第21話 もうお腹いっぱい


「何でこうなるかな……」


 病院のベッドの上。

 真っ白な天井を見つめながら、ぽつりと零した。


 たいした傷ではないらしく、入院も念のため。

 なのだが、一緒にいた響と綴はお医者さんがドン引きするほど泣いていた。


 あそこまでわんわん泣かれると、申し訳なさに押し潰されて死にそうだ。

 あの時、俺が無理やり立ったりしなければ……。


 まあでも、悔やんだって仕方がない。

 明日になったら退院できるわけだし、すぐ二人に会いに行こう。


『僕たちの好きは、がしたい好きだよ』


 不意に、唇に感じた二人の温もりを思い出した。


 ……好き、か。

 友達としてでも、幼馴染としてでもない。


 恋する相手に贈る、そういう好きだ。


『あんたみたいな出来損ない、誰が好きになるの?』


 脳の奥深くで、冷たい声が鳴った。

 軽く顔を振って、布団をかぶり視界を覆う。


 黙れ。

 失せろ。

 邪魔するな。


 あいつらは言ってくれたんだ、愛してるって。

 三人なら全部帳消しにできるって。


 そこまで想ってくれていることが、純粋に嬉しい。

 常識的な問題はどうであれ、そうすることで二人を幸せにできるなら、俺は全力で応えたい。

 

 すぐにでも、とはいかないが……出来る限りのことはしたい。

 二人のためにも、俺自身のためにも。


「……っ」


 無意識のうちに、布団の中で手を伸ばしていた。


 いつもなら、そこにあるのは響か綴の手。

 しかし今は何もなく、ただ冷たい空気を掴み引っ込める。


 そういえば、一人で寝るの久々だな。


 三人で寝るなんて不健全だと思っていたし、実際緊張で毎晩よく眠れていなかった。たまには一人でぐっすり眠りたいな、などと内心嘆いていた。


 だが、こうしていざ一人分のベッドに放り出されてみると。

 無性に寂しくて、心細くて……。


 今すぐこの手を、二人に握って欲しくなった。




 ◆




「……やっちゃったね」

「……や、やっちゃったね」


 渚のいない寝室。

 ベッドの上に座り、僕たちは今日の出来事を思い返す。


 やっちゃった。

 ついにやっちゃった。


 キス……しちゃった。


 二人で同時に感触を思い出し、恥ずかしくなって枕を叩く。 

 ペチペチと音を鳴らして、ふっと顔を見合わす。


 だらしない表情の綴。

 僕も同じような顔をしていたようで、お互いにクスクスと笑って、もう一度枕を叩く。


「でも……よかったのかな、あれで。何か勢いで、告白までしちゃったけど……」


 渚と綴のキスを見て、場の空気が変わって、心のタガが完全に外れた。

 彼の自信なさげで苦しそうな顔を見て、ここで手を掴まなければいけないと思った。


 場所がラブホテルの浴室で、三人揃って裸というロマンの欠片もないシチュエーションだが、もうやり直せない。後戻りもできないし、誤魔化しもきかない。


 僕たちは前進以外の選択肢を捨てた。

 先にあるのが崖だろうが谷だろうが、進むしかない。


「わかんない、けど……愛してるって言ったら、な、渚、喜んでたし。ちゃんと言えてよかったって……私は、思うけど……」

「確かに喜んでたし、言えたのはよかったけどさ。……あんな顔するって、ちょっとショックだったな」


 僕の言葉に、綴は俯き気味にコクリと頷いた。 


 愛していると言った時、渚は嬉しそうな顔をしていた。……と同時に、救われたような、解放されたような、そんな顔も見せた。


 もしかしたら彼は、ずっとずっと、誰かにそう言ってもらうのを待っていたのかもしれない。

 誰かに愛して欲しくて、それを口に出して欲しくて、ひたむきに頑張っていたのかもしれない。


 それが不憫に思えて、今日まで黙っていた自分が情けなくて、心臓がズキリと痛む。


「……出来損ない、か」


 小さく呟いて、息をつく。


 渚のお母さんは、彼が学校や塾のテストで満点以外を取るとハンガーで殴ったらしい。


 七十点なら三十回、八十点なら二十回。

 満点に足りない回数、キッチリと。


 そんな毎日の中、渚は中学受験をボイコットした。

 僕たちと同じ、公立中学に通いたいがために。


 その後、大量の血まみれのハンガーがゴミ袋にまとめられて捨てられているのを近所の人が発見して通報。渚は病院に運び込まれ、程なくしてお婆ちゃんに引き取られて、僕たちは離れ離れになった。


 警察が動くまで、僕たちは何も知らなかった。

 渚のお母さんは、いつも綺麗で上品で、学校や地域のイベントにも積極的に参加する、誰もが羨む完璧な母親といった感じ。彼自身も特に問題がないよう振る舞っていたため、誰一人まったく気がつかなかった。


 この件に関して、渚は一切詳しく語ろうとしない。

 だが、ハンガーでの殴打などされたことのごく一部なのだろう。


 ――愛してる。


 そんなありふれた愛情表現で、何でもないたった一言であんな顔ができるほど、彼の心はメチャクチャに踏み荒らされていた。どこまでされたらそうなるのか、僕には想像もできない。


「こ、これからはさ。渚が慣れちゃう、ぐらい……も、もうお腹いっぱいってなるぐらい、言おうね。愛してる……って」


 綴の手のひらが、僕の手の上に重なった。

 視線を上げて深く頷く。小さく笑い合って、彼女と指を絡める。


「渚、今何してるかな?」

「……わ、私たちに会いたくて、寂しくなってるよ。たぶん」

「だったら明日は、いっぱい甘やかさないとね」

「う、うん」

「あと今日のお祝い、中途半端で終わっちゃったから、明日は美味しいもの食べに行こ」

「怪我もあるし……安静にしてなきゃ、だから、う、うちで何か作る?」

「いいじゃん。僕たちの料理でギャフンと言わせちゃおうよ」

「いつも作って、も、もらってるし、お返ししなきゃね」

「あと……」

「ん?」

「もう一回、今度はちゃんと……キス、したいな」

「……わ、私もっ」


 照れ臭さを誤魔化すように額を重ね、「「へへっ」」と喉を鳴らした。





【お知らせ】

 第1章完結です。プロット作成のため、しばらくお時間いただきます。

 「面白かった」「続きが気になる」という方は、作品フォローと下にある評価ボタン(☆)を三回押して頂けると嬉しいです。執筆の励みになります。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

出会って20年の幼馴染“兄弟”とルームシェアを始めた。じつは“姉妹”だと知らなかった。 枩葉松@書籍発売中 @tokiwa9115

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