我が子を抱いて、私は父になった

雨蕗空何(あまぶき・くうか)

我が子を抱いて、私は父になった

 軽い。

 それが、我が子をこの腕で抱いたときの、最初の印象だった。




 父親の自覚というものを、私が持てるのか不安だった。

 もともと、孤独であることには苦痛を感じない人間であった。

 いわゆる一般的な家庭というものにあこがれないわけでもないが、かといってそれを渇望するかといえば、そこまで強く求めるものでもなかった。

 そんな中で妻と二人で連れ添う時間というのは、それなりに居心地のよいものではあったのだが、だからこそこのまま子などできずに二人で過ごすのも、ひとつの人生として悪くないのではないかとさえ思っていた。


 こんな人間が、子供ができて、さて今までの生活から切り替えて子供中心の生活と、なれるものなのか。

 育児を手伝うと口で言いつつ、実態は妻に任せきりの男になるのではないかと、私は思っていた。

 子を、抱くまでは。




 ふわふわとしている。

 皮膚が、ただの輪郭線でしかないようだ。

 指で触れれば、その肌と肉は本当に抵抗なく、そのまま力を込めでもしたら綿菓子のように沈み込んでしまうのではないかと、そんな感触だった。

 そして、ひたすらに、軽かった。




 赤ちゃんというものを、もちろん見たことがないわけもない。

 ただ、世の中で見る人の赤ちゃんというのは、外に連れ出すことのできるような、つまりはすでにしっかりした子だったのだろう。

 子育て体験会などで抱いた赤ちゃんを模した人形も、もっと月齢が進んだ赤ちゃんを模しているのだろう。


 こんな、産まれて間もない新生児というものを、私はこのとき、初めて見たのだ。


 平均身長、五十センチ。平均体重、三キロ。

 知識として知ってはいた。

 同じ重さの例として、たとえば牛乳パックが三本。

 そのイメージは、それなりに重たいものだ。


 我が子。

 四七センチ。二八六〇グラム。

 その知識から外れるものでもない。


 けれど実際に抱いた子の、その数値がこの腕にかける重量の非力さと、私がイメージしていた赤ちゃんというものの重さの、そのギャップは、いっそ衝撃的であった。

 牛乳パックが三本分と、同じ程度の重さだとは、とても信じられなかった。

 新生児というものは、こんなにも、小さいのか。


 その感覚ひとつで、十分であった。

 意識を切り替えるとか、生活を省みるとか、そんな能動的行為をはさむこともなかった。

 ごくごく自然に、「守らなければならない」と、そう思わせる説得力を、そのふわふわとした軽さが物語っていた。


 私はこのとき、確かに父になった。

 この子を守りたいと、はぐくみたいと、そう願った。

 願って、ごくごく自然に、父になったのだ。

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我が子を抱いて、私は父になった 雨蕗空何(あまぶき・くうか) @k_icker

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