私と彼女と石のつゆざむ 5
ワカは目をわずかに開く。ぼんやりと視界に映るのは……鯨!?クジラ! いやいやいや、これは絵だ。衝立の中の荒海を泳ぐ黒い大きな魚影は屏風に描かれた屏風絵だ。……という事はここはどこなのだ?ワカはハッとして飛び起きた。
見慣れぬ畳張りの室内を見回す。窓際の障子を開けた先の広々した板の間には美しい庭に面した縁側がある。その先の池と木々が見える日本庭園は、まるで予算をかけた映画のセットのようだ。見事な景色を創り出している。
しかし、ワカの心を奪うのはその景色ではない。
───まるで古い町屋じゃん。
部屋造りもまた、クロエのマンションとは似ても似つかない造りだ。広いし、調度品は高そうだし、なによりワカが横たわっている敷布団だってふかふか過ぎる。
「……具合はいかがかしら」
いつの間にか枕元に先刻の中年増がいた。
ワカは動揺を隠し、寝癖を直しながら、ここはどこです?そして、だいぶ時間が飛んでるよういですが…と質問をぶつけてみた。
すると彼女は「今、午前の11時をまわったところよォ」と教えてくれた。
「そういえば自己紹介がまだでしたわね」年増女が言った。
「私はユズリ、と申します。…でも私たち以外の人がいるときは黒江って呼んでちょうだいな」
(───仕事の時の芸名なのかな……?)
どうやら一晩、ここで気絶するように眠っていたらしい。
幸い、眠っている間になにかされた、ということもなく
むしろそのまま布団に押し込まれていた、らしい。
そこまで確認するとワカは自己紹介に自己紹介で返した。
「はじめまして。わたくしは、ワカと申します。昨日は助かりました、危うく売り飛ばされてしまう所で」
冗談めかして言えば、彼女は眉根に皺を寄せてため息まじりにつく。
「ああ、ウメじいとサクラおばばね、あいつら私に、た~~~っぷりと生き血を吸われて、あんな姿になっちゃってるけどまだ30代よ確か、サクラは2010年、5月24日生まれ…懐かしいわねえ~、昔は近所のドーナツ屋で奢ってあげるって言えばホイホイついてくるような可愛い子だったんだけどねぇ……あの時は本当に目に入れても痛くないし、可愛くて食べてしまいたいくらいだったのよ~……」
ヒィィィィィィ!!ワカの顔から一気に血の気が引いた。
「?、顔色が優れないようだけど……あっ、ワカちゃん、お腹が空いたのね~、もうすぐお昼だもんね~。若いわね~。丁度黒シチューをしこんでたのよ、いいお肉が手に入ったから腕によりをかけたの~あなた様に気に入ってもらえると、嬉しいわ~」
ひっ、ひちゅー!?……なんだ、シチューかぁ。
ワカが一瞬、安堵し視線を床に落とす。と、ユズリの手元が目に入った。
ヒッ、ヒィィィィィーーーーーッ!!?ワカは顔を真っ青にして固まってしまった。
ユスリの手は血のようなドス赤い色に染まっていたのだ。
(あれはトマト、トマト、トマト、逆さに読んでもトマト……或いは牛スジ的な…)
ワカは必死に自分に言い聞かせるが、一度浮かんだ想像はなかなか消えない。クロエの机の引き出しから男物の財布を見つけた事があった。その時は無限の創造を膨らませ楽しんだものだが……。
「どうしたの?貧血?あまり無理しちゃダメよ~、ご飯食べられる~?」
「い、いえ……大丈夫です……」
ワカは慌てて首を振ると、さぁ、行きましょう、食堂はどこです?と、覚悟を決めて言った。
「食堂に行く必要はありません」
「え?」
ワカがゆっくり瞬きする間に、彼女がズイ、と息がかかる距離まで顔を近づけ、言った。
「お部屋で待っててね、すぐ支度するから」
(あ…これ完全に私自身が食べられる流れですね……)
ワカは戦慄した。
つづく
灰墟になった地方都市でペストコントロールやってます(アルファポリス避難所版) 釣鐘人参 @taka29
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