モッコウバラの道標 🦗
上月くるを
モッコウバラの道標 🦗
西の山麓までつづく広い田園地帯を、定規を当てたように県道が突っきっている。
農地を外れた各集落から三々五々出て来た通勤の車が両車線をしきりに行き交う。
つい先日までギザギザに尖って牙をむいていた山脈は、頂きに雪をのこしながらも濁った水色に変わり、ほとんど見分けがつかない空に溶けこんで異存がないらしい。
ごく近景に一枚、はやばやと早苗をそよがせる田んぼがあるが、水鏡の反射だけでせっかく治りかけた一か月来の冷えがひょいと復活しそうなので、急ぎ目を逸らす。
🚗
となり合う溶接工場との境界の花壇に、いろいろな種類の薔薇が植えられている。
赤や薄紅、黄や白、オレンジ色の花ばなを見て歩くのがこの時期の楽しみだった。
けれど、おや? 今年はいささか様相が異なり、クリーム色の小花がびっしりと。
暖房を利かせた車から出るつもりはないが、たぶん、あれは
薔薇の仲間で唯一棘がなく、可憐な見た目より生命力が強いとなにかで読んだが、たしかに今年は、洒落たフランス名を付けられた先住薔薇族を完全に凌駕している。
いやはや、あの手入れ、どうするつもりだろう、広い庭を任されている管理人は。
そんなことをぼんやり考えながら、ひとつの決意を静かにかためてゆく。(*''ω''*)
🍋
……それから二時間後、診察を終えて車にもどったヨウコさんは陶然としていた。
案ずるより産むが云々、この一か月間の葛藤、あれはいったい何だったのだろう。
そもそもは寒風のなかでの順番札取りで、身体の芯まで冷えきったことに因する。
それに加えて、流行りの対話式 AI に対する見解の相違もあった(これについては核や細菌兵器など戦争への悪用&知的所有権侵害をいまも納得していないが……)。
言ってみれば何もかもいや状態になっていたところへ、病気経験の豊富な先輩諸氏から担当医師との関係性変容時の面妖な出来事を聞く機会があり、なおさら凹んだ。
「あんまりな対応なので他院への紹介状を頼んだら、人間ここまで冷たくなれるのかという表情をされた」「患者は医師を選べるのだから、黙ってやめていいと思うよ」「だいたい具合がわるい患者を寒風のおもてに吹きさらしておくのは問題でしょう」
ですよね、ですよね、あっちにもこっちにも言っているうちに、なにが正しいのか分からなくなり、今朝の今朝まで迷っていたのだが、日常的に変わることを懼れない自然界の当たり前としての木香薔薇の繁茂ぶりに、ひとつの揺るぎない示唆を得た。
🥬
けれど、直近のあれこれはともかく、もっとも苦しいときに救っていただき、それからまる六年、計七十余回、文学・音楽・歴史・社会等の話を親しく交わして来た。なのに理由も告げずに病院を変えるなど、患者の前に人としてあり得ないでしょう。
で、率直に現状&心の内をお話すると、思っても見なかったご返答をいただいた。
「そうですか、七年目に入りますか……症状が落ち着いているから大丈夫でしょう。念のため二か月分の処方をしておきます。困ったらいつでもいらしてください」💧
――棘のなき木香薔薇や全快す 💐
病気が病気だけに全快かどうかは微妙なところだが(笑)敢えて前向きにとらえて拙い一句を詠んだヨウコさんは、ある意味、同好の士でもあった主治医のいる診察室に向かって深く一礼すると、モッコウバラに見守られながらクリニックを発進する。
モッコウバラの道標 🦗 上月くるを @kurutan
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