取調べと称して
星空ゆめ
取調べと称して
「しかしね、私はこうも思うのですよ」
と切り出した矢先、堀田は早速口を閉ざしてしまった。刑事の良心みたいなものが彼を思いとどまらせたのだ。どんな職業でも、四十年も続けていれば、必要な伝統というのが嫌でも身体に染み付いてくる。たとえそれが、かつて東京を騒がせた伝説の暴走族「
堀田はいつもと同じように、良心の保全に努めた。ところが今日に限っては勝手が違った。
「……私はこうも思うのですよ。人間、なにか一つでも事を成したなら、それが正か不正か、善か悪かといったことは、些末な問題でしかないのではとね」
およそ刑事らしからぬ言葉に驚いたのか、男ははじめて顔をあげた。真顔だった。
堀田は構う事なく続けた。
「こんな仕事をしてるとわかるんだがね、世の中には意味もなく人様に迷惑かける輩ってのがそれはもう星の数ほどおるんです。たいした目的も、意志も持たずに法を犯す輩がね」
刑事が話し終わるのを待っているのか、男はじっと見つめるだけで口を挟むことはしなかった。
語りかけながら堀田は若かりし頃の自分の姿を思い浮かべていた。違法に入手したバイクを違法な手段で改造し、法定速度を大きく上回る速度で風を切っていた時のことを、である。
「そんな連中に比べればあんた立派だ。お前さんの犯行には大義名分がある。もちろん法は許しちゃくれないがね、世間は納得してくれるよ。現に、俺はこうして白子さん、あんたのことを理解しちまってんだ」
表情を変えることなく、白子と呼ばれた男は黙って話を聞いていた。こんなことを話されても反応に困るだろうと、堀田はまた客観的に自分の置かれている状況を捉えていたため、その後に訪れるであろう沈黙に今のうちから備えた。
沈黙を破ったのは白子の方からだった。
「あんたそんなこといっちゃいけないよ。あんた刑事だろ、刑事がそんなこと言い出しちゃお終いだね。あるんじゃないのかい、刑事にも。求められる良心、せめてポーズがね。あんた、俺を前にしてる間だけでもせめてね、刑事らしく振る舞わんと駄目だよ」
驚いたのは堀田の方であった。長いこと刑事として犯罪者と関わってきた彼だが、犯罪者に諭されたのはこれがはじめてだった。
「ははは、白子さんそれを言うならお前さん、容疑者がそんなこと言っちゃいけないよ。まるで犯罪者らしからぬ言葉じゃないかい。大義名分があって人殺してんだ。お前さんにもあるんじゃないのかい、犯罪者の矜持ってやつが」
自分でも不思議に思うほど、堀田は躍起になって白子のことを擁護した。言葉を要するごとに、肩に受ける圧が力を増していくように感じた。
「矜持ね。それなら是非、お聞かせ願いたい。刑事の矜持ってもんを」
質問を質問で返され堀田は窮した。答えを寄越されなかったことに対してではなく、答えを用意することに対して窮した。
「矜持」と呼べるほど高尚なものを堀田は持ち合わせていなかった。堀田が手にしているのは、四十年の人が生きるのには長すぎる時間の中で積み上げられた、キャリアという名の堆積物だけだった。
「悪いけどね。わたしにゃ矜持なんて呼べるものはないのですよ。『刑事』って肩書きと、しわの数があるだけでね」
堀田はにまりと顔をくしゃくしゃにして笑ったが、白子はあいも変わらず無表情だった。
「白子さん。正直なこと言うと、私はこの四十年間、いやもっと前からですね。“中学生の時分から”と言ったって嘘にはならない。なにかになりたくてもうどうしようもなかったんです。それこそ、脳が溶けて、身体が灼けつくほどに。指先からてっぺんまでが捩れて、自分が自分でなくなるみたいな。いえこれ以上はやめときますけどね。これを青春の無知が産んだ、全能感への寵愛だなんだとバカにしちゃいけないよ。私はこの四十年間、ずっとこうなんだ。誰だって、顔がくしゃくしゃになって、頭が禿げ上がっていたら、世俗から離れてなにか一個、己の中に世界を持っていると思いたがる。その心はわかるんですけどね、私がそうかというと全然そんなことはない。皺と、髪が散ってできた禿頭があるだけでね、そんな世界、全然、ありはしないんですよ。ちょうど歳を取りすぎた亀かなんかが、歳をとっているというそれだけで神聖なもんに見えてくるような、そんな類です。」
堀田は笑顔こそ崩さなかったが、言葉は熱を帯び、目には悲しい色が滲み出していた。
「刑事さん、あんた喋りすぎだよ」
見かねた白子に静止されたが、「まぁまぁ」だのなんだの言って堀田は話し続けた。
