3章 青いはな③

「夏休みどうするの? いつ帰省する?」

「え……、ほんとに来る気なんですか?」

「うん」

「えぇ……」

「いいじゃん! 岳の地元行ってみたいの」

「別にそんな面白い所ないですよ。普通の街ですし」

「私は岳が隣にいればどこでも面白い場所になるんだよ」

「……はいはい」

「あ、照れた」

「照れてないです!」

「で、いつ帰省するの?」

「え――お盆くらいですかね?」

「……それほんと?」

「……はい」

「じゃあこっち向いて言える? 私の目見れる?」

「……」

「嘘ついた?」

「……はい」

「素直でよろしい。で、いつなの?」

「まだそこまで考えてないんですよね――いや、ほんとですって。なんですか、その目。ほんとですから! まぁ、何となく新幹線が混んでるのは嫌だなぁとは考えてるんですけど」

「そっか。じゃあ、決まったら教えてね?」

「……先輩はどうするんですか? 夏休み」

「私? 私は鏡華さんの手伝いとかかな?」

「手伝い?」

「そう。あとはゼミの合宿とかもあったかな? あ、でも寂しがらなくて大丈夫だよ? 時間がある時は岳と一緒にいるから」

「寂しがってないんですけど」

「はいはい。そんな強がらなくてもいいんだよ」

「だから強がってもないですって」

「またまたぁ? まぁ、でも楽しい夏休みになりそうだね」

「それは良かったですね」

「あと、いつ帰省するかはちゃんと教えてね」

 逸らせなかったか。

 目論見が外れて溜息をついていると、誰かから声をかけられたみたいに久遠は背後を見上げた。

「うん、分かった。ありがとね。岳、行くよ」

 久遠は立ち上がって砂を掃ってから交差点へのスロープへ向かって歩いていく。その後ろをついて行き交差点へ出ると、柱の所でしゃがんでいる男性がいた。その姿が見えるということは――。

