邪神協会日本支部+

サントキ

胡乱な若者

「貴方、中々良い本をお読みになっていますね」

 若者に声をかけられたのは、大学図書館で本を読んでいたときだった。背後から嗄れた声でふいに声をかけてきた。

「フランフランだとかの本ですよね?」

「フランクリン。ローランド・フランクリン」

 ローランド・フランクリン著の『人はみな視界から消える』の表紙を若者に見えやすいように傾ける。

 ここで初めて若者を視界に入れた。その若者は黄色っぽい白髪に黄色い目を持ち、猫背だがそれでも分かるほど長身でがっしりとしている。そして鼻から下をマスクで覆い、クシャクシャのレインコートのような服を着ていた。返事のあとにその異様な風貌に気が付いたものの、この町では珍しいことでもないかと思い直す。

 彼は少しかがんで表紙を見つめると、少し考えるそぶりの後に問うた。

「ああそう……こういうのがお好きなのですか?その…輪廻転生とか、魂だとか」

「ええ。好きですよ」

 ……実を言うと、これ自体は面白いと思って読んでいる本ではなかった。しかし、輪廻転生とか魂だとかで括られれば大いに興味があるのもまた事実であった。

「私も大好きで……お時間ありますか?おしゃべりをしても大丈夫なところでお話しませんか」

 突然の申し出に驚いて返答できずにいると、若者はその黄色いけだるげな目を細め、どうですか?と再び尋ねてくる。

「それは……あまり、詳しい自信がないのですが」

「とりあえず外のベンチに行きましょうか。その本は借りているものですか?そうであれば借りてから……」



 突拍子もない事だったとはいえ、この町で同じ興味を持つ友人ができるかもしれないという期待に胸を膨らませる。この町に限らず私に趣味の合う友人はいないのだが……

 ベンチに並んで座ると、彼は本を開き、ある単語を指差した。

「詳しくないとはおっしゃっていましたが、まず……アイホートは知っていますか?」

 この本で繰り返し出されている単語だ。本を途中から斜め読みしていたせいでそれ以上のことが私にはわからなかった。ただ、生来のプライドのおかげで『知らない』と言うことが憚られ、どうにかアイホートに関する記述を思い出そうとした。

 黙り込んでいるのは知らないと言っているも同然だ。私が記憶を呼び出すよりも彼が会話を進めるほうが早かった。

「この本で初めて見た言葉ですか?ならば何一つわからないでしょうね。あくまでこの本は輪廻転生などについて語るにとどまってますしね」

 本を閉じると、私に押し返す。

「できるなら私の家で多くの専門的な書とともに語りたい、が……悪い同居人が部屋を散らかしてしまって、とても人を呼べる状況じゃない。外で語るにしても、持っていくべき本が多すぎて駄目だ」

 そこまで言うと彼は握っていた手を緩め、ため息をついた。彼は私がもう少し詳しい人間であることを期待していたのか?それとも単に同類を見つけたと思い声をかけたのか……私の無知が彼を落胆させたのであろうか?

 暫くの沈黙の後、彼は何かを思いついたように私に顔を向けた。

「電話番号を教えます。私の番号は……」



 それから、毎日同じ時刻に彼から電話がかかってきた。最初は当惑したものだが、すぐに楽しい日課となった。彼は、どんな話題であれ面白い話を提供してくれたし、彼の話す調子は心地よかった。(心地よくなっていったというのが正確かもしれない。最初のうちは話し方が何度も変わって不安定だった)

 彼と出会ったきっかけにも関わらず、オカルトじみた話題が出ることは少なかった。それよりも彼のことを知る方がよっぽど私の関心事になっていたためだ。

 彼は、初日の電話で自分のことをアキと呼んでほしいと言い、苗字までは教えてくれなかった。私とてそれを詮索するほど無神経ではない。次第にアキという名もただの愛称に過ぎないであろうことが察せられたが、それについても直接聞くことはしなかった。

