後編

「……白髪見っけ」

 結局、教えてやってしまった。抜いてくれとせがむ妹のためにせっかく生えた白髪を抜いてやり、今度は反対側の髪にとりかかった。優しい姉がうそをつかず教えてやったんだから、お前も少しくらいわたしの役に立ちたまえよ。

 たとえば、インク切れしたカラーペンを買ってきてくれるとか。わたしはパッケージデザインの仕事をしているが、まだ入社したばかりなので休日でも手は動かしておきたい。でも雨の日の外出はおつくうだ。しかし残念ながら妹は使えない。お使いを頼んだところで覚えていたためしがないのだ。結局言葉にはせず頭の中だけで念じながら、妹の髪を編みこむ。

 編み終わった毛先をゴムで結び、アメリカピンで後ろに留めていると、妹がそうだそうだとつぶやきながら、手に握りしめていたバレッタを差し出した。

「わきのところ、これで留めて。これ、いいやつなんだ」

「いいやつ?」

「願掛けに効くんだよ。大学受験の時もこれをつけたら受かったんだもん」

 ああそう言われてみれば確かに、あの日もこの子の髪を編んであげて、この可愛らしい、淡いピンクと赤紫の花がついたバレッタをつけてやったんだった。珍しく弱気な妹に、絶対受かると励ましながら髪を編んだ覚えがある。バレッタを耳のすぐ後ろにつけてやると、妹は鏡をのぞき「サンキュー」と満足げに椅子から立ち上がった。

 妹が出かけてしまってから、わたしは机に向かい、デザインの本や写真集、読みしの小説などを読んで過ごした。

 夜になった。両親は帰宅が遅いし、妹も夕食は食べてくると言っていたので、ひとり分のカレーを作っていると、玄関のドアが開く音がした。廊下の様子をうかがってみると、妹が靴を脱いでいる。

「あれ、ご飯いらないんじゃなかったの?」

 妹は答えずにそのまま場へ直行してしまった。どうやらデートが失敗したようだ……気にせず、カレーのなべに水とルーを足し、水増しする。やがて部屋着に着替えた妹がれた髪をタオルできながら戻ってきた。そして居間の椅子に座るなり、「ふられちゃった」と言った。

「絶対脈ありだと思ったんだけどなあ。バレッタの願掛け効かなかった」

「あ、まだ彼氏じゃなかったんだ」

 妹はこくんとうなずくと、椅子の上であぐらをかいた。タオルで髪を乾かすふりをして、目が赤いのを隠そうとしているのはばればれだ。しばらく放っておいて、夕食の支度を進めていると、妹はそうだそうだと呟きながら紙袋をテーブルの上に載せた。

「はい、これ。お姉ちゃんのお使い、ちゃんと覚えてたからね」

「お使いなんて頼んだっけ?」

「頼んだよー、雨の日は億劫だから買ってきてくれって」

 紙袋の中を覗くと、そこにはわたしが愛用しているカラーペンが入っていた。しかも欲しかった色が。わたしは目をしばたたいて妹を見直した……彼女はテレビをけ、頭を拭きながらリモコンをいじっている。ふと、この子の髪を編んでいるときに聞こえてきた、ワイドショーの怪談話を思い出した。藁人形に、相手の髪の毛をちょいと仕込む。

 髪の毛を編みながら、わたしは妹がカラーペンを買ってきてくれればいいのにと念じた。そして最後は願掛けに効くというバレッタで留めて……。

「わはははっ」

 急に笑いがこみあげてきて、妹は驚いてこっちを振り返っている。ああ、そうかあ。

「ごめん、ごめん。でもあんたもたまには役に立つじゃない?」

「人聞き悪いなあ、もとから気が利くんだよわたしは」

 妹はちょっと唇をとがらせていたが、笑いをかみ殺しているようにしか見えない。神様が、新しい彼氏じゃなくてカラーペンを買ってきてほしいという姉の願いごとの方を聞き届けてしまったのだ。それはちょっと申し訳ない。ごめん。少しくらいサービスしてやろうか。

「カレーにゆで卵を乗せたいひとー」

 声をかけてやると妹はにこにこと笑って手を挙げた。

「はーい」

 まったくこれだから末っ子ってやつは。でもいざというときに使えるアイテムがあるとわかった……あの可愛いバレッタ。これからは負けてばかりじゃないぞ、なんてね。わたしは鼻歌まじりで冷蔵庫から卵をふたつ取り出した。

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髪を編む 深緑野分/小説 野性時代 @yasei-jidai

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