創成科学の会
「飼い犬に手を咬まれるとは、まぁこの事だなぁ佐々木」
大理石で敷き詰められた広大な部屋の中心で土下座をする佐々木に目を向けることなく、時田権蔵は庭の池に咲く蓮の花を愛でながら葉巻に火を点ける。
「申し訳ありません、本当に申し訳ありません。まさかあんな頭の惚けた女に嵌められるとは思いもよらず油断していました。私が次の参議院選挙に出馬する折にあのような写真が出回ると不味いと思いまして」
「藻道はどうした」
「はい、あれ以来、連絡が着きません、どうやら逃げたのではないかと」
「ふっふっふっ、儂もお前と同じ飼い犬に手を咬まれたと云うことか、なぁ佐々木」
「は、はぁ、あの、その、そ、そうかも知れません」
権蔵は佐々木に背を向けたまま横に待機する黒いスーツの男に対し顎をしゃくる。すると男は権蔵の意を得て別室へと向かった。
「佐々木、人を咬んだ犬はどうなると思う?」
「申し訳ありません、会長、あの家は必ず取り戻し、評価額で買い手を探し販売させて頂きます」
「儂は別に魂魄の回収が済めば差額の千七百万をお前が負担してくれると云うならそれで構わん、その積りだったが、しかし藻道が逃げて事態は変わった。今からその辺りを藻道に訊いてみるとしよう」
佐々木は額に後が残るほど大理石の床に頭を擦り付け権蔵に許しを乞う。その背後から先程の男が血まみれの僧を連行し佐々木の前に放り出した。
「ひぃぃ、もう、もう勘弁して下さい、逃げたのは拙僧の過ちで御座いました。しかしまさかあの様な邪魔が入るとは、想定外だったので御座いますぅ」
「藻道よ、儂はお前が僧を装った何の能力も無い只の詐欺師だと知っているからこそ、その数珠をお前に持たせていた、違うか」
「は、はいぃぃ、仰せの通りに御座いますぅ」
「能力のない者にとってその数珠はただの水晶玉に過ぎぬ。まぁ古物商に持ち込んだところで数万円の価値しかあるまい。どうしてそれを持って逃げようとした?儂が知りたいのはそこなのだよ」
権蔵はそこまで話すと再びスーツの男に対し目配せをする。男は手に持ったアイスピックで藻道の二の腕辺りを躊躇なく突き刺した。
「うぎゃややぁぁぁ!お許しください会長!どうか、どうか殺さないでぇぇ」
「藻道よ、儂が何を頼んだのか覚えているな」
「はいぃ、お、覚えております」
「お前は確かに申しつけ通り儂が指定した事故物件を周り、そこに憑りつく数多の悪霊をその数珠に封じ手筈どうり最後に儂の物件に行った、そこまでは確認が取れておる。その先の話を報告もせずにお前は何故、姿を晦ました?」
権蔵の質問が終わると同時に男は藻道の二の腕に深く突き刺さったアイスピックを今度はゆっくりと捩じり始める。
「うぎゃやぁぁ!」
鋭利な金属の先端が筋肉の下に有る神経を搔きまわす痛みに藻道は断末魔にも似た叫び声をあげる。
「数珠の中が、数珠の中が、あの若者の所為でぇぇぇ!うがぁぁぁ!」
「数珠の中がどうしたって?」
男が手を止めると藻道は青色吐息で権蔵の質問に答える。
「はい、あの日、佐々木社長から電話であの物件に買い手がついたので直ぐに悠次郎さまの魂魄を回収する準備に掛かるよう指示を戴きました。すると丁度、買い手と思しき若者と事務員が居たのでこれは手間が省けたと思い、何時もの様に住人となるあの若者に魂魄を憑依させようと数珠をかざしたのですが・・・」
「数珠をかざして、そしてどうなった?」
「そ、それが、その・・・」
藻道が言葉を止めるとスーツの男は途端にまたぐりぐりとアイスピックの先端で藻道の二の腕に激痛を与える。
「うぎゃあぁぁぁ!お、お許しください会長、悠次郎さまの魂魄を若者に憑依させたまでは良かったのですが、そ、その後、その若者に、三発、し、し、シバかれたのです」
「シバかれた?殴られたと云うことか?」
「はい、シバかれたとは関西弁で、殴られたと同義にございます」
「藻道、話が見えん。話す気が無いならそのアイスピックを脳天に突き刺すか?」
「ひぃぃ、お、お許しくださいぃぃ、あの若者は何か特別な能力者なのです。拙僧が苦労三嘆して集めた数珠の中の悪霊が、あの若者に殴られた瞬間、全て外に出てしまったのですぅぅ」
「外に出たとは予め封じておいた伺嬰児便餓鬼もか?」
「はいぃぃ、そして自由になってしまった伺嬰児便餓鬼は、数珠に納めていた悪霊を次々に喰らい、ゆ、悠次郎様のこ、魂魄も喰らい、数珠の外で、夜叉にならぬまま・・・呪術が成立してしまったのです」