 好奇心がなかったわけではない。むしろ気になりすぎてアレコレと突拍子のない妄想に囚われさえした。だが、友人があえて言わずにいる事柄に土足で踏み入るようなことをしたくないというだけだった。

 そんなわけで、彼との電話のほとんどは当たり障りのないお互いの近況報告であったが、このオトギリ町で失踪と強姦殺人が頻発し始めると事件の話もするようになった。

 憶測や警察への批判や犯人への罵倒を交わし、電話を切る直前にはお互いの無事を願った。

 そんな折、ようやく彼から家に来ないかという申し出があった。

 二つ返事でそれを了承した。


 予定時刻よりだいぶ早めに、彼が待ち合わせ場所として指定したコンビニへ向かった。

 道中見かけた掲示板に、行方不明者を探すための張り紙がされていた。5人の人間が年齢も性別も関係なく消えている。横には強姦殺人の目撃情報を求める張り紙がある。既に3人殺されており、そのうちの一人は、今張り出されている5人の行方不明者の中にいる。

 凄惨な事件がこの町で起きているにも関わらず外出している迂闊さを一瞬だけ後悔したが、今の時間帯は人もいるし大丈夫だろうと気を持ち直し、再び歩き出した。

 それにしても彼はどのような部屋に住んでいるのだろうか。マンションの一室で、そんなに広くないことはわかっている。彼は何度も部屋の狭さに文句を言っていたし、「部屋が2つあればよほどちがうだろうにな!」と言ったことすらあった。

 同居人は、今いるのだろうか?彼の同居人ならば一度会ってみたいものだが、彼の態度からして会わせてくれない可能性がある。彼が私を招くまでに随分と間が開いたのも、同居人が出払っているときを選びたかったからではないか。

 様々に考えながらコンビニに着くと、既に彼がいた。前と同じ跳ねた黄色い髪に白いマスク。服装も変わらない。しかし、私を見つめる瞳は以前よりも親しみに満ちていた。

「久しぶり。毎日話してるけど……」

 彼は笑いながら歩み寄る。

「久しぶり。そうだね。でも会えて嬉しいよ」

「それを聞けてよかった。私の家へ案内しよう」

 手を引かれてどんどん行ったことのない道へ進む。ついていけるから手は繋がなくていいと言うと、私がそうしたいだけだと返された。彼がそう言うならとなすがままにする。

 やがて、薄暗くジメジメしたコンクリートの建物の前に来た。そこで彼は立ち止まると

「ここの二階の一番左の部屋だ」

と指差し、私の手を強く握り直すと外階段を登り始めた。

 私はといえば、彼がこのようなところに住んでいることを格別に驚いたりはしなかった。むしろ想像通りと言ってもいい。ふと事件のことが頭をよぎり、今ここで凶悪な犯罪者と相見えることがあってもおかしくないなと感じたが、そのような根拠のない不安は容易に振り払えた。

「はいるぞ」

 彼は彼の部屋のドアをノックし、呼びかけた。幸運なことに同居人はいるらしい。内側から返事らしき声が聞こえると、彼はドアを開け、私を招き入れた。


 ―――ツンとした鉄の臭い。狭い室内に広げられたビニールシート。彼の同居人らしき者が二人。どちらも白髪の人間。

 片方は背を向けて天井から下がった紐にビーズを通している。

 もう片方のポニーテールの男はバットでビニールシートの真ん中に横たわるものを殴りつけている。真ん中に横たわるものは呻いている。

 真ん中に横たわるものは、行方不明者の一人にそっくりな―――

 