 隣の久遠はホッとしたような顔で男性へと近付いていく。

「こんばんは」

 久遠の挨拶に男性はしゃがんだ格好のまま振り返り〝あぁ、どうも〟と挨拶を返した。そして、その場を動かずにこやかに微笑む久遠に少し困惑した様子で立ち上がって訊ねた。

「えっと……どちら様ですか?」

 戸惑った表情を浮かべる男性の顔はどことなくかれんちゃんに似ている気がした。

「そうですね……。かれんちゃんの友達ですかね?」

「ともだち……?」

 更に困惑したように男性は首を傾げた。

「そこの花束、かれんちゃんと一緒に選んで供えさせていただいたんです。その後、お家にお邪魔させていただいて、一緒に遊ばせてもらって」

 青の花束を見た男性は得心したように〝あぁ〟と大きく頷いた。

「そうなんですね! いや、ビックリしてたところなんですよ、こんなに立派な花束があって。そうですか、すみません、わざわざ」

 男性は控えめな微笑みを浮かべながら頭を下げた。

「いや、そんな。驚かせてしまってすみません。かれんちゃんのお父様ですよね?」

 顔を上げた男性は〝えぇ〟と頷いた。

「お二人は今お帰りとかですか?」

「いえ。あなたを待っていたんです」

「……はい?」

 久遠の言葉に当然の如く困惑気味に聞き返した。〝待ってた……?〟と小さく呟いている。そんな様子に久遠はふふっと笑って訳を話した。

「お家にお邪魔させてもらった時におばあ様から色々伺ったんです。それでかれんちゃんが供えたお花を誰が持って行っているのか気になって待っていたんです」

「あぁ、なるほど。なんかすみません」

 男性は少しだけ罰が悪そうにハハと笑いながら頭を小さく下げた。そして、柱に置かれた青い花束と黄色とオレンジの花を優しい眼差しで見つめながら続けた。

「かれんがここに花を供えてるって聞いて、どうせなら汐里――かれんの母親が見られる場所に持って行ってあげようと思って彼女のお墓に持って行ってたんです」

 男性の言葉を聞いた久遠も優しい眼差しで柱の花たちを見つめながら〝そうだったんですね〟と相槌を打った。

「あ、この花束も持って行ってもいいですか?」

「もちろんです! 是非持って行ってください」

 男性はお礼を言って柱の下にしゃがみ花たちを拾い上げた。

「いやぁ、そっか――。いや、


 久しぶりなんです、ここに花が供えられていたのは――」


 男性の放った言葉に思わず久遠の方を向くと顔を見合わせるような形になった。

「てっきり、かれんはもう供えるのをやめてしまったと思って少し寂しかったんです。でも、こうやってまた供えてくれたのが嬉しくて――」

 男性は嬉しそうに花たちを見ながら優し気な笑みを浮かべる。

「あぁ、すいません。では、この辺で失礼します」

「ちょっと待ってください!」

 満足そうに立ち去ろうとした男性を久遠が呼び止める。

「え、あ……まだ何か?」

「あの、この道はよく通られるんですか?」

「えぇ、仕事の時は毎回通ります」

「それで、お花は久しぶりに供えられていたんですか?」

「はい、そうですけど……」

 男性の戸惑ったような返答を聞いた久遠はこちらへ視線を向けた。何が何だか分からず、首を傾げるしかなかった。

「あの……どうかしたんですか?」

 男性の質問に久遠は答えることなく、下唇に人差し指を添えて考えるように下を向いている。そんな久遠の代わりに口を開いた。

「実は……かれんちゃんはご家族でお花を供えて以降今日まで毎日お花を供えているようなんです……」

「……えっ?」

 男性は柱の下へ振り返って記憶を確認するように一瞬考えてから、

「いや、でも、ここ数日何もなかったですけど……」

 そう言ってもう一度確認するように柱へと視線を向けた。

 何かを考えている久遠の横顔を窺う。お花を持って行っているのはもう一人いる。いや、果たしてそれは――。

「先輩……これって――」


 ニャーオ


 猫の鳴き声に少しビクッとして辺りを見渡す。

「猫――」

 久遠は小さくそう呟くと顔を上げ男性を真っすぐ見つめた。

「あの、この辺で家族の思い出の場所ってありますか?」

「思い出……ですか?」

「はい。よく行った場所とか」

 男性は俯き少し考えて、顔を上げた。

「稲村ケ崎の公園とか。景色が良くてかれんが産まれる前も産まれた後もよく行ってました」

「公園……。近いですか?」

「いやまぁ車ならそんなにかからないですけど」

 男性は戸惑いながら答える。

「なるほど。今から行ってみませんか?」

「え?」「今から?」

「はい。ちなみに幽霊とか視えます?」

「……は?」

 男性はこの日一番の困惑した顔を浮かべた。



「幽霊を分類していくと大きく二つに分かれるんです」

 公園の高台へ向かって先陣切って歩く久遠が口を開く。

「一つは浮遊霊。浮遊霊は自由に趣くままに移動することができます。移動に制限もないので様々な場所に行くことができます。そして、もう一つが地縛霊です」

 ただ黙って進む男性の後ろを歩く。久遠は相槌がないことを気にすることなく続けた。

「地縛霊は読んで字のごとく、場所に縛られる幽霊です。浮遊霊とは違い、その場所から大きく移動することができません。地縛霊と聞くと亡くなったその場所に縛られると思われがちですが、実際はそういうわけでもないんです。もちろん、亡くなった場所に縛られてしまう場合もありますが、他にも住んでいた家や学校、会社など亡くなった場所とは全く違う場所に縛られる場合もあるんです。

 地縛霊となって場所に縛られる場合、その場所に対する強い記憶が必要だと考えられます。亡くなった瞬間の強く衝撃的な記憶、住み慣れた家や行き慣れた学校や会社のその時まで続いていた日常的な記憶。それらの記憶が幽霊をその場所に縛ってしまう」

「日常的な……」頭の中にその姿が浮かんでしまい、頭を振ってその姿をかき消す。

「もちろん、亡くなった全員がこの世に幽霊として残るわけではありません。現に、あの交差点にもご自宅にもいらっしゃらなかった。かといって、今日それらしい浮遊霊も見かけませんでした。なので、既にあの世へ行ってしまわれた可能性もあります。それでも、この場所が家族の思い出という強い記憶の場所であれば、もしかしたらこの場所に――」

