障子の向こうに影が差して、夢からうつつに引き戻されました。

 当代様は毛をうねらせ、うつ伏せになって障子の方を気にしているようでした。


 やつがれは少し見てくると伝えて、障子を開けて外に出て、障子をしっかりと締め直しました。



 縁側のすぐ下にいたのは、当代様の妹でした。


 手も足もないのは同じですが、綺麗な白く柔らかな生き物ではなく、手足がないだけの醜いひとでした。

 這いずって動くせいで、全身が擦り傷だらけで赤く汚く見えました。黒目は恨めしげにこちらを見ておりました。透き通った当代様の目とは大違いでした。


 やつがれは近くに立てかけてあった鋤を取って、当代様の妹に振り下ろしました。ざくっと嫌な音がして、頭が真っ二つに割れました。

 錆びた刃に頭皮やら髪やら血やらが張りついて、女の頭の半分がそこから生えたようでした。すぐ洗い流さなければなりません。


 当代様の妹は通草あけびのように割れた頭から赤いものや白いものを零してまだ蠢いておりました。あれももうひとの身ではないのでしょう。

 やつがれは気にせず井戸水で鋤を洗いました。

 幸い、当代様の吐いた泥の跡が障子に残っていましたから血飛沫にも気づかれずに済むでしょう。



 座敷に戻ると、当代様が上の半身を曲げてこちらを見ておりました。

「鴉がおりましたので、追い払っておきました」

 当代様はもぞもぞと毛足を手の代わりに蠢かせ、座布団に座り直しました。


 やつがれは当代様の腹の下に膝を入れ、柘植の櫛で白い毛を解かしました。毛の奥の肉が盛り上がり、衣の下で指を動かしたように全身が波打ちました。

 綺麗で愛らしいお姿は当代様の家族の成れの果てとは全く違います。



 やつがれは儀式の日の夜、村を出るふりをして屋敷の裏に向かいました。儀式が失敗するのを眺めるためです。

 当代様は全ての手筈を狂いなく終えなければいけないと再三言っておられました。ひとつでも違えば、ねんねん様のお怒りを鎮められないのです。


 ですから、やつがれは当代様がくださった錫とよく似た儀式用の錫を入れ替えておきました。


 注連縄に囲まれた儀式の場で、当代様の家族の身体は見る間に崩れ落ち、手足が飴細工のように溶けてゆきました。剥がれた衣の中で必死に蠢きながら当代様を罵る彼らは、蚕というより蛆のようでした。


 夜闇を焼く篝火に照らされた祭壇の上には、ねんねん様がおりました。

 白く大きいお姿は月が地上に降りたようでした。夜露に濡れたような双眸はやつがれを見下ろして輝いておりました。


 祭壇の下には、ひと回り小さなねんねん様に似たものがおりました。変わり果てたお姿ですが、やつがれがこの日のために整えた絹の着物で当代様だとわかりました。

 やつがれは地を這う者たちに構わず、腹を見せて転げた当代様を連れて屋敷に戻りました。



 当代様は、最初のうちは前と違う身体に難儀して、障子に頭をぶつけて全身を波打たせたり、今日のように畳を食って喉に詰まらせることもありました。

 やつがれは家中の仕切りを外し、畳中に座布団を敷き詰めました。


 当代様が今のご自分をどう思っているかはわかりません。ご自分のことは何もわからないかもしれません。それでも、穏やかに暮らせていると思います。


 当代様と家族がこうなった今も、村人に凶事が訪れたという話は聞きません。当代様が守り神として村を収めてくれているからでしょう。

 やつがれも当代様が愛する村に尽くすべく、日がな一日稲作に養蚕にと駆け回っております。やつがれもひとのために死ぬ蚕のように、生涯当代様にお仕えするつもりです。



 櫛を入れ終えると、当代様が毛に覆われた瞼を閉じました。全身が白い繭になったような有様でしたが、乾いた繭よりも上質な毛束は柔らかで温かでした。強飯で膨れた腹が何度も動き、毛の下のしっとりとした肌がやつがれの脚にまとわりつきました。


 ねんねん様は恨みの末に神になったようですが、当代様はまごうことなき守り神なのだと思います。

 やつがれは一生で今が一番幸せです。

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ねんねん環獄 木古おうみ @kipplemaker

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