六月  ―― 梅雨になりました ――

 

 雨が降ってきたな。

 梅雨だからな。


 わたしは昇降口から空を見上げる。


 昨日、置き傘をさして帰ってしまい。


 今朝は雨が降っていなかったので、傘も持たずに来てしまった。

 梅雨なのに。


 まあ、小雨だし、だいじょうぶだろう。


 傘もないまま、わたしは昇降口を出る。


 渡り廊下の近くに植えられているあじさいの花や葉に、雨のしずくが落ちていて綺麗だ。


 それらを眺めながら歩いていると、

「帰るの? 千歳。

 お疲れ~」

と体育館の扉のところから、バスケ部のユニフォームを着たアオが手を振る。


「傘ないの?

 私の帰り、待っててくれるのなら、入れてあげるよー」


 はは、だいじょうぶーとわたしは笑った。


 そもそも、強豪で練習に明け暮れているバスケ部が終わるのを待っていたら、真っ暗になってしまう。


 わたしは前庭を横切り、校門を出て、坂を下りた。


 なぜか立ち入り禁止のテープの貼られている公衆電話を見ながら、さまざまな怪談を思い出していると、ふっと頭に当たっていた雨のしずくが消えた。


 真横に誰かが立っている。


 濃紺のブレザーの制服の肩が目の高さにあった。


 生徒会長だ。


 会長が真横を通ったとき、たまたま、彼の大きな傘の中に自分が収納されてしまったようだ。


「す、すみません」

と苦笑いして、歩みをゆるくしたが、傘の中から自分が出ない。


 ……なぜだ。

 このイケメン生徒会長様とわたしの歩幅がいっしょだとでも言うのかっ。


 そんなわけないっ、とわたしは会長の長い脚を見る。


 チラと会長の顔を見てみたが、相変わらずの無表情だ。


 いや、なぜ、お前が俺の傘に、とさげすむように自分を見下ろしているような気がする。


 まことに申し訳ございませんっ、とわたしは足を速めた。


 だが、同時に会長も足を速めたらしく、やはり、傘の中から出なかった。


「……わたしたちは、息が合っているのですかね?」

 かなり疑問を持ちながらも、わたしは会長にそうきいてみた。


 案の定、

「そんなわけないだろう」

とすげなく言われる。


 ……ですよね。

 もはや、会長の傘の下から出ることをあきらめ、わたしはきいてみた。


「会長のおうちは、こちらの方なんですか?」」

「いや……」


 じゃあ、なぜ、ここにいるのですか、とわたしが思ったとき、会長が言った。


「ちょっと用事があって、知人のうちを訪ねるところだ」


 知人のうち……。

 あまり、中学生が使わない言葉で、行かない場所だな、と思いながら、会話につまらないよう、さらにきいてみた。


「親御さんのお知り合いとか?」

「いや、同じクラスの石舘いしだてというヤツの家だ」


 同じクラスなら、知人ではなく、クラスメイトでは?


 どんだけ、よそよそしいんですか。


 しかも、あなた、三年生ですよ。

 その人は、三年間、あなたと同じ学年だった人ではないのですか?


