私と彼女と石のつゆざむ 4

「ゴホン、ゴホン、ゴホン、うー」

「悪化してるじゃあねーか!」

翌朝の事、ワカの体調は一昨日の晩より悪化していた。

体温はほぼ平熱。咳と悪寒だけなのが幸いだったが…。


これはアレだ。昨日遭遇したあの家族に……正確には、あの少年から体当たりをされた時に浴びた、謎の液体が原因だろう事は容易に想像がついた。あれはジュースとかの類いでは断じてない。きっと何らかの薬品に違いない。


「そろそろ出勤時間だからさァ、とりあえず今日は一日動かずに休んでな」

クロエはワカの額に手を当てながら熱はねーな、熱は、うーん。と言い聞かせるようにつぶやいてから、手早く朝ご飯を用意して食べさせてくれた。

「それにしても、顔色が本気でやベーな……その姿で外に出んなよ、通報されるから…アタシが」

失礼極まりない言葉を残して、彼女は出勤していった。


昼下がりになって、ワカはのそりと動き出した。

枕元に添えられた水差しの水をゆっくりと飲むと少し落ち着いた気分になれたので、ベッドから下りると、キッチンに向かった。せきどめをゲットする為に。

しかしキッチンの戸棚や引き出しを漁れども漁れども見つからない。


買い置きの薬がない!あの子、なにやってんのォ!……そう叫ぼうとしたが、声が出せない。

ワカの叫びは、「かは、こほ」と、かすれ声となり、しんとした部屋に染み込んでいった。

今度は念のため冷蔵庫の中を確かめてみた。だが、やはりせきどめ薬の類いは見当たらない。


……今日のクロエの予定帰宅時間は午後六時、つまり、その時間まで薬が手元にない事になる。

───仕方ない、行きますか、薬屋。

ガスの元栓ヨシ、玄関の戸締まりヨシ…、

ワカは財布を引っ掴むとドアを開けた。


キッチンのテーブルにはメモの書き置きも忘れない。

文面は『くすりがきれていたので、かいにいってきます、すぐにかえってきます わか』

『きれていた』と『すぐ』の箇所を太線で強調してやった。


最寄りの商店街にある小さな薬屋を目指して、道順を確認しつつワカはふらつく足取りで進む。空は夕暮れのような曇天、不穏な天気だ。


「おっと!お嬢ちゃん、お使いかい?えらいネェ~~~」

何度か通行人にぶつかりになった。その都度、相手からは好意的な返事か気さくな態度を取られたが、ワカは無言で会釈をして通り過ぎるだけにとどめておいた。


寝巻きの上からカーディガンを羽織っただけの格好で出てきたのだ。おまけに顔色がとてつもなく悪い。もし、夜中に墓場で今の自分と遭遇したら、ラオウやタンジローでも情けない悲鳴を上げて逃げ出すだろう。「脚はちゃんと生えているかか?」

ワカは自分の足元をじっと観察する。良かった、いつ通り。サンダル穿きの白い脚が二本、すらりと伸びている。


途中、クロエの携帯端末に

『じょうびやくがきれていました うごけるようになったのでかってきます ひさびさにきれちまったよ』とメッセージを送る。基本的にクロエは日中、返事は寄越さない。ある日、理由を尋ねるとクロエは「ロボットだから、マシーンだから、忙しいし」と答えた。言い訳のプロなのでは?ワカはそう勘ぐっている。


その薬屋はファンタジーやメルヘンなものでは断じてなく、創業五十年、ありふれた地方都市の薬屋だった。店先には熊のマークのドリンク剤ののぼりとオレンジ色の象の像がニカッ、とした笑顔を浮かべている。


