っちゃうの。そのバスを待ちながら、想いを告げようとして、出来なくて、そのままバスを見送るって話」

「大体出来てるように聞こえますけど」

「そうかな。まだ何かが足りない気がするんだ」

 先輩は腕を組む。

「何でしょうね?」

「多分二つあって、一つは、腰抜けでいいのかってこと。もう一つは、どこが伝えたいとこなのかがまだ曖昧ってこと」

 なるほど、と唸ってから宮地は黙る。腰抜け? 違う。

「想いを伝えられないままだとしても、腰抜けじゃないと思います」

「何で?」

「大切過ぎる想いはそう簡単に言えないんじゃないでしょうか」

「でも、最後のチャンスなんだよ? もし伝えたら次があるかも知れない」

「それでも、勇気が想いに負けることはあると思います」

「いや、ないね」

 先輩は顔を極める。世界の秘密を知っているのは自分だと言わんばかりに。先輩は続ける。

「想いが最上級になるなら、それを伝えないのは勇気の問題じゃない。覚悟の問題だよ。そして、覚悟がない恋なんて腰抜けで間違いない」

 先輩の小説のことだからじゃなく、結論が出たと思ったから宮地は引く。

「分かりました。それで、伝えたいことって何ですか?」

「今の話で『恋の覚悟』ってのは一ついいと思う」

 宮地は「大き過ぎる想いは言えない」の方がいいとやはり思う。だが、言わない。同時に、全然違う観点にある先輩の意見も面白いと思った。

「バス停で試される恋の覚悟ですか」

「そう、それ。あ、いいわ。これでやってみる」

「がんばって下さい」

「でも、宮地君は話を聞くのが好きだよね。私のこんな話、誰も聞きたがらないのに」

「誰にでもじゃないですよ」

 先輩は鼻を小突かれたような顔を一瞬した後に、元の顔に戻す。

「そっか」

「勝手に応援してますから」

 先輩は鼻から息を吹き出す。また元の顔に戻す。

「ありがとう」

 駅前に到着した。目的地までは後少し。先輩が言葉を継ぐ。

「小説を書くって結構孤独な作業なんだよ。こうやって話を聞いてもらうだけでも、すごいいいんだ」

「よかったです」

「うん。おうどん食べよう」

「はい」

 駅のすぐにある六人しか入れない立ち食いのうどん屋が今日も目的地だ。入り口の横にある券売機で食券を買って、順番に中に入る。入り口横で水を注いでそれを持って自分の場所に立つ。先輩と離れてしまった。かけうどんの大盛を食べる。美味しくて、食べている間は先輩のことも仕事のことも忘れる。つゆがまた美味しくて、飲み干してから店を出る。「ごちそうさま」と店員さんに伝えた。

 店の前で先輩を待つ。空は陽の暮れ方を忘れたみたいに明るい。先輩は気付いているのだろうか。僕は腰抜けなのだろうか。他の人の夢の話なんて聞いても聞き流すくらいしか出来ない。興味が湧かない。先輩の夢だけ僕に響く。応援したいと思う。まるで、先輩の夢が僕の夢であるみたいに感じる。きっと世界中にいるサポーターと言う人種は、同じように感じているんじゃないのだろうか。僕にも夢があったらいいなと思うけど、現実として僕の中にあるのは先輩の夢だ。

 人の流れを目で追いながら、僕は先輩のサポーター、未満。と思う。まだ、そこまでの位置にいない。

 胸の底からため息が満ちて、大きく吐き出す。

「どうしたの、宮地君」

 後ろから先輩の声、ビクッと体を跳ねさせてから振り返る。

「どうもしないです」

「ん。じゃあ、私はいつものように喫茶店で小説を書くから。おうどんで創作の燃料は満タン」

「お疲れ様です」

 先輩は小さく手を振って、すぐそこの喫茶店に向かって歩き出す。振り向かない。宮地はいつもと同じに改札に向かう。定期券を出して、構えて、止まる。握り締める。

「違う」

 宮地は改札から街に戻る。

 喫茶店、先輩に向かって一歩を踏み出す。


(了)

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夏至の前 真花 @kawapsyc

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