魔女の飼い猫

真摯夜紳士

魔女の飼い猫

「俺は反対です」


 とある薬局の受付にて、色白の青年が腹を立てていた。細く長身、整った容姿。髪の毛は左側だけを茶色に染めている。


「もう少し時間を……いいや、あいつに使い魔が務まるとは思えません」

「ふぅん」


 話し相手は、スラリとした足を組み椅子に座っている白衣の女性。どんな男でも魅了させるような彼女に向かって、彼は白い肌を紅潮こうちょうさせつつ、まくし立てた。


「あいつは優しすぎます。まだ人の怖さを知りません。そもそも知るべきじゃない。曜子さんだって、そう思いませんか?」

「あんたが決めることじゃないよ、ミケ。遅かれ早かれ時期はくる。あたしの飼い猫だ、魔力が宿っちまうのは必然なんだから。それに――」


 ウェーブのかかった黒い前髪を、片手で持ち上げる。


「コネロクの奴は、やる気みたいだけど?」


 店の奥から慌ただしく駆ける音。姿を現したのは、中学生ほどの少年だった。フード付きのパーカーに、ズボンも靴も黒尽くめ。ぎこちない走り方を止め、息を切らせ膝に両手を付いている。神妙な顔付きの二人を見上げ、少年は口を開いた。


「お待たせしました! 準備できてます、曜子さん」

「そう、忘れ物は無い?」

「バッチリです!」

「遅いんだよコネロク。大事な試験だってのに遅刻とか、失格ものだな」


 容赦ないミケの物言いに、明るかったコネロクの表情が青ざめる。


「ぇ……あの……失格、なんですか?」

「普通ならね。ま、今回は特別にオマケしておくよ。これで終わりじゃ悔やみきれないだろうし。ただ、本番の試験では手を抜かないつもりだから。心しておくように」

「それじゃあ!?」

「行ってきなよ」と、主人である魔女は口角を上げた。

「ちょっ――曜子さん!」

「うるさい。あんたの試験じゃないんだよ、ミケ。まだ口を挟むなら、あんたも再試験させようか? あたしの大きな胸三寸なんだけど」

「っ」

「もう、なんだよミケ。僕が使い魔になっちゃ駄目なの? せっかく人の言葉も变化も覚えたのに。『お前は落ちる』だの『コタツで寝てろ』だの散々言って。僕だって曜子さんの飼い猫なんだ、やる時はやってみせるさ」


