四、帰るべき場所

「ヤスシは人を傷つけた。事実は変わらない。そうだろう?」

 高崎は穏やかな目でヤスシを見つめる。

「責めてはいない。辛かったんだろう。積もり積もったものが溢れ、間違いを犯す。人は愚かだ。逃げなければ今より罪は軽くなっていたかもしれないが事実は変わらない」

 高崎の言葉に、ヤスシはこうべを垂れた。

「絵を完成してほしい。この町にこうして戻ってきてくれた。この町の山を、しあげてほしい」

 ヤスシにはわからなかった。

 警察官として、罪を犯した者を目の前にして言う言葉ではない。いくら自分を息子のように思っていてもそれは、職務違反になる。


──職を失うかもしれないのに、どうして。


 ヤスシは、再び絵を見た。鮮やかな赤に、何を足せばより素晴らしい絵になるのかを考えてみた。

 いや、考えちゃいけないのだ。ヤスシは、絵から目をそらす。

「ヤスシの事件の事で、ヤスシがここに来たら、署に連絡をするようにと言われている。さっき来ていたのは刑事だ。私はこれから、ヤスシを探すパトロールに行くんだ」

 高崎はそう言って苦笑いを浮かべながら、ヤスシを部屋に残して去って行った。

 迷惑をかける訳にはいかない。

 そう思ったヤスシは、別の駐在所かこの町の警察署に行こうかと悩んでいると、高崎の妻が部屋に入ってくる。

「あの人はね、ヤスシ君が罪を償う気持ちがあるのはわかってるのよ。ここに来る前に、随分悩んでいたのだけど」

「絵を描いたら、ここを出ます。ここにいることがバレたら立場上よくないでしょうから、パトロールしている高崎さんに見つけられたことにしようと思います」

 ヤスシは筆を取り、黒の絵の具を選んだ。赤く染まる山に鳥を描いていく。

 鳥の群れは鴉。空の色を夕焼けに染め上げ、鴉が森に帰るようにしあげていった。

「帰るべき場所がある鴉が羨ましい」

 絵を完成させた後、ヤスシはそう呟いた。

 高崎の妻は、「帰る場所は、ここですよ。いつかまた、この町に戻ってきてくれたら……」と、目を潤ませて言った。

 ヤスシは首を横に振る。

 ヤスシは荷物を取り、高崎の妻に深々とお辞儀をする。

「高崎は、山に向かったはずよ。ヤスシくんを探すなら、山だと、他の人に伝えていたの」

 それを、聞きながら台所の裏口から出て行った。

 ヤスシは、土手沿いの畦道を通り抜け山に向かう。

 あの上司にも家族がいる。上司の容態は詳しくわからないが、法的に罪を償ってもどうしょうもないのだ。

 自分の弱さからいろんな人の人生を変えてしまった重みを感じながら、山に近づいていく。

 畦道から県道に出てゆるい上り坂を歩いていると、パトカーが正面に見えた。運転しているのは高崎だった。

 パトカーは、ゆっくり走行していた。

 ヤスシはパトカーの進路を阻むように道の真ん中に立つ。神妙な面持ちの高崎がパトカーから降りてくる。別の警察官も降りてきた。


 ヤスシは深くお辞儀をしながら、高崎に近付いた。


 その時、鴉が鳴いた。

 ヤスシはさいごの仕事を終えた。



〈了〉


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さいごの仕事 香坂 壱霧 @kohsaka_ichimu

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