入店のベルの音を聞いてカウンターの奥から出て来た人物は、白衣を着た老人だった。この人物が薬屋の店主だ。

「あらぁ可愛い、孫くらい若いコが来るなんて珍しいねぇ」

「せきどめを所望します」

ワカがぶっきら棒に言うと、店主は「はい、どうぞ」と言って箱入りの薬を渡してきた。

「……熊のマークのO(オー)製薬、各種医薬品にドリンク剤、子ども用の目薬まで、世界的な巨大企業ですよね。しかも創業者がこの街出身」


ワカの質問に対し、店主は「うん、そうだね」と答えた。

「……あの、実は私、O製薬の製品は苦くて不味いので苦手で……O製薬製以外ので子供用シロップみたいなのもあればいいんですけど」

ワカの発言を聞いた店主が笑う。


「虚弱体質って辛いねぇ」

「……笑い事じゃありません」

「分かった、これならどうだい?」

店主がパッケージングされたシロップ薬をカウンターのケースから取り出す。

「ほら、これなら東京に本社があった鷲のマークの老舗メーカーのだから質は高いよ」

「崖っぷちで男同士が手を繋いでファイト一発するCMのメーカーですよね、熱い友情ですよね~~~、アレ」

「ホッホッホ、お嬢ちゃん、若いのに物知りだねぇ」

「…………はい、じゃあコレ買います」

「毎度あり」


無事、咳止め薬をゲットして店を後にしたワカは再び帰路につく。道すがら、薬の入った紙袋を覗き込む、歩きながら薬屋でのやり取りを回想する。

───ちなみにあの店先ののぼりの熊ちゃん、実在するんだよ。

O製薬のマスコットキャラクターで名前はザ・ベアー。町中の薬屋に必ず月に二回、営業と製品の補充に来るんだよ。

ザ・ベアーは16さいのメス熊でスミレ、或いはバイオレット色、お嬢様言葉を使いこなすキャラクターなんだけど……ああ、先日ご来店されたザ・ベアー様の置いて行かれた紙風船があるんですが……使いますかしら?

「…結構です、遠慮しときます」ワカは丁重に断った。


そんなことを考えながら歩いていると、普段は通らない脇道に入り込んで、そこそこ小綺麗な神社に出くわした。街中のオアシス的な雰囲気、ワカはふらりと境内に立入った。


「地図っぽいものがある…」

神社の敷地内にぽつんと立てられた看板を眺める。どうやらここは、稲荷神社らしい。そういえばこの地区は狐にまつわる言い伝えをよく聞くような気がする。


ワカは興味本位で稲荷社の賽銭箱に小銭を投げ入れると、手を合わせた。

『どうか、稲荷様、あの子とできるだけ一緒に暮らせますように……』

静かな夕暮れに寝巻き姿で礼拝する少女。その不思議な光景を見守っているものがいた事を彼女は知らない。


「すみませんの…ちょいとよろしいでしょうか?」

帰り道の路地、すれ違った身なりのいい老夫婦に呼び止められてワカは立ち止まった。振り返ると爺の方がこちらに向かって気さくそうに両腕を広げて大袈裟なジェスチャーをしていた。


海外の高級ブランドとかじゃあなく、もっと…そう、元禄時代とか西陣織みたいな和服を身に纏っている。ワカは何となしに嫌な雰囲気を感じ取った。……正直、面倒ごとに関わって、疲れ切ったまま帰って、病状を悪化させたくはない。多分これ以上無理すると死ぬ。灰みたいなチリになって消えていく自分が鮮明に浮かぶからやめて、マジで。


……とは言え、一応は地元の住民であるからにして、あまり無下に扱うのもよろしくなかろう。何より私は、居候だ。


「はい……何か御用でしょうか?わたくし、少々急いでおりまして、家族(のようなもの)が仕事から帰宅する前に家にいないと少々ヤバい事になるのです」

ワカの言葉に二人は顔色一つ変えず言う。


「うむ?それはどういうことかな……つまり、君は今『ひとり』ということ、で間違いないのかな?……ところで君、いいからだしてるねェ、もし差し支えなければ、うちの店で働かないかい?」

「え?」

「二週間ほど芸を仕込めばお酌くらいには使えると思いますよ?顔も、よく見れば、このコザクラの若い時分にそっくりじゃあないか」


お嬢ちゃん、おそれることはないんだよ、うちではたらこう。爺婆はじりじりと間合いを詰めてきた。ワカが後退りしようとすると、いつの間にか背後にも一人増えた。

「……は?」


「おやおやおやおや、歩道が狭いではありませんか」

ワカの後ろに居たのは銀色のしっとりとした流れ髪のおばさんだった。落ち着いた雰囲気の夏物の着物を着こなしていて、年齢はクロエより一回り上、といったところか?


竹林に佇むように静かな雰囲気だった。老人達が急に怯え始めた。着物おばさんが口を開く。

「あら、ハナコちゃん、部屋にいないと思ったら神社ァでお参りしてたのかしらぁ~」

ワカに目線を合わせる為だろう。しゃがみこんだ銀髪を束ねた年上の女性。どこかおっとりした口調だがよく響く声だった。

「ひっ、ひいいいいいいッ!」

老人達は恐怖で慄くと一目散に逃げ去った。ワカが首を傾げれば、「ちょっと脅かすつもりだったのだけれども、余計なことをしちゃったようね」と、困った表情をされた。さっきまでの威圧感が霧のように消える。


「……こほっ、こほっ、あなた誰です……?」

「ほーんと、身体弱いみたいねぇ、かわいそ」

おばさんがワカの額に冷たい手をそっと当てた。

先ほどの揉め事でドバドバ分泌されていたアドレナリンがスッと引いて行くのを感じる。

少し冷たい手のひらはクロエと同じで……不思議と心地好かった。


ワカは無意識に呟いた。

「うーん、ちょっと疲れました…どこか、どこか、この辺に安全に休憩できるスポットは…」

「……へぇ」

おばさんは目を細めると薄く笑みを浮かべて言った。

「とりあえずウチにいらっしゃいな、大したおもてなしはできませんけど、「私」は「私」を歓迎しますわ」


つづく

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