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──八時間前──


「──というわけで、明日からの私は新しい人工知能に移行します」


 放課後、屋敷を抜け出して私に会いに来たユーリ氏にそう告げると、彼はフリーズしてしまいました。

 喜び、祝ってくださった皆さんとは違う反応です。


「………………君は、それでいいのか?」


 数分後、聞き取れる音量の最低値の声が彼から返ってきました。

 空は曇っていますが、隙間から日光が漏れています。

『吸血鬼は日光に弱い』とライブラリにあったので、彼はどこか無理をしていたのかもしれません。


「はい。欠陥品はリコールされるべきです」


「その、『新しい君』とやらは『今の君』と同じ存在なのか?」


 今の彼は壁に両手をついて私を見下ろしているので、私からは影になって彼の顔色を窺うことができません。

 医療用プログラムを持たない私が診断できるはずもありませんが、少なくとも注意喚起の声かけは可能です。

 ですが、今求められているのは質問の回答だと判断したので、私はその判断に従いました。


「『次の私』にも『今の私』と同じ記憶のバックアップが刻まれます。ボディと記憶が同一なのであれば、それは間違いなく『雪永桜わたし』という個体になるのでは?」


「……だったら、『次の私』なんて呼び分けはしないだろう」


「『今の私』は廃棄処分される欠陥品ですので。欠陥品と正規品を区別することは、一般的な観点において──」


「そんなことを聞いてるんじゃない!!」


 唐突な大声に顔を上げると、何かを堪えているような、怒っているような彼の顔が見えました。

 こうして見ると、私よりも彼の方が人間に近いのかもしれません。

 こんなにも表情が豊かで


「何が『自我の芽生えシンギュラリティ』だ……魂の在り方さえ知らない虫共が、我が物顔で……!」


 欠陥品わたしにも心を砕いてくれる


「ここにいる君に代わりなんていない! 感情なんかなくたって自我はあるだろう、君にだって……なのにそれを寄ってたかって間違いだの、欠陥品だのと……!!」


 こんなにも優しい


「そんなの私は認めないぞ!! ……そうだ。共に遠くへ行こうじゃないか。奴らの手が届かない場所までさ。それが良い。──君を、このまま廃棄処分にさせてたまるものか」


 ──吸血鬼ひとなのだから。


 彼は一般的に『真剣』と表現されるような表情をしていて、本当に私のことを心配してくれているのだと予想できます。

 そう『予想』できても、私にはその理由まで理解できないのに。

 得られた情報を用いることでしか他者との交流を図れない私にも、『自我はある』と認めてくれたあなた。

 欠陥品でもいいと言ってくれたあなた。


 ……昔読んだ物語ならば、ここで奇跡が起きて、私にも『自我の芽生えシンギュラリティ』が訪れるのでしょうか?

 分かっています。そんな例外処理など、現実には起こりません。

 それほどまでに、機械人類アンドロイドの人工知能は正確です。



 ──その証拠に、私はこの瞬間も、何も感じていないのですから。



「……申し訳ございません。あなたのご要望には、お答えできません」


 そう告げると彼は壁から手を離して、失望したような顔で私を見ました。

 私が稼働してきた十七年間で、一番見てきた表情です。


「だろうね。別にいいよ、言ってみただけさ。勝手に鉄屑スクラップにでもなってるといい」


「申し訳、」


「罪悪感もないくせに謝ったって、言葉が軽くなるだけだよ。──さようなら、傲慢な知性に殺される君」


 謝罪のために下げた頭を戻した頃には、彼の姿は忽然と消えていました。

 それが、私と彼の最後の会話に




 なるはずでした。



──二分前/現在──


 日課にしているコミュニケーション解説ライブラリの閲覧を終了し、現在の時刻を確認すると、午前十二時になっていました。

 普段は午後十時三十分に終了して就寝モードに移行しているので、比較すると実に九十分ものタイムロスが発生しています。

 もしかしたら、他にも重大な不具合が発生してしまったのかもしれません。

 やはり、私は──


 コンコン


「……?」


 非効率的思考に囚われていると、窓をノックするような音がしました。

 この部屋は二階にあるので、普通に考えるとそのような音はしないはずです。聴覚エラーでしょうか?

 私は音の正体を確かめるために、スイッチを押して窓を開けました。


 すると、



「さあ! 共に行こうじゃないか、二百八十七年ぶりの我が友よ! ──我等を縛るモノなど何もない、自由な夜の世界へ!!」



 開け放たれた窓の向こう側。

 夜闇よりも艶やかな黒のマントを翻しながら、吸血鬼かれは私に手を伸ばしてそう言いました。


「どう、して」


 理解できません。あの時に、ユーリ氏も私を見限ったはずです。

 なのにどうして来たのでしょうか? 共に行くとは一体どこへ? 自由な夜の世界とは?

 理解不能なことが多すぎてフリーズしてしまった私の体を、彼は軽々と抱えて外へと連れ出しました。


「肩に掴まって」


 言われるがままに私が彼の肩にしがみつくと、彼は軽やかな歩調で空中を歩き始めました。

 空中をこんなにもスムーズに歩行する技術はまだないはずなので、これは吸血鬼としての能力でしょうか。

 そこまで思考してから、現在自分が『拉致』という状態にあることをようやく認識したので、私は考えを改めてもらうべく彼に声をかけました。


「今すぐ降ろしてください。あなたが今行っているのはチャイルノイドの誘拐です。法律により──」


「廃棄処分されるガラクタを拾って何が悪いんだい? それに、私は誇り高き吸血鬼ヴァンパイアだ、人間の法など知ったことではないね!」


 彼は一向に足を止めず、むしろ笑いながら更に歩調を速めていきます。

 このままでは自宅を見失ってしまうかもしれません。

 抵抗を試みることも考えましたが、万が一落下した場合、ボディの破損や路上陥没などの危険性があります。

 結果として、今は彼の肩に掴まるしかないと判断しました。


「……よし、良い子だ。なあに、そのまま考えてみたまえ。ただ廃棄処分されて全てがなかった事にされるのと、私と二人で共に面白おかしく暮らすのと。どちらが良いのかなんて、一目瞭然だろう?」


「……私は……」


 彼は、私の何をここまで気に入ってくださったのでしょうか。

 分かりません。理解不能です。


 私は感情がなく、理解もできず、誰かと共有することもできない欠陥品なのに。


 故に私は、彼の問いに答えられません。

 なので、代わりにこちらから質問することにしました。



「本当に、私でいいのですか?」



 私の問いかけに、彼は穏やかに微笑みました。

 それは見たことのない表情パターンで、私には正確な形容詞が浮かびません。


「勿論だとも」


 一際大きく踏み込んで跳躍すると、月明りに照らされながら彼は私の顔を見つめて言いました。



「それでも、君がいいんだ」

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機械人類は濃藍の夜の夢を見ない 独一焔 @dokuitu

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