第7話 奇跡の代償

 ベンチに座った私は、ラムネ瓶のビー玉を勢い良く押し込んだ。弾ける炭酸の音に耳を傾け、顔を上げる。雲一つない澄んだ青空。太陽が眩しくて、手で日陰を作る。


 彼が最期に見た景色はあの辺りだろうか。今年の夏は例年と変わらず蒸し暑い。淡く弾ける炭酸があの夏を沸々と思い出させる。


 羞恥と歓喜に挟まれながら繋いだ手。緊張でほとんど味のしなかったラムネ。絶望と共に始まった打ち上げ花火。悲嘆で終わった、今じゃ私だけの世界。


 いや、それは違うか。だって覚えてるのは私だけじゃない。


「ねぇ、フェイ」


 私の呼びかけに応じて、フェイが空中に現れる。淡い紫が基調の和服を着た姿は、相変わらず可愛くて時の流れを感じさせない。


海鈴みすずはこの場所が好きじゃのお』

「だって思い出の場所だしね」

『良い記憶じゃなかろうに』


 辺りを見渡すフェイに倣って、私もこの場所を視界に映す。何年も放置されて地面を覆い隠した雑草。今では完全に色褪せ、漕ぐと耳に嫌な音を出すブランコ。そんな公園で遊ぶ子供がいるはずもなく、いつも私とフェイで独占していた。


「もう、五年かぁ」


 時の流れは振り返ると早いものだ。高校生だった私も今では卒論制作に取り掛かっている大学生。それでも彼の記憶は未だに忘れない。……


『面白いことを言うの。その記憶はこの世界では存在せぬ出来事よ』

「どこかの誰かさんのせいでね」

『奇跡を望んだのは海鈴みすずじゃろ?』

「はいはい。そうですね」


 カランとビー玉の音を楽しみながら、ラムネを一口含む。無数に湧き出る炭酸はまるで恋のように弾け……なんて有り触れた表現か。


 私にとってラムネは恋の味であり、奇跡の味だ。甘い口当たりの先に弾ける泡は儚げで、それでいて私を刺激する。


 あぁ、あの頃に戻りたい。また私に奇跡は起きないだろうか。そんな幼稚な考えは何年経とうと変わらなかった。


『後悔しておるか?』


 私がここに来るたびに放たれる言葉。初めて聞かれた際は答えられず、時に何度も逡巡した問い。しかし今では同じ答えしか浮かばない。


「私は感謝してるんだよ」


 『病気が治る奇跡』のおかげで、彼と少しでも多くの時間を過ごせた。『彼を想い続けさせる代償』で、今も私は覚えてる。


 奇跡は起きないから奇跡と呼ぶ。だから起きた奇跡は起きなかったことにしないといけない。


 誰かの受け売りだったのだろうか。それぐらい、この言葉は本質を突いている気がした。


 友人も、教師も、親でさえ忘れた彼の記憶。なかったことにされた事実。みんなには私の言葉なんて妄言以外のなにものでもないだろうけど、私にはとても大切な記憶なのだ。


「それに、夢も見つかったしね」


 ラムネを飲み干し、帰路へ辿る。


 読む専門だった私も彼のように書く側に回ってみた。人気のないweb小説家だけど、少なからず見てくれる人がいる。


じゅんが生きた世界は、私が証明してみせるから」


 私が絶対に死なせない。例え世界に拒絶されたとしても私はずっと覚えてる。


 だけど、もしどこか違う世界で生きてるなら……。なんて、あるはずのない奇跡を密かに願って。

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奇跡の代償 西影 @Nishikage

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