 そう言った久遠は階段を上がりきる。男性も続き、最後に階段を上がりきった。周囲を見渡すと男性と久遠以外の人はいない。久遠はあるベンチを見てホッと優しく微笑むと、その誰もいないベンチへと近付いていく。

「かれんちゃんのお母様ですね?」

 誰もいないはずのベンチに向かって話しかける久遠を男性は怪訝そうに見つめる。久遠はベンチに向かって一つ頷いて男性の方を向く。

「視えていないと思いますけど、今このベンチに汐里さんが座っています」

 久遠は手でベンチを示した。男性はただ静かにベンチを見る。

「汐里さんの声は聞こえないと思いますが、あなたの声は汐里さんに届きます。是非何か会話していただければ……私が汐里さんの言葉を伝えますので」

 久遠は微笑んで男性を見る。

 男性は何も言わないでベンチを見ている。その横顔に感情はなかった。

「あの……」

 声をかけようとしたところで男性は久遠の方を向いた。ひどく冷めた顔をしてようやく口を開いた。

「馬鹿にしてるんですか?」

 男性の放った言葉の声色に体が硬直した。

「馬鹿になんか――」

 久遠の言葉を遮るように鼻で笑いながら男性は続ける。

「汐里がそこにいる? ふざけないでください。誰もいないじゃないですか。幽霊が、地縛霊が……なんなんですか。そんな話されて、汐里がそこにいるとか――」

 ふと男性が言葉を止めた。その視線はベンチへ向かって動く小さな何かへ向いていた。トコトコと歩いてベンチへ飛び乗ったキジトラ柄のそれは甘えたように鳴いて、何かに寄りそうに丸くなった。

「みーちゃん……」

 男性がその猫の名を小さく呟いた。

「お花を持って行っていたもう一人……いや、もう一匹の犯人です」

 久遠はそう言ってベンチの背後にしゃがんで、拾い上げたものをこちらに見せた。

 それはしおれた黄色の花だった。

「みーちゃんにも汐里さんが視えていたんです。だから、かれんちゃんが供えたこのお花をここまで運んだ」

 久遠は男性にそう言葉をぶつけたが、それでも男性の顔は冷めたままだった。

「そんなのあなたたちが事前にそこに置いたんでしょう? もういいですか? こんなの……時間の無駄です」

 男性は階段の方へ歩いていく。久遠は焦った様子で呼び止める。

「待ってください! ほんとなんです! 本当に汐里さんが――」

「もうそっとしておいてください! 汐里はもういないんです! 僕には……僕が汐里の分までちゃんとかれんを育てないといけないんです! それなのに、全然ダメなんです。だって、汐里がこんなに突然いなくなってしまうって思わなくて……。彼女が死んでしまう恐怖とか覚悟とか……そういうものを受け止める準備もする間もなく彼女は逝っちゃったんです。今になってやっと少しずつ受け止めることができるようになってきて……。失礼します」

 男性は泣くのを堪えるように顔を振ってから、歩き出す。久遠を見ると寂しそうに男性を見つめている。何かを口にしようとはしているが言葉が出てこないようで、やがて苦虫を噛み潰したように下を向いた。

「……岩城さん?」

 男性の言葉にそちらを向くと岩城さんが男性の目の前に立っていた。

「どうして……?」

「彼女が言っていること、ホントのことなの」

 岩城さんは男性を諭すように言った。

「はぁ? 岩城さんまで何を……」

「私も視えたの……汐里さんが」

 その言葉に男性は驚いたように言葉を失った。そして、こちらも同じく驚いた。

「みーがかれんちゃんのお供えしてたお花の前で鳴いていて、どうしたのかと思ってお花を手に取ったらみーが歩き出して……。ここに来たら汐里さんがあそこのベンチに座っているのが視えて。でも、言っても信じてもらえないと思って、言えなくて……。ほんとうにごめんなさい」

