第2話
私よりは少し背が高そう。顔が幼いせいでスーツを着ていても七五三のような印象を受けるけれど、名札を首から下げていてブレザーを着ているわけでもないから先生らしい。見たことがないから、新任の先生かな。
「みんな、席について」
よく通る透き通った声に促されて、クラスの面々が一斉に席に向かう。
「じゃあ、あとでね」
「またねん!」
名簿順の座席位置だと遠くなってしまう大森くんと静川くんが席に戻る背中に小さく手を振って、もう一度先生の様子を観察する。黒髪は綺麗に丸く切りそろえられていて、大きくてクリクリしている黒い瞳に光が入って輝いているように見える。
「はい、みなさん初めまして。このクラスの担任になった、花畑龍太郎です。今年この学校に来たばかりだから、校内で迷子になっていたりしたら助けてね? みんなが楽しい学校生活を送れるように精一杯頑張ります、よろしくお願いします」
一礼して頭を上げた花畑先生はニコリとクラス中に笑いかけた。みんなが拍手をして迎えると、花畑先生は恥ずかしそうにはにかんだ。
拍手が止むと、花畑先生は空気を換えるようにパンッと手を打ち鳴らした。花畑先生は人懐っこい笑顔で、空いたままになっている二席のうち窓際の一席を手で指し示した。
「このクラスには転校生が一人いるから、みんなにも紹介するね。藍良くん、入ってきて」
花畑先生がドアに向かって手招きするとガラガラとドアが開いた。一人の男の子が入ってきた瞬間、私には彼の動きの全てがスローモーションに見えた。さっき少しだけ見た深い青の髪。目にかかりそうな長さのそれを靡かせながら歩く姿は金平糖を振りまいているように輝いていた。
琥珀糖のような瞳が私たちの方を見据えると、教室のいたるところで息を飲む音が聞こえた。
「十六夜藍良です。よろしくお願いします」
芯が通った凛々しい声とまっすぐ伸ばされた背筋。圧倒的なオーラを身にまとう彼、十六夜くんの視線が顔を上げてからずっと私に向けられている気がして緊張した。気のせいだって分かってはいるけれど、バタフライピーで着色した琥珀糖のような、海の宝石のような瞳に私の目は釘付けになった。
「藍良くんの席は窓際の空いている席だよ。藍良くんも含めて、もう少し詳しい自己紹介は始業式のあとのクラスルームの時間にやるから、みんな何を話すか考えておいてね。さ、体育館に行くから廊下に名簿順で並んで」
花畑先生の声をぼんやり聞きながら、窓の方に視線を向ける。中庭のすっかり葉桜になったオオシマザクラの大樹を眺めながら、視界の端で光を反射している青い髪は気にしていないようなふりをした。
「藍良くんかっこいいよね」
「私狙っちゃおっかなー?」
「えー、私も狙ってるし!」
「あれは絶対彼女いるって」
前のドアの辺りで騒ぐ女子たちの会話が耳に入ると、急に葉桜への興味がなくなって窓から視線を外した。
「おい、行かねぇの?」
「ん?」
「ん? じゃねぇよ。これから始業式だろうが」
後ろから声を掛けられて驚きながら、剣持くんの言葉の意味をゆっくり嚙み砕いていく。そうだ、始業式に行くから、廊下に並ぶんだ。
「そうだね、ありがとう」
「まったくもう、モモってば転校生くんに見惚れてたな?」
「静川くん、そんなわけないでしょ」
静川くんは私たちの方に来ると、ニシシッと笑いながら剣持くんに抱き着いた。その瞬間剣持くんのこめかみに血管が浮かんで静川くんを振り払った。
「おい、離れろ」
「言われなくても。ダメだなぁ、切り餅くんの身体、名前の通りカチカチだよ。つきたてのお餅くらいもちもちしてないと!」
「だから、俺は剣持だっつうの! てか、そんな身体で喧嘩できるかよ」
見た目は真面目そうなのにゆるっとしている静川くんと、ゆるい見た目で意外と生真面目らしい剣持くん。案外相性はいいみたいで安心した。
「剣持くん、喧嘩って?」
