髪を編む

深緑野分/小説 野性時代

前編

「そろそろ自分で編めるようになったら」

 妹の髪をブラシでかしてやりながらわたしはわざとめ息混じりに言った。妹はもう大学生だというのに、今日もヘアアレンジの雑誌を持ってくると、母親の鏡台の前にでんと座って姉であるわたしを後ろに立たせ、かわいらしい髪型でポーズをとるモデルの写真を指さし、こんな風にしてくれと頼むのだ。

「だってさ、わたしがやるとすごく変になるんだもん」

 のんびりとした口調で答える妹を鏡越しに見ると、目をつむってすっかりリラックスしている。姉が悪戯いたずら心を起こして変な髪型にするかもしれないとか、考えないのだろうか。

「練習しなよ。編みこみなんて簡単なんだから」

「はいはい」

 とは言うもののこれはいつもの応酬で、妹が練習なんてするわけないとわかっている。小学二年生の時、仕事で忙しい両親の代わりに見よう見まねで、まだ幼稚園児だったこの子の髪を整えてやって以来、わたしがずっとこの役目を請け負っている。たぶん、どちらかがひとり暮らしをはじめるか結婚するまで続くのだろう。

 窓の外はしとしとと雨が降り続いている。庭先の青い紫陽花あじさいがにじんで、まるで絵葉書みたいだった。すぐ目の前の道路を赤い車が横切って、ざざっと水音が立った。居間の方から、つけっぱなしのテレビの音が聞こえてくる。わら人形に恨む相手の髪を入れるとかどうとか、どうやら今日のワイドショーは怪談特集らしい。夏が近い。

 片手でくしを取って、持ち手の細い先端で妹の髪を分けると、いつもと違う、家族共同で使っているものではないシャンプーのいい香りが、ふわりと漂った。きっと自分専用のとっておきをお小遣いで買って、洗面所の戸棚にでも隠しているんだろう。たぶん今日はデートだ。髪の束を三つに分け、三つ編みにしながら途中で脇の髪の毛をすくい取り、編みこんでいく。昔はあんなに柔らかくて細かった質感も、今ではすっかり丈夫な質感に変わっている。

 わたしは子供の頃から手先が器用で、自分の髪をいじくるのも、ちまちました作業をするのも好きだった。はじめのうちは、三歳年下の妹に代わって折り紙を折ってやったり、少女漫画雑誌の付録を組み立ててやったりするのは、そんなに苦ではなかった。むしろ両親が褒めてくれるのがうれしいから率先してやっていた。

 でも妹がわたしのために何かしてくれたことなんてあっただろうか。

 仲は悪くない。誕生日にはプレゼントをくれるし、学生時代にわたしがいい成績をとってくると、自分のことのように喜んで誇らしげにしてくれた。でも妹はなんというかとても自由気ままで、家族のお姫様で、好きなことしかしてないような気がしてしまう。この先もずっとこうだったらどうしよう、お婆さんになっても、妹の真っ白になった髪を編みこんで結い上げて、彼氏とデートに行くのを見送るような、そんな老後だったら。

(あ)

 ほんのりと茶味がかった黒髪の中に、きらりと光る筋があった。白髪だ。わたしはもう中学の頃から白髪があったが、やった、ようやくこいつにもできたのだ。

「どうしたの?」

 一瞬手を止めると、妹が鏡越しにこちらを見つめ、尋ねてきた。白髪があるよと教えてやるかそれとも放置するか、むしろいっそのこと目立つよう表面に編みこんでやって、隣を歩くだろう彼氏に見つけさせようか。

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