最終話 帰郷の翼

 赤蜻蛉が飛び交い、鈴の音のような声で鳴く秋の虫の声を聞く頃になると、村の階段状に造られた田んぼは黄金色の穂が風を受けてなびく景色に変わっていた。

 田植え田起こしの時季と同様、あちこちの田で村の長の家で雇われた住民達が中心となって頭を垂れる稲穂を刈り取る作業が行われ始めている。


「カツ爺、ここの列の刈った物はここに置いておけばいい?」

「ええ、ここでお願いいたします。おやまあ、随分とたくさん抱えてこられましたなぁ、サチナ嬢ちゃん」


 自分の胴回り程はあるかと思われる刈り稲の束を抱えてきたサチナから、カツ爺はそれを受け取り、うず高く積まれた刈り稲の山へと放るように重ねる。さわさわと軽い藁の音がし、特有の陽の匂いが鼻先をくすぐる。


「これぐらいどうってことないわ。さ、次は何をすればいいの?」

「そうですなあ……ま、そろそろ昼餉の時分です。一休みしましょう」


 額に滲む汗を拭いつつカツ爺から提案された休憩に、サチナも大きく頷く。早朝から随分とたくさんの稲を刈り、束ね、束ねた物を運んだりと忙しく動き回ってきた疲労が空腹となって現れ始めていた。

 畦道に腰掛け、置いていた竹筒の水筒に入ったお茶で渇いた喉を潤していると、遠くカツ爺とサチナの名を呼ぶ声がする。

 声のする方に二人が顔を向けると、アズナがひどく慌てた様子でこちらに向かって駈けて来る姿が見えた。あまり整えられているとは言い難い道を、隻腕となった彼女が駆け寄ってくる様子に、二人は慌てて立ち上がり、こちらも彼女に近づいていく。

 程なくしてサチナがアズナを抱き止めるようにして両者が鉢合わせた。サチナは、開口一番にアズナの軽率な行動を――アズナは晩夏に差し掛かってからようやく自由に表をひとりで出歩くことを許されたばかりであった――窘めようとしたが、それを遮るようにしてアズナが放った言葉が、彼女の叱責の気勢を削いだ。


「あんちゃが……あんちゃが帰ってくるんだって! 帰ってくるんだって、サチ姉ぇ!」

「あんちゃ、が?」

「それは本当なんですか、アズ嬢ちゃん」

「ホントよ! だって、ほら! アズ、お手紙もらったもの!」


 不安定な道を駈けて来てしまうほどに彼女が二人に報せたかったことが記された紙を、カツ爺が受け取り目を通す。記された内容を眼で追う僅かな間の後、彼の表情もまた頭上に広がる秋空のように晴れやかなものとなった。

 次いですぐにその紙をサチナが受け取り、同じく目を通した。そして、報せを届けてくれたアズナの身体を強く抱きしめながら歓声をあげる。抱きしめられたアズナもまた同様に片手をサチナの背に回して歓声をあげる。


「あんちゃが帰ってくる! フリトと一緒に!」

「帰ってくるね、サチ姉ぇ!」

「ああ、ようございましたねえ、サチ嬢ちゃん、アズ嬢ちゃん。毎日毎日天にお祈りしていた甲斐がありましたねえ」


 嬉しさに薄ら涙を浮かべるカツ爺の言葉に二人は大きく頷いた。グドがフリトを捜しに旅立ってから毎日、二人は家の中にある麒麟の祭壇に向かって祈りを捧げていたのだ。グドが一日でも早くフリトと巡り会い、そして二人揃って無事に村に戻ってくることを強く願って。

 長く祈り続けていた願いが叶ったことに喜び合うのも束の間、ふと、サチナの胸にひとつの不安がよごり、すぐに曇りのある表情へとなった。


「……あ、ねえ、このこと、カカ様と大ジジ様は知ってるの?」

「知ってるよ。だって、これが届いたの、大ジジ様のお部屋だもの」

「そう……カカ様達、何か言ってた?」


 フリトが姿を消してしまった大きな要因とも言える、イチナをはじめとする家の者や村人との間に生じた誤解と亀裂。そしてそれによって大いに彼を傷つけてしまった罪悪感や悔恨が、グドが旅立ってから暫くの間家の中に重く漂っていたことをサチナは思い出したからだ。

 アズナの手の事もあって酷く憔悴していた母の姿を見ていたサチナは、この報せをイチナがどういう思いで受けたのかが気掛かりでならない。

 もし、これを不快な思いで受けていたのなら、同じような過ちが繰り返されるのではと彼女なりに懸念したためだ。

 しかしその不安を払拭するかのように、アズナはサチナの腕の中で答える。


「とっても嬉しそうだったよ! ウーマなんてねえ、嬉し過ぎて泣いちゃったんだから!」

「そっかぁ、よかったぁ……」

「ねえ、サチ姉ぇ……フリト、もう、どこも行かないかなあ……」

「うん……そうだと、いいね……」


サチナは彼女のやわらかな髪を撫でてやりながら答える他言葉が浮かばなかった。すべては、彼らが村に辿り着いてからでないと何も言えないからだ。

 喜びに湧いていた二人の表情に僅かな影がさしかけた時、カツ爺がこう述べてきた。


「そうですねえ……ああ、そうだ。お二人がフリト様を護ってさしあげればいいんじゃないでしょうかねえ」

「フリトを? アズと、サチ姉ぇが?」

「でも、どうやって?」

「ええ。フリト様の紅い眼は悪いものじゃない、そう皆にお教えすることや、フリト様にフリト様がとても大切だってことをきちんとお伝えすること……なんかが良いのではないかと思いますよ」

「それなら、できるかも!」

「アズも、フリト、護るぅ!」

「あたしも、加勢させていただきますよ」


 大切な兄と、その傍らに寄り添う者の帰還に二人は再び喜びの声を上げる。青く澄んだ秋空の下、焦がれたぬくもりに触れ、その無事を確かめ合えることを待ち望みながら。

 秋風になびく稲穂のような色の美しい髪の二人の歓声と笑い声は、遠く風に乗って丘を下っていく。まるで帰りを待ちわびる人達の名を呼ぶように。

 その風の先には、丸く淡い黄色に熟した黄来禽をつけた枝が緩やかに揺れていた。


<終。>

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生命の実のなる樹と彼らの未来を巡る旅の物語 伊藤あまね @110_amane_

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