 声を出そうとしてもでなかった。眼の前の光景に愕然として、そもそも何が起きているのかを把握しなおさなければならなかった。

 ポニーテールの男がバットを振り上げるのが見え、反射的に目を閉じた。直後に鈍い音と呻き声が耳に入る。

 すっかり馴染んでいたはずの声が語る。

「酷い暴力により死んだ場合に最も魂が肉体から離れにくいということが腑に落ちなかったと言っていただろう?」

 あの本―――人はみな視界から消える―――の記述だ。他にもいくらでも腑に落ちない文言はあったが、確かにそれについて言った覚えがある。

「実演してみせようと思って。とは言っても一度に複数を殺すと処理できないから、すぐに魂が出ていかないところを見せるだけだが―――」

 そこまで聞いて、えずいた。予想だにしなかった最悪の光景を、脳がようやく理解し始めた。

 彼は蹲る私の背中を優しく擦る。子供をあやすように。

「大丈夫か。血の臭いで具合が悪くなったのか」

 彼は、まるでこの光景がなんてことのない事かのように、いや、事実そうなのだ。彼はきっと、私とともに事件の犯人を罵倒しながら、これを当たり前のようにしていたのだ。

「アキくん。この子、ほんとに友達なの?ぜんぜん受け入れてないけど……」

 聞き馴染みのない声に顔をあげると、先程まで背を向けていた男がこちらを向いていた。その男は顔の左半分が前髪で隠れている。真っ赤な隻眼で私を見る。

「初めて見たからビックリしてるだけだ。変なこと言うんじゃない。ほら、怖がることはないんだ……」

 アキが私を抱えて立たせる。彼の声の鎮静作用にあてられて脳が麻痺したが、むしろそのおかげで目の前の恐怖を跳ね除ける勇気が湧いた。

「離せ!クソ!犯罪者共め!」

 アキを突き飛ばそうとしたが、ビクともしなかった。逆に私が手を絡め取られ、壁に押し付けられる結果となった。

「やっぱり。ねえ、アキくん。これどうするの」

「これ……これは……。まだ……」

 アキの声は震えていた。

 想像をした。アキはこの二人の大悪人の被害者なのではないか?彼は最初、この男たちを悪い同居人と言っていた。彼らが悪事に手を染めるごとに、アキは止めることもできず巻き込まれたのではないか?私に助けを求めて招いたのではないか。長い間私を家に招けなかったのも、悪党に監禁されていたからではないのか。(冷静に考えれば、これが稚拙な理論であることは分かる。しかし私は冷静ではいられなかった。むしろこの状況で冷静でいられる人間などいるだろうか?)

「腕が痛い!アキ、離してくれ…」

 とにかく、ここにいたって私は彼の良心を信じる他なくなった。

 目論見は一旦は成功した。アキは掴んでいた手を緩め、持ち直そうとし……

 私は緩んだ拘束を渾身の力で振り払ってドアへ駆け出した!外に出て、警察に駆け込めばこれは終わる。

 クソ犯罪者どもめ!と頭の中で毒づきながらドアノブを掴もうとして、空を掻いた。

 ドアははるか遠くにあった。走っても走っても辿り着けない。床が湾曲し平衡感覚が消える。気がつけば横に大きな窓があったが、外は異様に暗く、黒い尖塔と―――

「アキくんは自惚れやさんだね」

 後ろから隻眼の男の声が響いた。振り返らない。足を止めるわけにはいかない。

「逃した小鳥が帰ってくると信じてるらしいけど、ぼくはそうは思えないなぁ」

 哄笑を浴びながら、とにかく必死に走った。本当に私は走っているのか?景色は歪み続け、足の感覚も曖昧になっていく。

「でも彼、人間が期待通りにならなかったことがないから、いい勉強になったかな?」

 背後でいくつかのヒソヒソ声がする。ゆったりとした足音が徐々に近づいてくる。

「でも、きみは酷いよねぇ〜!彼、友達ができたこと、たいへん喜んでたのになぁ」

 頭部に鈍い衝撃を覚えた後、意識は途絶えた。



 私の身体は、どこでどうなっているのだろう。暗闇の中で身動きが取れず、意識だけが依然としてハッキリしている。

 私の脳を反復する、人はみな視界から消えるのある記述。私が腑に落ちなかったことの一つ……彼が見せようとしていたもの―――


―――肉体が死んだからといって、魂がそこから抜け出るわけではない……肉体が破壊されるまで……死が暴力によるものである場合は魂が最も抜け出にくい…………なすすべもなく…死体に入ったまま墓から引き摺り出され、アイホートの贄に供される…………

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