 そう思うこちらに気づき、

「あまり仲は良くない」

と会長は付け足す。


 なぜ、仲がよくない人のおうちに行こうとしているのですか。


 生徒会の用事かな、と思いながら、わたしは、ふと不安になり、きいてみた。


「あの、会長はわたしが誰だか、ご存じですか?」


 会長は前を見たまま、ちょっと沈黙していたが、

「この間、俺が手をつかんで走ったヤツだろ?」

と言う。


 覚えていてくださったのですね。


 では、なぜ、味方を裏切ってまで、あなたについていったわたしを、そんな虫ケラを見るような目で見るのですか、と思ったとき、会長が言った。


「そして、毎度、くしゃみで校長の話を止めるヤツだ」


 覚えていてくださったのですか。

 そんなささいなことを。


 いや、校長が聞いたら、

「ささいではない」

と言うところかもしれないが。


 外は暑くなってきても、体育館の中はまだ寒い。


 校長の話はいつも終わりごろだし、長いので。

 冷えて、くしゃみが出てしまうのだ。


 ――で、そのまま、話題が尽きてしまった。


 そもそも、あまり接点のない人だからな。

 これ以上、話すことないなー。


 沈黙が訪れ、気まずくなった。


 傘の中って、一種の密室だからな~、と思いながら、なんとか言葉をつむいでみる。


「か、会話の途中で、沈黙が訪れるのをフランスでは、『天使が通り過ぎた時間』というそうですよ」


「ここは日本だ」


 まあ、まぎれもない日本ですよね。


 梅雨ですしね、と思ったとき、会長が、

「じゃあ」

と言った。


 結局、会長の傘に入ったまま、家の前まで来てしまったようだ。


 それにしても、なぜ、ここが自宅だとわかったんだろう、と思ったが。


 会長の目は門柱の上でアイアン製の鳥がくわえている表札を見ていた。


「あ、ありがとうございました。失礼いたします」

と頭を下げ、わたしは玄関に駆け込む。


 会長は、さっさと行ってしまった。


 ドアを開けて中に入ろうとした瞬間、

「うわっ、春原っ。

 なにしに来たっ? 襲撃かっ」

と三軒先の石舘先輩の家から叫び声が聞こえてきた。


 やはり、仲は良くないらしい。


 なにしに行ったんだろうな、と思いながら、煮物の甘辛い匂い漂う廊下を歩いた。


「ただいまー」




 翌朝になって、わたしは、ようやく気づいた。


 もしかして、昨日のあれ。


 会長、わたしが傘持ってなかったから、家まで送ってくれたんだったのかな?


 いやいや、ないない、と思いながら、今日は朝から降っていたので、傘を手に校門を通ろうとした。


 すると、道の反対側から会長が来る。


 やっぱり、家、逆方向だったのか……と思いながら、

「おは……」


 おはようございます、と言いかけて気がついた。


 今、あいさつ運動中じゃないっ。


 あいさつしてもらえないかもっ、と思ったとき、会長の方から、


「おはよう」

とあいさつしてきた。


「おっ、おはようございますっ」

とわたしは慌てて、何度も頭を下げる。


 歩幅が一緒なのか、また、並んで歩くハメになった。


「なぜ、『おは』であいさつをやめた」

と会長が言う。


「いや~、会長、あいさつ運動のときしか、あいさつしてくれないと聞いたので」


「俺だって、知り合いにはあいさつするが」


「えっ?

 わたしも知り合いに入れてくださってるんですかっ?」

と見上げると、


「当たり前だろ。

 白隊を勝利に導いてくれたし。


 いつも、長い校長の話をくしゃみで止めてくれるし」

と言い出す。


 あ、なんだ。

 会長も苦手なんですね、校長の話。


「……なにを笑っている」

「いえ、嬉しくて」


 並んで歩きながら、わたしは言った。


「会長の中のわたしが、そんなに好感度低くなさそうで、嬉しいです。

 くしゃみで、校長のお話、とめられるからですかね?」


 そこで、ふと、不安になり、きいてみる。


「わたし以外の人がくしゃみで何度も校長のお話を止めたら。

 その人の好感度の方が上がってしまいますかね?」


莫迦ばかか……」

と会長は切って捨てるように言う。


「別に、くしゃみで好きになったわけじゃ――


 ……いや、好きなわけじゃないからな」


 そう、おどしつけるような口調で会長は言う。


 ちょっと早足になり、行ってしまった。


 あじさいの向こうに消える会長の背を見ながら、わたしはちょっとだけ、微笑んだ――。



                    完



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春原生徒会長とわたし 櫻井彰斗(菱沼あゆ・あゆみん) @akito1

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