第3話


「桃山さん、大丈夫?」


「え、あ、え、なんで?」



 やっと絞り出したあまりにも間抜けな言葉に、十六夜くんは吹き出してあははっと声を上げて笑った。



「あ、えっと、助けてくれた、んだよね? ありがとう。あ、というか、ごめん。私重いのに。身体痛めてない?」



 少しずつ冷静さを取り戻してくると、慌てて十六夜くんに預けてしまっていた身体を起こした。


 お菓子を食べてばかりで運動なんてしない私の身体はお餅そのもの。去年のクラスでは女子の中で一番体重が重たかったとからかわれたし、部活でも、お餅がテニスなんてと散々言われた。


 自分では好きなものをたくさん食べて幸せを感じた証拠だと思っているけれど、周りからの目を全く気にしないわけでもない。ましてやこの身体が誰かの迷惑になることだけは避けたかった。



「大丈夫だよ、重くなんてなかったから」



 勝手にネガティブな思考に落ちそうになっている私に気が付いたのかどうか。それは分からないけれど、十六夜くんは私の目を覗き込んで穏やかにゆっくりと言い聞かせるようにそう言ってくれた。



「ごめんね、ありがとう」


「いいえ……って、あ。ごめん、間に合わなかったみたいだね」


「え?」



 十六夜くんの視線を追うと、私の肘に切り傷ができていた。多分机のどこかに引っ掛けてしまったんだと思う。



「これくらい平気だよ。十六夜くんが受け止めてくれなかったら、もっと大きなけがをしていたかもしれないし」


「でも……」



 俯いてしまった十六夜くんにどう声を掛ければいいか考えあぐねている間にチャイムが鳴ってしまった。



「藍良くんと、心愛さんだね? もう行くから早く並んで!」



 教室の後ろのドアから花畑先生に声を掛けられると、十六夜くんはゆっくり立ち上がった。そして私の怪我をしていない方の手を取ると、力強く引っ張り上げた。いつもならあり得ないくらいすんなりと立ち上がれたことに驚く私には構わず、十六夜くんは私の手を引いたまま歩き出す。



「い、十六夜くん、手! 手を離して!」



 何を言っても十六夜くんには聞こえていないのか、結局そのまま廊下に出ることになって女子からも男子からも鋭い視線を向けられた。居たたまれない気持ちで俯くと、十六夜くんはそのまま花畑先生の元まで私を連れて行った。



「どうしたの?」


「桃山さんが転んでしまって。怪我をしてしまったんですけど、保健室って今開いてないですよね?」



 花畑先生は少し焦ったようにポケットから紙を取り出すと、忙しく目をキョロキョロ動かしてそれを読んだ。うっすらと太陽の光で透けて見える文字から、今日の始業式の注意事項が描いてあるプリントだということは分かった。



「そうだね、養護教諭の先生も体育館に行くから」


「じゃあ、とりあえず傷口だけ洗ってから体育館に行ってもいいですか?」


「いや、このくらいなら……」



 大丈夫、そう言おうとしたけれど、傷口を見た花畑先生は顔をしかめて頷いた。



「洗い終わったら体育館にある救急箱使って消毒とかしよう。先生はみんなを連れて先に行くけど、大丈夫?」


「分かりました」


「じゃあ藍良くん、お願いね」



 花畑先生が言い切るや否や前の二組が移動を始めて、花畑先生は慌てて紙をポケットに仕舞いなおした。パッと人数を確認した花畑先生がクラスのみんなを引き連れていく流れに逆行して、私はまだ十六夜くんに手を引かれたまま水道に向かう。


 途中ですれ違った大森くんや静川くんは心配そうな目をしていたから、黙って頷いて返した。剣持くんも心配そうにしていたけれど、何故かすれ違いざまだけは十六夜くんを睨んでいた。


 廊下の中央にある水道まで行って傷口を洗い流す瞬間、それまでは痛みもあまり感じていなかったのに、ピリッと痛みを感じた。思わず声を上げそうになったけれど、静かに入場している他の人たちの邪魔にならないように手で口を塞いで我慢した。