「しかしね、一つ信じて欲しいのは、なにも私は非日常のアバンチュールを手をこまねいて待ってただけではなかったということなんです。それこそ色々なことをやってきましたよ。将棋・絵描き・パソコン・カラオケ思いつく限りはなんでも。しかしね、そのどれか一つでも私の魂には定着しなかったんです。手に職ついても魂にこびりつかないことには意味がない。あなたもそこは理解してもらえるでしょう。いいかい白子さん。“刑事”やら“前科”やらそんな文字には意味がないんだ。それは線と音でできあがった記号でしかないんです。大事なのは、その記号に魂があるのかということなんです。こんなこと言うのもね、実のところわたしゃ明日でこの仕事との縁もなくなるんです。そりゃなにかと手続きがあったり挨拶だなんだとあったりはしますけどね、仕事らしい仕事といったらこれが最後ですわ。そんな折に白子さん、あんたみたいな人が運ばれてきた。こんなこと言うもんじゃないとは思いますけどね、私は少し嬉しかったんだ」
「……犯罪者生まれて嬉しいなんていっちゃ刑事お終いだよ」
「いやまさしくね、刑事お終いなんです。だからね、最後まで言わせてもらいますよ。そりゃね、私にも刑事の矜持とまではいかんでも、責任みたいなもんはありますよ。でもね白子さん、矜持と責任じゃ全く違うんだ。矜持ってのは、そこに魂があるんだ。たとえそれが仕事だろうと、犯罪だろうと、そこにはべったりと魂がね、こびりついているんです。責任ってのは全然そうじゃない。これはもう、悲しいほどに経験的なもんなんです。習性って言った方が正しいかもしれません。刑事って記号を背負って四十年近く生きてきた、全く経験的な反応なんです。ここに運ばれてくる人はね、みんなその記号に魂がくっついてんだ。誰々を殺しました、家を燃やしましたって具合でね、彼らは社会的にみたらそりゃどうしようもない人らですよ。でもね、もうどうしようもないほどに人間的なんです。私みたいに、淡々と、身体に起こる反応を処理しているもんとは違って、彼らはどっからどうみても紛れもない人間だった。私はそんな彼らを見るのが辛くて仕方なかった。同情や正義感じゃない、もっともっと卑俗な、嫉妬でね」
一息に捲し立て、これで話は終わったと堀田は席を立とうとした。
「それで、俺がその“紛れもない人間”てのだって言うんですかい」
遮った白子の声には明確に怒気が込められていた。散々と白子を褒めちぎってきた堀田だったが、実際に白子の人間的な態度を目の当たりにしてなぜだか言いようもない不安に苛まれた。
「“堀田”さん、あんた一つ勘違いしている。あんたは今、一人の人間と対峙しているんだ。エックスって文字でも、肌色の絵の具でもない。この俺とね。俺の目を見てみろ。俺は今、生きている。一人の人間がこうして話している。あんたはこの当たり前を、てんで忘れてしまっているじゃないか」
堀田の不安はいよいよもって明確となった。扉を挟んで聞こえてくる、廊下を駆ける足音が、早鐘を打つ心音と重なった。その音は、次第に大きくなっていく。
「あんたは矜持だ人間的だと言って俺を持ち上げた気になっているみたいだが、そうじゃない。それは、あんたの中にいる俺だ。あんたの中で作られた、あんたの中だけで生きている俺に対して話をしているんだ。あんたは、存在しない誰かのことばかりにかまけて、本当に生きているものを見失ってる。それが、それこそが、魂なんてケチなもんじゃない、本当に守るべきもんだってことすら忘れておられる」
堀田は目の前に居る男のことが恐ろしくなり、逃げ出す決意を固めた。あと一分でもこの場にいたら、心臓が張り裂けてしまう。そう思って後ろに振り返ったその時だった。
「大変です堀田さん!鑑識の結果が!!」
若い刑事が力任せに扉を開き、一目散に堀田へと駆け寄る。青ざめる堀田に対して、白子は笑みを浮かべていた。
「堀田さん。あぁ……堀田。お前と同じさ、俺は今日この日をずっと待ち望んでいたんだ。四十年前、あんたがバイクを盗んだおかげで、助かるはずだった命を取りこぼしたあの日から、ずっとだ。あんた言ったよな、“どうしようもないほどに人間的”だなんだって、笑わせるねぇ。どうだい、ないもん追いかけ続けて、あんたのいう“矜持”とやらに娘っ子奪われた気分は。いいか堀田、よく聞きな。俺は白子、白子〇〇、お前が死ぬまで忘れられない犯罪者の名前だよ」
老人の慟哭と、老人の笑いとが交じり合った。後にも先にも白子が笑みを見せたのはこの日限りだったという。
取調べと称して 星空ゆめ @hoshizorayume
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