 謎の自信で微笑むコネロクに、とうとうミケは観念したのか、しっしっと手を振った。


「わかった、好きにしろよ。お前、試験の内容は忘れちゃいないだろうな」

「うん、確か『岩塩』を採ってくるんだよね。曜子さん、これって何に使うんですか?」

「言っても理解できないと思うけれど。薬の材料にするんだよ。生き物の死を含んだ天然の岩塩は、転じると長寿の素になるのさ」

「……ごめんなさい、わからないです」

「だろうね。ほら、お喋りしてる暇があるのかい? 日暮れまでなんて、あっという間だよ」

「あ、そうでした! それじゃあ行ってきます、曜子さん、ミケ!」


 その身一つ、黒猫のコネロクは、使い魔になるべく薬局の扉を開けた。


「……死ぬんじゃねぇぞ」


 ミケの不穏な一言は、コネロクには届かなかった。


▼△▼△


「よぉし!」


 意気揚々と薬局を飛び出したコネロクは、波の音に誘われるまま海岸を目指した。手渡された財布やスマートフォンはズボンのポケットに仕舞い込み、使う素振りすら見せない。

 何の為に二つを渡したのか、その意味すらコネロクは理解していなかった。


 しばらく道なりに歩くと、広い海原が視界を埋めた。その眩しさにコネロクは目を細めると、秋の砂浜に一人の少女を見つけた。うつむき目を擦って、肩も震わせている。


 どうせ岩塩を探すついでだ――と、コネロクは少女の元まで近付いた。小学校低学年くらいの背丈に、黒いワンピースを着た、癖っ毛の女の子だった。


「どうしたの、迷子?」

「……お母さんは?」

「ごめん、わからないんだ。この辺に他の人は居ないし。ああ、泣かないで」


 コネロクの温和な喋り方に、目元を赤く腫らした少女は落ち着いていく。


「お名前、教えてくれる?」

「ヨーコ」

「驚いたぁ、僕の大事な人と同じ名前だ」

「……お兄さんは」

「僕はコネロクって言うんだ」

「変な名前」

「でしょ。僕も思った」


 二人はクスクスと笑って、あてもなく歩き出した。


「そうだ、スマホがあったんだ。ヨーコちゃん、お家の電話番号とかって、わかるかな」

「ううん」

 コネロクは残念がりもせず、「そっか」と呟いた。

「お兄さんは、どうして海まで来たの?」

「ああ、うん……わかるかな、岩塩っていうのを採りに来たんだけど、知ってる?」

「がんえん? 聞いたことない」

「だよねぇ。たぶん塩で出来た岩のことだと思うんだけど、どこかに落ちてないかな。やっぱり海の中なのかなぁ」

「お塩の石なら、スーパーに売ってたよ?」

「――えっ」


 思わずコネロクの猫目が開かれる。ようやくスマホのネットを使って、岩塩を調べてみた。みるみる沈んでいくコネロク。

 日本おいて、岩塩は産出されていない。どころか採れるのは海ではなく、鉱山である。

 出発が遅れたのも相まって、もう正午過ぎ。秋の日暮れは早い。


「よ、ヨーコちゃん! 悪いんだけど、そのスーパーまで案内してくれないかな!? お母さん探し、僕も手伝うから!」


 しゃがんで肩を掴むコネロクに、ヨーコは少し怯んだものの頷いた。

 海岸を離れ、スーパーまでの道のりに一時間はかかった。コネロク一人だったら早く着けただろうに、ヨーコの歩幅に合わせたのと、道行く人に迷子の相談をしていたのが手痛い。交番まで距離もあったのが、よりコネロクを焦らせた。


「ちょっと待ってて。すぐ買って戻ってくるから。その後に交番へ行こう」


 スーパーの入口でヨーコに言って、コネロクは慣れない足取りで走った。周りの目なんて気にしない。


「調味料……塩……岩塩、これだ!」


 太字で書かれた岩塩の袋を手に持ち、一目散にレジへ。お金の使い方はミケから習っている。


「やった、手に入れた」


 嬉しそうに袋を抱きかかえて、コネロクはスーパーを出る。

 そして、途方に暮れた。


「あれ……ヨーコちゃんは?」


▼△▼△


 コネロクが再び薬局の扉を開けたのは、すっかり暗くなってからのことであった。


「言い訳があるなら聞いてあげるよ」


 頬杖を付いて、冷たい視線を送る曜子。ミケは呆れて口も開けないといった様子だ。


「ごめんなさい。迷子を探していたら、こんな時間に」

「ふぅん、迷子ね。しかも、その岩塩、天然じゃなくて人工的に精製された物だね。それじゃあ転じても薬にならない」

「……ごめん、なさい」

「別に謝れってことじゃないさ。与えた目的を達成できなかった、それだけで。そういえば迷子は?」

「はぐれたので、警察に行って連絡しました」

「そっちも駄目ね。わかったでしょう。口は災いの元になる」

「そんな言い方!」

「黙ってなよミケ。あんたが言ってたことでしょ、『あいつには使い魔が務まらない』って。実際、初めてのお使いは失敗したし、何より家族に心配をかけた。そうでしょう?」

「それは……そうですが……」


 ミケもコネロクも、曜子の突き放した態度に言葉を失った。


「ということで、選ばせてあげるよ、コネロク。あんたの好きな方にしなさい。『ただの猫に戻る』か、『その優しい唇を永遠に閉ざす』か」

「ぼ、僕は――」


 答えを紡いだ瞬間。コネロクの姿が、一匹の黒猫に変わった。言葉も喋れず、「にゃー」と鳴いている。それを拾い上げ、曜子は膝の上に乗せた。


「これで本当に良かったんですか、ヨーコさん」

「構わないさ。機会は巡る。世間の荒波に飲まれないよう、また教えていけばいい。この子も大事な――私の飼い猫だからね」

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