「あ。いや、別にむやみやたらと喧嘩してるわけじゃないからな? 必要なときだけだから」
「そうなんだ? でも、怪我には気を付けてね?」
「お、おぅ……」
歯切れが悪いことは気になるけれど、剣持くんはホッとしたような顔をしている。これ以上聞くのも野暮だから、と立ち上がる。
「並ぼうか」
「そーね。伸し餅くんも行くよ」
「お前、もはやわざとだろ」
「えー? 何のこと?」
ふふっと笑って舞うように廊下に出ていく静川くんに向かって大きくため息を吐いて髪をガシガシと掻いた剣持くんもそのあとを追っていった。
そういえば大森くんはもう外にいるのかな。自分も廊下に向かおうとした足を止めて振り返ると、十六夜くんが机に突っ伏していた。他の人は誰もいないし、寝ているようなら起こさないと不味いよね。
「あの、十六夜くん」
そっと近づいて肩を揺らしてみる。スッと顔を上げた彼の目はぱっちり開いていて、どうやら寝起きというわけではなさそうだった。
「そろそろ並んだ方がいいよ?」
「君は?」
「あ、私は桃山心愛です」
「ふふ、それは知ってる。そうじゃなくて、君は並ばないの?」
コテッと首を傾げた彼の笑った顔は妙にいたずらっぽい。何も悪いことはしていないのに、何かしてしまったんじゃないかとそわそわする。
「並ぶけど、十六夜くんが寝てるなら起こさないといけないかと思って戻ってきただけだよ。起きてるなら行こ?」
「そうだね。ねえ、桃山さん。あの桜、塩漬けにしたら美味しいかな?」
「それは、もちろん。あれはオオシマザクラだから葉っぱを塩漬けにしたら桜餅に巻いたりして美味しく食べられるよ。あ、今度家庭科部でやるみたいだから行ってみたら?」
大森くんが家庭科部員だからたまにおすそ分けをもらったり、活動の話を聞くことがある。この大島中学の校章にも描かれているオオシマザクラは塩漬けに最適な葉をつけるから、毎年家庭科部で塩漬けにして学芸会の日に売っているらしい。私も少し興味があるけれど、うちの学校の家庭科部は男所帯だから入りづらくて諦めた。
「桃山さんは何部?」
「一応、テニス部。だけど、全然行ってないかな」
嫌なことを思い出した。それを掻き消そうと無理やり笑顔を作る。
十六夜くんはその深く引き込まれそうな瞳で私をジッと見つめてきたかと思ったら、ふわりと笑った。さっきと同じように目が細められると、私は少し肩の力が抜けた。
チャイムが鳴り響いた瞬間、廊下のざわめきが一瞬止んだ。私はハッとして時計を見たけれど、まだ入場の時間まで三分もある。
「チャイム、壊れちゃったのかな?」
大きくなった廊下のざわめきにかき消されないように十六夜くんに少し顔を近づけると、十六夜くんは少しだけ目を見開いた。けれどすぐにしたり顔で笑った。
「さあ? どうだろうね? ほら、行こう」
戸惑う私をよそに、十六夜くんは立ち上がって廊下の方に歩き出す。しばらくぼーっとその背中を眺めていると、教室にポツンと取り残されていることに気が付いた。私も行こうと思ってその背中が消えたドアに向かって足を出したら、うっかり机の脚に引っかけた。
「わっ!」
やけにゆっくり視界が傾く中で、衝撃に備えてギュッと目を閉じた。
けれど衝撃は来なくて、その代わりに、ありえないことだけど一瞬身体が空中で止まった気がした。それから安心感がある温かいもので包まれて、お母さんの腕の中にいるようでホッと息を吐いた。けれど、冷静になると自分の状況が分からなくて恐る恐る目を開けた。
「大丈夫?」
「え?」
目を開けてすぐ、強く目をつむりすぎてぼやけている視界の中にぼんやりと人影が写った。ピントが合ってくると目の前には十六夜くんのドアップがあって、私は慌てるでもなく、完全に思考がショートした。
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