「つまりお前は伺嬰児便餓鬼が夜叉に生まれ変わる前に奴に悠次郎の魂魄を喰われ、剰え伺嬰児便餓鬼をそのまま野に放ってしまった。その失敗を儂に咎められるのを恐れて、姿を晦ましたと云う、訳か」
「ぎ、御意にございますぅぅ・・・お、お許しください会長、なんの能力も無い拙僧にはもぬけになったこの数珠をどうする事も出来ませなんだ、別に数珠を盗む積もりは毛頭御座いませぬ、お返しします、お返し致しますから、どうか、い、命だけはどうかぁぁぁ」
権蔵の凍り付くような目がスーツの男に再び目配せをする。
スーツの男が藻道の二の腕から引き抜いたアイスピックを返す手で藻道の脳天に突き刺す。
「ぎぃやぁぁぁぁ!」
今度は本当の断末魔を上げた藻道が佐々木の見ている前で息絶えた。
「佐々木、見たか?飼い主を咬んだ犬はこうなる」
「ひぃいぃぃ!お、お許しください会長!私は会長に牙を剥いた事などありません、どうか、どうかお許しくださいぃぃ」
「佐々木、お前の言う事は
「あ、あ、ありがとうございます会長、な、何でも、仰せの通りにさせて頂きます」
権蔵は息絶え白目を剥いている藻道の首から数珠を取り、不思議そうに数珠を
・・・しかし腑に落ちぬ。この数珠に伺嬰児便餓鬼を封じたのは羅刹を使えるあの武蔵坊・・・羅刹の力を借り武蔵坊の張ったあの結界を気合でこじ開けるなど余程の術師でなければ出来ん。そんなハイレベルな術者が何故、なんの意味が有ってあの伺嬰児便餓鬼を野に放つのだ・・・解せぬ・・・
「佐々木、お前が今からこの藻道に替わってこの数珠を持て。そして直ぐに武蔵坊と共にあの物件に行き、伺嬰児便餓鬼と悠次郎の魂魄の行方を追え。おい、武蔵坊を直ぐに呼び寄せろ」
スーツの男が武蔵坊と云う術師を呼びに退室すると、佐々木は権蔵から発せられる押し潰されそうなプレッシャーに必死で耐えていた。
新興宗教、創成科学の会の教祖である彼は民自党や明公党などの与党を裏で牛耳る一方、宗教法人が経営する数多の組織、会社の会長で日本に於いて屈指の影響力を持つ。時田権蔵とはそう云う男なのである。
他人は勿論、手下であろうが信者であろうが社員であろうが関係なく、凡ゆる者に対して剥き出しの刃物の様なプレッシャーを常に与える。佐々木はこの男にものを言える人間を未だかつて見たことがない。権蔵の威圧は人間のそれを遙かに凌駕したまさに鬼神のそれである。
「佐々木、息子は元気か?」
「はい、お、お蔭さまで今年、無事に大学を卒業いたします」
「東大の、確か学部は法学部だったな」
「あ、はい、その通りで御座います、会長にご記憶頂いているなんて、恐悦至極に御座います」
「法曹に進むのか?それとも官僚希望か?」
「はい、私が政界に行くので息子には官僚を経験させ、将来は会長のお膝元で政界に出したいと考えております」
「良かろう、財務省には儂から話しておく」
「あ、ありがとうございます会長」
佐々木は知っていた。この男に関わった以上、何が有ってもこの男を敵に回してはならない事、何が有っても利用価値のある部下であり続けねばならない事を。自分に利用価値が無くなれば、この男は何の躊躇いも無くこうして藻道の様な死体を作る。
「息子の事は儂に任せろ。その代り必ず結果を持って帰って来い、解かったな」
「はい、か、必ず、会長のご期待に応えてお見せします」
「ところで佐々木、息子の事は、可愛いのか?」
「はい、無論、我が子ですので・・・不躾ながら・・・会長のご子息があのような事になるとは・・・良いのですか、山本を処罰しなくても」
「佐々木、俺にはお前の言う息子が可愛いと云う感情が解らんのだ。死んだ悠次郎より山本の方が使える。それだけの事だ。それにこの件で山本は一切、儂に歯向かえなくなった。結果として悠次郎の魂魄さえ回収出来れば、儂には利益しかないからな」
血を分けた息子にすらこうである。佐々木はその冷酷さに思わず吐き気をもよおしていた。
一分が一日にも思える程のプレッシャーの中、漸く武蔵坊を連れてスーツの男が戻って来た。
「武蔵坊よ、お前の結界を破って伺嬰児便餓鬼を野に放った術師が居る。心当たりは無いか?」
「聞きました会長、
「儂もその事を考えていた。武蔵坊、佐々木を連れて行き事態を収拾してくれ」
「御意!」
事故物件を買いましたが、何か? マルムス @Marumusu1007
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