第47話「親は子を」
「さ、坂口さんっ……!」
唐突な坂口さんの質問。未央ちゃんを亡くしたばかりの詩織さんにとって、心の傷を抉りかねないその言動に、思わず声をあげてしまう。
詩織さんは一瞬驚いたような、ハッとした表情をして、目を伏せる。彼女が何を考えているのかは分からないけれど、どうやら坂口さんの言葉に思うところがあったようだ。
けれど娘を亡くした詩織さんに、まるで追い打ちを掛けるような流れは心苦しく、私はおずおずと口を開く。
「あの……ごめんなさい。話し辛いなら、無理には……」
「いいえ、いいんです……それに、その子……坂口さんの言う通りですから」
そう言って、詩織さんは訥々と話し始める。
「未央は……私がまだ大学生の頃に出来た子なんです。当時、私はバイト先の先輩と交際をし、未央を妊娠して、最初はその彼と……結婚するものだと思っていました……」
詩織さんの表情は暗く、その後の展開を察するのは容易かった。
「けれど、私の妊娠を知った彼は驚いた顔をして、直ぐこう言ったんです……頼む、降してくれ――と」
「それは……何か事情があったんですか?」
よくある話には思えた。まだ家族としてやっていく能力の無い二人が、若気の至りで出来た子を降ろすしかない。だからと言って許容される話ではないけれど、二人の将来やその子に降りかかるであろう苦労の事を考えると、苦渋の決断ではあるが必要悪の選択肢であると思わなくもない。
しかし、苦しそうな詩織さんの表情から、そういう話ではないのだと思い知らされる。
「彼は……私以外に付き合っている女性がいたんです……それも、数ヶ月後に結婚を控えている」
「つまり、二股を掛けられていたんですね」
「坂口さんっ……そんな事ハッキリと言わないでもっ……! あの、ごめんなさい!」
やはり遠慮の無い坂口さんの言葉に、私は反射的に謝っていた。
しかし、詩織さんは疲れたような顔ではあるが、こちらに気にしないでと笑みを浮かべる。
「大丈夫です。私に、人を見る目が無かったんだと、今は納得していますから……それに、私には未央が居ましたから……」
「中絶はしなかったんですね」
「はい……最初は彼の話を聞いて絶望し、お腹の子がいたのでは、私のこれから先の人生も滅茶苦茶になってしまうと考えて、何度も何度も降ろしたら楽になれると考えていました……けれど、ある日、私はお腹の中でこの子が動くのを感じたんです」
その時の事を思い出すように、詩織さんは自らの腹部を撫で、優しい笑みを浮かべる。
「ああ、この子は生まれようと頑張っているんだなって……私はお母さんなのに、自分の事しか考えられなくて情けないって……そう考えたら、私はこの子をちゃんと育てようって決めたんです……そうすれば私は、あの時の若気の至りを後悔せずに、受け入れられると……」
凄いと、私はただ思うしかなかった。
自分とそう年齢の変わらない頃の詩織さんが、自分以外の命を守って生きていこうとする決断が出来た事が、ただただ凄いと感じた。
「大変、だったんじゃないですか……その、未央ちゃんを育てるのは」
「はい……でも、私の周囲の人が助けてくれたんです。最初は両親にも生むのを反対されましたけど、私の話を聞いてから納得したようで、学校を辞めて未央を生み、そして働く私の手伝いをたくさんしてくれました。未央は優しい子に育ってくれて、遅くまで働く私に文句も言わず、いつも私の帰りを待っていてくれたんです……」
そこまで話すと、詩織さんは顔を俯け、その声が震え始める。
「あの日、事故があった日も……未央はきっと一人で私を待つのが寂しかったんでしょう……友達と公園で遊ぼうとして、向かう途中で……私が昔、誕生日プレゼントとして買った縫いぐるみを落としてしまって……それを拾おうとした時に……」
ポタポタと、地面に数滴の涙が零れ落ちる。静寂の中、詩織さんの嗚咽を堪える声だけが私達の耳に響く。
どう声を掛ければいいのか、
「私は、未央に何をしてあげられたんでしょうか……あの子は、毎日一人で私の帰りを待って……本当は、もっと構ってほしかったかもしれない……学校の友達と同じように、年相応な生活を送りたかったかもしれない……なのに、あの子は私より先に逝って……あんな縫いぐるみなんて渡さなければよかった……きっと、あの子は私を恨んで――」
「そんな事ありません!」
気づけば私は、らしくない大声をあげていた。
「え?」
「私は……未央ちゃんは……詩織さんのことを恨んでなんていなかったと……そう思います」
涙を浮かべた詩織さんの瞳が私の方を見る。私は普段なら視線を逸らしてしまったかもしれないけれど、目を逸らしてはいけないと思ったから……未央ちゃんの言葉を伝えないといけないと、私は言葉を続けた。
私と彼女と怪談と。 にいがき @ni-gaki
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