 足音が遠ざかっていく中、キュッと滑るような音がして蛇口が閉じられた。



「ありがとう」



 周りに人がいなくなったことを確認してから言うと、十六夜くんは黙って首を横に振った。



「じゃあ、私たちも行こうか」



 私がジンジン痛む傷口を手で抑えて早足に歩き出そうとしたけれど、また怪我をしていない方の手を掴まれて止められた。驚いて振り返ると、十六夜くんは眉を下げていた。



「あの、十六夜くんは悪くないからね? そもそも、私の不注意で転んだわけだし。だから、その」



 必死に言葉を選んでいると、ふっと小さく笑い声が漏れ聞こえた。十六夜くんがふわりと目を細めて笑うその目尻が光っていたことには気が付かなかったことにする。



「うん、ありがとう。……よし、行く前に刺さってる破片だけ抜こうか」


「え? 刺さってるの? でもそれはそのままにしておいて先生に抜いてもらった方がいいんじゃない?」


「大丈夫。ちょっとジッとしてて?」



 真剣な顔で言われると言い返すことはできなくて、立ち止まったまま十六夜くんの手元をジッと見ていた。


 十六夜くんは傷口に触れることなく、そっと手をかざした。不思議に思って何をしているの、と言おうと顔を上げた。けれど十六夜くんはふわりと微笑むとそのまま目を閉じた。



「シュムック・ヴィレンスクラフト」



 小さな声で言葉を唱えると、十六夜くんの手元に瞳の色と同じ深い青の光が輝いた。私が呆気に取られている間に傷口からは木片が出てきて、十六夜くんの手のひらに収まった。



「怪我を直しちゃうこともできるんだけど、それだと怪しまれちゃうからね」


「そうなんだ……って、違うよ。今のは何?」



 さも当たり前のような顔で笑うから一瞬スルーしかけたけれど、今見たものは何だった? 痛みに耐えかねて幻覚でも見たのか、これは夢なのか。結論が出せずにいる私に向かって微笑んでいる彼は、一体何者?



「今のは念力魔法だよ。初歩的な魔法だけど魔力によって動かせるものの大きさや重さは変わるんだ」


「魔法?」


「そう、魔法。僕は魔法使いだから」


「魔法使い?」


「うん。僕は魔法が存在する、こことは違う世界に存在する国、ジュエナイトの第一王子なんだ。本当の名前は、アイオライト=ジュエナイト。みんなには、内緒だよ?」



 十六夜くん、いや、アイオライト王子って呼ぶべきなのかな、目の前の彼はおどけたように笑う。まるで隠れてお菓子を食べた秘密を共有するくらいの軽い言い方に騙されそうになる。けれど一つ一つの言葉を追いかけていくと、かなり重大な秘密を聞かされた気がする。



「えっと、まあ、見た以上信じるよ。けど、どうしてそんな重大そうなことを私に話すの?」



 今日出会ったばかりのただのクラスメイト。どう考えてもそれだけの関係の人間に軽く言うような話ではない。それに、一国の王子を名乗るような人がどうして中学生なんてやっているのかも分からない。



「ふふっ、それはね?」



 また目を細めて笑った彼は流し台の上にある窓を開けると、不敵な笑みを浮かべて私の身体に後ろから腕を回した。



「もうあのチャラい子に抱き着かれちゃダメだよ?」


「え?」



 耳元で囁かれた言葉の意味を理解しようとしたけれど、彼の行動の意味すら分からなくて頭がパンクしそうになる。



「心愛は将来僕のお妃様になるんだから。その身をもって僕の全てを知っていってもらわないとね?」


「え、ちょ、どういうこと!?」


「さ、まず手始めに、向こうの体育館まで空中デートと行こうか」


「いやいやいや!」


「シュムック・ヴィレンスクラフト」



 ふわっと足が浮き上がる感覚がしたと思ったら、身体が勝手に窓の方に寄って行く。こうなると流石に何をされそうになっているのか分かって心臓がバクバク鳴る音が身体中に響く。



「待って待って、待ってよ!」


「大丈夫。僕に任せて」



 早さを増していく鼓動は安心感のある声にドキドキしているのか、恐怖が近づいてきているだけなのか。腰に回された腕の力が強くなって、そのまま十メートル先に体育館の外廊下が見える駐輪場の上空に身体が放り出された。



「これが吊り橋効果」


「落ちることはないから怖くないよ。だから、そのドキドキは僕にドキドキしてるだけ」



 短い初デート中には風や彼の体温、いつもは見れない景色を感じて楽しんだりドキドキしたり。


 なんてことはなく、ただ彼のキザなセリフだけが記憶に残った。



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