 岩城さんは深く頭を下げた。

「なんで……岩城さんまでそんなこと……」

 男性は顔をしかめながら呟いた。苦し気な表情のままベンチをチラっと見て、岩城さんの横を通り過ぎようとした時、


「華やかで美しく、みんなから愛されて尊敬されるように」


 久遠の言葉で男性は立ち止まり驚いた顔で振り返った。

「どうして……」

「これを言えば淳弥じゅんや君は信じてくれるって汐里さんが……」

 男性は目を見開いてベンチを見た。

「汐里――ほんとに……?」

 男性はベンチに向かって頼りなく一歩を踏み出した。久遠は男性の様子にホッと安心したかのように微笑んだ。

「いるんです。汐里さんはあそこに。あなたから視えないかもしれないし、声も聞こえないかもしれない。それでも、確かにいるんです。今だって、あなたのこと見てクスっと笑ってますよ?」

 男性の目から涙が一筋零れる。そして、次々に涙が男性を襲った。

 久遠は再びベンチに近付いて、その言葉を聞くように耳を傾けた。そして、頷いて男性を真っすぐ見つめた。

「汐里さんがあなたに伝えて欲しいと。


〝淳弥君、先に死んじゃってほんとにごめんね。色んなこと沢山約束したのに破ることになっちゃって……まさかこんな突然死んじゃうなんて思わなかったよ。私はもう見守ることしかできないと思うから、かれんのことは頼んだよ? 私の分までかれんを沢山愛してあげて。でも、1人で気負い過ぎないこと。手を伸ばせば助けてくれる人はたくさんいるから、1人で色んなもの背負っちゃダメだよ? 私もここにいるから、辛くなったらおいで? 淳弥君は私のこと視えないかもしれないけど、ここのベンチに座ってくれたら隣に座るし、愚痴でも何でも聞くよ。目いっぱい元気も送るから、無理せず、淳弥君のペースでかれんのことよろしくお願いします。それから……もしこれから結婚したいって思えるような人と出会ったら、私のことは気にしなくていいからね。2人の幸せが一番大事だから……淳弥君とかれんの幸せを最優先にしてね〟」


 言葉を聞いた男性は溢れ出る涙を地面に落としながら肩を震わせた。

 久遠と岩城さんはその様子を温かく見守るように見つめた。


 自分は今、どんな顔をしているのだろうか。


 ***


 あの日から数カ月が経った。

 小学校の卒業式が終わり、中学校の入学式も終わった。着慣れないスーツを着て臨んだ卒業式にも、まだまだ違和感のある学ランを着た入学式にも、どこにも母の姿はなかった。

 姉は高校三年生になって受験生となった。それまでは東京の大学に行きたいなんて話していたのに、志望校は県内の、それも近いところの大学を選んでいた。

 父は今でも休日になれば母の情報を求めて出かけている。それでも、目ぼしい情報は何も見つからなかった。

 母の担っていた家事は姉と父が分担して行うようになった。主に姉が担う部分が大きいから自分も率先して手伝うようになった。

 母のいない生活は相変わらずぽっかりと穴が開いたようだった。それでも、慣れたくなんてないのに、徐々に慣れてきてしまっている。そんな自分が心底嫌になる。

 そうして時が流れていった。中学校の体育祭、文化祭、授業参観、卒業式――母はそこにはいなかった。高校に上がっても、母の姿を見ることはできなかった。

 母が最後に参加した学校の行事は小学校の授業参観だっただろうか。母親が来ることを恥ずかしがっている他の子の隣で寂しさと虚しさを精一杯の平気な顔をして噛みしめていた。父が来たり、姉が来たりしてくれるのは嬉しかったが、心のどこかではずっと母に向かって手を伸ばしていた。掴めないと半分は諦めていながら、それでも僅かな期待にかけるのだ。

