墨吐岩

 『墨吐岩』……そしてその人は喰われたのである。の一文で結ばれる物語の総称。最も古いものは室町時代後期の巻物に書かれた16篇であり、墨吐岩という名称もここから来ている。

 巻物の他には、岩に彫り込まれたものや数篇の話を纏めた本が発見されている。また、版木が存在することから流通していたことが推察されているが、今のところその版木で刷られたものは見つかっていない。

 最も驚くべき事実として、墨吐岩は現代も新しいものが書き綴られているということが挙げられる。1985年には原稿用紙に綴られた1篇が発見され、2001年にはカセットテープに吹き込まれた2篇、2018年には『おためし』というタイトルの個人ブログに綴られた13篇が発見された。現在、ブログは削除されている。

 単一の人間が書いたのではないことは確かだが、どのような人々が何の目的を持ってこのような話を書き続けているのかということは不明。

 そのような墨吐岩の一連の資料は弟切大学図書館に所蔵されている。

 私が調べた限りではこれが限界だった。弟切大学図書館の司書に、このような資料は誰が収集しているのか尋ねたが

「申し訳ございません。そういった質問にはお答えできません」

 と、想定外の返答をされてしまった。

 大学にいる何者か、もしくは奇矯な芸術家か誰かが私のように余計な知識を求める人間を引っ掛けるためにこんなものを用意したのか?

 資料を改めて見る。岩に彫り込まれたものは流石に現物ではなく、複数枚の写真と、その岩のある所在地が記されている。これらの資料が創作ならこの岩は実在しない。岩が実在しないなら所在地も架空の地名の可能性が高い。

『群馬県吾妻郡中之条町白砂山中』

 その山は実在した。資料には山のどのへんにあるのかのマップも描かれている。スマホで調べた地図によればその岩の近くまで自動車道が敷かれているし、頑張れば日帰りできない距離でもなさそうだ。

 ここで引き下がるのも後味が悪い。

 暑くも寒くもない良好な天気のもとで車を走らせ、岩の付近に路駐すると早速山へ分け入る。傾斜はなだらかで、日の光もよく届いて明るいので危なげなく進める。

 息切れもしないうちに辿り着いた。苔むした岩には文字が彫り込まれている。

 本当にあったんだ!と吹っ切れた気持ちになったと同時に、いくつかの不可解な物事が吹き上がってきた。

 誰がなんのために?なぜ研究者が公開されない?なぜあの大学でのみ収集している?

 視線を岩より向こうにやると、池があることに気がついた。池は不自然に波打っている。

 大きい魚でもいるのだろうかと湖に近づき覗き込むと、青白い腕が私の首を掴んで水へ引き摺り込んだ。

 そしてその人は喰われたのである。

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