【終章】世はなべて事も無し
The story continues...
セーラー服に袖を通して桜並木を歩いた、あの日から1年。
不思議なことに病院通いは減り続け、いまは月に三回程度だ。
担当医が白いお髭の似合うベテランのお医者さまに代わったことは、通院回数と関係あるのかな……まさしく、わたしは病弱なままだもの。
「天文部にしておけばよかったなあ。今夜は
目の前に積み上げられた書籍に気持ちが
「なにを
咲良が「ふふっ」と笑いかけながら本の山を指す。
「さあ、早く片付けないと終わりませんわよ。締め切りも近いのでしょう、センセイ」
「文芸部もじゅうぶん重労働だと思うわ」
さらなる抵抗を試みようと声を発するが西園寺家の御令嬢は聞いてない。
わたしは諦めて、のそのそと立ちあがる。ハードカバーのゴツい本を一冊づつ棚へと差し込む作業に戻った。
「ところで、もう……落ち着きまして?」
咲良が今度は遠慮気味に聞いてきた。
「うん大丈夫、だと思う。わたしの苗字が代わることは無さそう」
パパもママも、わたしの前では仲良しだった。でも本当は、ずっと長いあいだ喧嘩をしていたそうだ。
「愛依はパパとママ、どっちが好き?」
ふたりから同じ質問をされた。何回も。
「新人賞を受賞して、実際に本が出て、その後くらいに喧嘩は収まったっぽい」
「さすが文豪パワーは凄いですわね」
「家族皆で
「ああ、デビュー作『アストロ』のお話ですわね」
「うん、その元になったお話も一緒に」
「ええっ、なんです? あれって、やっぱり元になったお話があるんですね。聞きたいわあ」
「また、今度ね」
──僕は愛依ちゃんと別れたくないにゃッ!
中性子星はブラックホールになる直前の星。あらゆるものを引き寄せ、光までも吸い込むので、その姿は暗黒の黒石。地球から観測するには、周囲の重力を計測する専門の装置と位置を特定するスーパーコンピューターが必要だと祥子が教えてくれた。
わたしの眼には、もう見えないんだ。
「星に興味があるなら天文部へ来なさいよぉ」
「咲良が離してくれそうにないわ」
「あらあら、お熱いことで」
朝倉祥子は気さくな子だ。中学生になってからの知り合いだけど、いつも明るく笑う。わたしも元気をもらっている。
「あぁ、やっぱり天文部いいなぁ」
「わがままな作家センセイですわねぇ。週末にプラネタリウムへ付き合ってあげますから、今は手を動かす」
咲良はいつも厳しい。
「ブラックホールに生命は生存出来るのか」
何気に呟いた。
「次回作の構想ですかあ、センセイ。いくらでも相談に乗りますわよ」
咲良は将来、きっと世話焼きの編集者になるだろうなあ。そんな未来が見えた。
ふたりで玄関へ出て驚いた。随分と薄暗くひんやりしていたからだ。
「あ、雨」
「ですわね、天文部じゃなくて良かったでしょう?」
明日は祥子の愚痴大会だなあ、よし咲良に相手をさせよう。
それにしても困ったな。傘を持って来てない。
「はい、こんなこともあろうかと」
咲良が両手それぞれに折りたたみ傘を持ち、自慢げに胸を張る。
「なんで二本も持っているの」
「いつもですわ。わたくし自慢のリュックはブラックホールと繋がっているのですわよ」
と、「ほほほっ」とお嬢様笑い。
でも、その大きなリュックを「よっこいしょ、」と担ぐ姿はお嬢様とは思えない。この子はこの歳にして完全に下町のおばちゃん化している。
「ありがとう。助かるわ」
「どういたしまして」
「まさか、そのブラックホール・リュックから黒猫は出て来ないよね」
「え?」
「ううん、なんでもないわ」
──にゃぁぁん
「え?」
どこかで猫の鳴き声が聞こえた。
「どうしましたの?」
「いま、猫が……」
「ああ、たぶん野良猫ですわ。昨日は体育館の裏にいました。校長先生が餌付けしているみたいで、丸々と肥えた黒猫さんでしたわよ」
衝撃が走る──いや、そんなことは無い。と、すぐに考えを打ち消す。
彼はブラックホール世界で皇帝になっているはずだ。こんなところに居るはずがない。
「なんでもない」
「気になるなら、明日一緒に探しましょう」
「……うん」
しとしと降る春雨のなかを、わたしたちは歩き始める。
学校倉庫わきのトタン屋根の下で大柄な男子がひとり、雨宿りをしているのが眼に入った。
「愛依、わたくし今日は一人で帰ります」
「もう、そんなんじゃないから!」
「はいはい、わかってますわ。万年ボール拾いの野球部員が、事もあろうに我が校のエースである文豪女子と連れ添うなんてありえません。でも、いいのよ。今は自分の気持ちに素直でいらして」
わたしは、ゆっくり倉庫へ近づく。咲良から借りた折りたたみ傘を握りしめて。向こうは気づいていないみたいだ。そっと忍び寄って脅かしてやろう。
そして、こう切り出すのだ。
「太陽くん、一緒に帰らない?」
星の皇子さま 猫海士ゲル @debianman
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