 明日には母が帰ってきて、またいつもの日常に戻ることを。

 そして時が経つに連れ、あの日からのしかかってくる何かが何なのかが分かるようになった。

 違う。


 気付かないように目を逸らしていただけだった。


 ***


 綺麗だろうと思っていたスイートルームのベランダから見る夜景はやはり綺麗だった。

「おつかれ」

 ぼんやりと眺めていると久遠が隣にやって来た。久遠は晴れやかな笑顔で同じように目の前の景色を満足そうに見た。

「お疲れ様です」

「はい、これ」

 久遠はこちらにレモンスカッシュの缶を差し出した。

「ありがとうございます」

「乾杯」

 久遠はこちらが受け取ったレモンスカッシュの缶にチューハイの缶をぶつけてから、缶をカシュッと開けた。

「……先輩ってお酒強いんですか?」

 缶を傾けている久遠に訊ねると、飲み込んで答えた。

「どうだろう……そんな凄い飲むわけじゃないからなぁ。でも、多分強いのかな?」

 久遠は首を傾げながらまた缶を傾けた。その様子を横目にレモンスカッシュの缶のプルタブを開けて口に運ぶ。

「岳は? 強い?」

「さぁ? ちゃんとお酒飲んだことないんで」

「あれ? 新歓行ったんでしょ? 飲まなかったの?」

「新歓の時はビール少しだけ飲みました」

「少しって? 一杯とか?」

「一口」

「一口?」

 久遠は驚いた顔でこちらを見た。

「だって苦くて飲めないですよ、あんなの。逆にあれを美味しいって思う人は病院行った方がいいですよ、絶対」

「そんなに? ふふ、まだまだ子どもってことだね、岳は。可愛い」

「うるさいです」

 ニヤニヤした顔をしている久遠にムッとした顔をする。久遠はどこ吹く風とまた缶を傾けた。

「岳が二十歳になったら、美味しいビール飲み行こうね」

 久遠は海を眺めながらそう言った。優しい風が久遠のサラサラした髪をなびかせる。

「え、嫌です」

「流れと雰囲気考えようね、岳?」久遠は横目でこちらを睨んだ。

「なんか危なそうだし」

「危なくないよ! 別に無理に飲ませたりもしないし。岳が潰れたら私が介抱してあげるし」

 久遠はそう言ってムフフと笑っているからやっぱり危なそう。お酒に薬盛られそう。

 そんなことを感じながらレモンスカッシュの缶を傾け、爽やかな甘みと炭酸を喉へ流し込む。

「どうせならこれ飲んでみる?」

 見ると久遠はこちらにチューハイの缶を差し出している。

「これ甘いし、4%だし」

「何のお酒ですか? みかん……?」

「そう。蜜柑」

 受け取った缶には蜜柑のイラストが大きく描かれている。

「……ほんとに甘いんですか?」

「私が嘘ついたことある?」

「たくさん」

 久遠はアハハと笑った。

「今回は大丈夫だよ。でもあんまり急に飲み過ぎちゃダメだよ? ちょっとだけね?」

 久遠の忠告通り缶を少しだけ傾けるとしゅわしゅわした蜜柑の甘い液体とパルプが缶の中からやって来る。

「どう?」微笑みながら久遠が訊ねた。

「美味しいです。なんか蜜柑サイダーみたいな感じで」

「確かにね。こういうお酒ってジュースみたいなの多いからね」

 クスっと笑う久遠に缶を渡す。

「気持ち悪くなってない?」

「全然大丈夫です」

「そっか。それは良かった」

 久遠は缶の飲み口を見てニヤリと笑った。

「間接キスだね」

「あ……」

 久遠はいたずらっぽく笑った。そして、海を眺めながらゆっくりと缶を傾けた。

 いつもなら気を付けているはずなのに、どうして普通に飲んでしまったのだろうか。これがこの場所の持つ雰囲気とかの影響なのか。それとも、そんなことを気にする余裕がないほど、別のリソースに頭が割かれているからだろうか。

 気まずさとかの感情をレモンスカッシュと一緒に喉を鳴らしながら色々と飲み込む。そして、話題を変えようと口を開いた。

「先輩は最初から気付いていたんですか? 岩城さんが関わっているって」

 あの場所に現れた岩城さんは幽霊が視える人だった。お花を運んでいたのは岩城さんで、話していた通り猫のみーちゃんに誘われるままあの場所でかれんちゃんのお母さんと再会を果たしたらしい。ただ、岩城さんは幽霊と会話をすることができないらしく、お花を嬉しそうに眺める彼女を悶々とした思いで見ていたのだと話してくれた。

 主犯が猫のみーちゃん、実行犯が岩城さん。

 こう考えると、今回の騒動は何とも不思議な話だった。

 こちらの問いに久遠は苦笑いを浮かべて首を横に振った。

「正直あのベンチの後ろ見るまでみーちゃんが運んでるって思ってたよ。私の好きな小説でそういう場面があって、実際にそういうことってあるのかなって調べたからそれが頭に残ってて。でも、よくよく考えてみれば、かれんちゃんはペットボトルにお花を挿していたし、そのペットボトルがあそこにあったから、そこではじめて気づいたの。別に持って行っている人がいるって。まさか岩城さんだとは思わなかったけどね」

 久遠は失敗してしまったみたいな様子だが、かれんちゃんのお母さんの居場所を当てた時点で普通に凄いと思う。結果として、かれんちゃんのお父さんはお母さんと再会できたわけで……。

「でも、先輩以外にも幽霊が視える人っているんですね。動物もそうですけど……当たり前といえば当たり前か」

「そうだよ。意外と視える人っているからね。それに動物は人間より感覚が鋭くて幽霊の気配も感じ取れるらしいからね。ほら、犬とか何もない所見て吠える時あるでしょ? あれはそこに幽霊がいるってことだよ」

「……凄く有難くない情報ですね」

「怖い? 一緒のベッドで寝てあげようか?」「結構です」

 久遠は小さく舌打ちをした。

「でも、なんだかんだで全部先輩の祈った通りになりましたね。花を持って行っていたのはかれんちゃんのお父さんとみーちゃん・岩城さんで、かれんちゃんのお母さんは物に触れないって」

「おかげでかれんちゃんのお母さんが今すぐあの世に行く必要はないし、かれんちゃんのお父さんも無事に信じてくれたし、めでたしめでたし、だね」

「いつまでこっちにいられるんですか? かれんちゃんのお母さんは」

「どうだろうね――いつかはあの世に行ってもらわないといけないんだろうけど、できるだけかれんちゃんの成長を見守ってあげて欲しいよね」

 久遠は優しい笑みを浮かべて言った。そして息をゆっくり吐いて呟いた。

「素敵な家族だったなぁ。私たちもあんな風になれたらいいね」

「……あ、頑張ってください」

「私と岳で〝私たち〟だからね? 首傾げないの。当たり前でしょ? はい、嫌そうな顔もしないの」

「将来が憂鬱です」長く深い溜息が口から出ていく。

「そんなこと言ってほんとは内心嬉しいんでしょ? こんな綺麗なミス慶名の女の子から結婚迫られるわけだし」

 ニヤニヤとこちらを見る久遠を無視してレモンスカッシュを飲む。


「岳の家族ってどんな人たちなの?」


 その言葉に心臓が小さく跳ねる。久遠はこちらの内心に気付かぬまま続ける。

「結婚したら私の家族にもなるわけだし、それにほら、夏休みに挨拶もしに行くし、どんな人たちか知っておきたいからさ」

「あぁ……、そうっすね……」

 鼓動が早くなる。首は久遠の方を向くのを拒むようにゆっくりと少し反対方向へ向いた。

「何人家族なの?」

「……四人です」鼓動の早くなった心臓が締め付けられる。

「四人ってことは兄弟いる? 上? 下?」

「上です。姉がいて……」

「お姉さんいるんだ! やっぱりお姉さんも美人さん?」

「そうですね……。友達とかから散々そうやって言われましたね」

「そっか。自慢のお姉ちゃん?」

 久遠のふふっと笑う声に頷く。何回でも頷けるほどそう思う。

 本当は東京の大学に行きたかったはずなのに、県内の大学に入って勉強もして家事もして。嫌な顔もしないで、大変なはずの二つのことをこなしていたのだから。

「いいなぁ。私一人っ子だから兄弟憧れるんだよね」

 久遠の羨まし気な呟きが耳に届く。心は必ず来るその質問に怯えている。

「お父さんは? 仲良い?」

 久遠の質問に内心ホッとしつつ答える。

「仲は……まぁ、いい方じゃないですかね? 子どもみたいっていうか、くだらないこと言ってゲラゲラ笑ったり、変なことばっか聞いてきたりして鬱陶しい時は多々ありますけど。でも、優しいし、ちゃんとした時は頼りになるし……」

 だからこそあの日の父の悔しそうな、落胆したようなあの顔がずっと忘れられない。

 二人の姿が頭に思い浮かぶ。泣いている姉とそんな顔をしながら慰めようとする父。責任という重いものがのしかかって頭を下げさせようとする。

「へぇ、良いお父さんじゃん。友達みたいな感じ? 私はお父さんとそんな感じじゃないからなぁ――


 岳のお母さんは? どんな人?」


 心臓は大きく跳ねた。予想できた質問のはずなのに、身構えていたはずなのに思わず取りこぼしそうになる。

「そう、ですね……」心臓に鈍い痛みを感じる。

 今の自分の顔はきっと久遠には見せられない。

「優しくて……、温かくて……、料理が上手で、同級生が凄い羨ましいって言ってくれて、それで――」


〝小六の時にいなくなっちゃったんです〟


 無意識に出て行こうとしたその言葉に気付いて、咄嗟に出て行かないように繋ぎとめようとした。それでも出て行こうとする言葉をギリギリの所で引っ張っていると、

「岳?」

 久遠のどこか心配したような言葉が聞こえた。そして、繋ぎとめていたそれを放してしまった。


 何も言わない久遠に焦って勝手に言葉が口から出てくる。

「買い物に行くって出ていったきり、帰ってこないんです。ほんと、どこまで買い物に行ってるんですかね?」

 ハハと乾いた笑いは空しく空気の中へと消えた。更に久遠と反対方向に顔を向け、唇を噛む。

「そう……なんだ」

 ようやく絞り出したかのような久遠の声がした。その声にほんの少しだけ安心して息を一つ吐いた。

「今日かれんちゃんと会って、話を聞いてたら色々思い出しちゃって……」

 全部自分のせいなのだ。

 あの日、姉も父も母が家を出た後に帰ってきた。逆に自分だけは母が家にいた時に帰ってきた。つまりそれは、母がいなくならないように動くことができたのは自分だけだったということに他ならない。

 一緒に買い物に行く。

 ただそれだけのことだった。そんな簡単なことだったのに。

 あの日、自分が寝ないで母と一緒に買い物に行っていれば、母はいなくなったりしなかったはずなのだ。

 そうすれば、日常は続いていたはずなのに。

 そうすれば、父も姉も悲しむこともなく、もっと今と違った人生を歩んでいたはずなのに。

 そうすれば――母は今でもあの家で幸せに暮らしていたはずなのに。


〝母は繧ゅ≧豁サ繧薙〒縺?k〟


 下を向く。息を吸って、大きく吐く。

「……変でしたよね、俺」

 顔を上げフフッと笑う。

「……辛かったら泣いていいんだよ? 男の子だから泣いちゃダメなんて私は思わないし、この場所には私と岳だけだから……」

 久遠がこちらに近付いて来る気配を感じる。 

 漸く久遠を見ると目が合い、久遠は立ち止まる。

「……泣かないですよ」

「いいんだよ、泣いて。泣きなよ」

「泣けないんです」

「どうして?」

「なんでなんすかねぇ――泣きすぎて涙がほとんど枯れちゃったんですかね?」

 海の方を見て出任せを吐く。自分には泣いていい資格なんてないのだから。

「……抱きしめたら泣いてくれる?」

「先輩の胸で泣くことはないですよ」

「……岳が泣く時は無理矢理貸すから」

「悪徳ですね」

 そう笑いながら言うと久遠も笑顔を見せた。

「私の彼氏に限り無償だよ」

 そう言って隣にやって来る。

「じゃあお金かかっちゃいますね」


「岳は私の彼氏だよ」


 久遠はそっとこちらに肩を寄せた。

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アヤシイ彼女1 蒼乃 @AO_sansho

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