第31話 互いのこれからを笑って話し合える仲
馬車は一行を乗せて賑やかな通りを進む。盛夏の昼下がりのうだるような暑さの中、通りに並ぶ瓜の山が瑞々しい色彩を放っている。
今日の宿を決め、遅い昼食を摂りに再び五人は露店の並ぶ通りへと繰り出す。行き交う人々は皆一様に玉のような汗を首筋や額に光らせている。彼らもまた同じように汗を拭いながら通りを歩く。
実家のある壬辰の近隣とあってザングは街に多少の馴染みがあるらしく、列の先頭を案内しつつ歩いていく。その後ろをグドとメル、テレントとフリトが続く。人が多い中列で歩いていく内に五人はいつの間にか二手に分かれていた。
「あれ? メル達、どこ行った?」
「ずっと先行ってるんじゃない? ザングがここら辺詳しいらしいからサクサク進んでくんだよ」
「そっか……ま、見つかんなきゃ適当にメシ食って、宿に戻っとくか」
「あ、うん……そうだね」
何か含みのあるようなフリトの口調にテレントが問うように声を掛けると、フリトは曖昧さを含んだ笑みを向けて答える。
「や……テレントと、サシでって珍しいなあって思って」
「ああ、そうだな。屋敷にいた時も俺らとは別だったからな。さーて、何食うかなー。おまえなんか好きなもんあるか?」
「え、もう食べるの?」
「美味そうな匂い嗅いだら我慢できなくってさ~」
メル達とはぐれてまだそう時は経っていない筈なのに、テレントは既に耐えかねるほどに空腹だと訴えて笑う。フリトは旺盛な彼の食欲に目を丸くして驚き、そしてテレントと同じように破顔する。確かに彼らの周りには空腹でありながら食することを抗うには惜しいほどの匂いが漂っていたからだ。
二人は一軒の汁蕎麦屋の屋台に入り、それぞれの椀を囲った。出汁の効いた汁にくず野菜と小さな肉片の浮かぶあたたかな汁は、旅に疲れた身体に良く沁みる。額に汗を滲ませながら啜る汁の味にそれぞれ安堵の息を吐く。
椀の中を粗方片付け終えた頃、蕎麦と一緒に出されたほうじ茶を啜っていると、ふと、「おまえ、あいつと戻るのか?」と、テレントがフリトに訊ねてきた。
フリトは一瞬、何のことを訊かれているのかが判らずにきょとんとした顔をしていたが、やがて、誰とどこへ戻る事をさしているのかを察知し、曖昧に笑う。
「うん……戻れたらなって、俺は思ってる。グドも、そう言ってくれてる。だけど……どうなるのかはわかんない。俺とグドがそう望んでも、村が受け入れてくれないんだったら……特に、グドの家族が、そうであるなら、戻るべきじゃないんだろうなって思うんだ。でも……ザングのおばあさんが、ウイ様が、グドのことを手放しちゃダメだって言ってたんだ。俺が生き返ってこの先、生きてくことで今までの罪を償うことになるんだったら、絶対に、って。俺を心から必要として理解してくれる存在だからって」
ザングの祖母ウイに告げられた言葉が、今もフリトの胸中に刻み込まれたままだ。言葉をきっかけに自分の生と存在を認められる程に事態は明るく容易くはないからこそ、彼は肯定される言葉や人々に戸惑うのかもしれない。
しかしその表情や言葉の端々に肯定するそれらを嫌悪する様なかつての薄暗さは見えなかった。フリトの言葉を聞きながら彼を見つめていたテレントは、その変化に気付いていた。あえて指摘する事はなかったが、静かに感動を覚えていたのだった。ああ、ようやく、彼にも彼自身のための人生を歩み出し始めたんだ、と。
「それは、俺も思うよ。だってそうだろ?そうでなきゃ、半ば家を棄ててまでおまえを探しに、しかも宛てもない旅に出ると思うか?」
「うん……その通りだよね、本当に」
「テレントは、どうするの? 授かるかもしれなかった子を引き換えにしたってことはさ、家、継げなくなっちゃったってことになるんでしょ、結局は」
「ああー……うん。だから、そもそも何が起こるか判んないからさ、旅に出る前にナオに、弟に何もかも譲るってことだけは決めてきたんだ。許婚の契りも破棄して、俺の身ひとつになって、万一道半ばで行き倒れてもいいように。一応、樹は届けなきゃだから、報告がてらこのまま帰るだろうけど……その先は、判らない。考えてないし、考えられないな、今は。まだ院に籍があるのなら卒業までは家の世話になれるだろうけど。……そうだな、もし何にもないなら武官になろうかな。うん、それもいいかもしれないな」
「武官に? 他の官吏じゃなくて? 折角院まで行ったのに?」
「ああ。武官なら剣術が存分に使えるからな。実は子どもの頃からなりたかったんだよなぁ……父上たちからは鼻で嗤われて相手にもされなかったけどな。これがいい機会ってのもまた皮肉なもんだけどさ」
夢見ることすら許されなかった希望が思い掛けない形で目の前で拓けようとしている現状に、テレントは苦笑気味にそう語る。かつてフリトが占いった結果の中に、「喪失」と「拓ける」の色札が出たことが、そこに重なった気がしたからだ。
今まで彼が築き上げてきた全てを失うことで拓けてきた本来の自分の路。形が異なるが、過去を大きく清算すると云う意味においてはフリトと通じるものを感じたからだ。
「そっか……でもなんかいいね。本当に自分の特技が活かせるってことだもんね」
「おまえだって、闇の術があるだろ?」
「あるけど、べつにこれは何の役にも……」
自らの前に明確に拓き始めている路を見い出しつつあるテレントに対し、フリトは今佇む足元でさえ確立が危ういとでも言いたげだ。それはテレントと違い、自分の手中にある、生業となるであろう術がこれまで多くの血に染まってきたことが大きく影響しているのかもしれない。
徐々にではあるが自分を取り巻くものが変化してきているのを感じないわけではなかったが、それでも、彼がこれまで受けてきた傷みが簡単に癒え、自らの生きる路を踏みしめられるようになるには、あまりに道は険しく思われた。
「そうか? 俺は、少なくともおまえの術に何度も救われたぞ? おまえの腕は、譬え反対の属性のものを扱う時でも外れなかった。命がけで魔物から守ってもくれた。かつておまえの親がそうだったように、おまえも、グドの村で役立つことだってあるんじゃないか? 例えば……えーっと、ほら、術で魔獣を追い払ったりとかさ」
「まあ、そう言われたらそうかもしれないけど……っふふふ」
「なんだよ、人が折角まじめに考えてやってんのに」
「いや、だってさ、前は俺らってお互いを全然解ってなくてさ、憎み合って喧嘩までしたのに……いま、お互いのこれからを心配してんだもん」
おかしそうにけたけたと笑うフリトの顔を、テレントは出逢ってから初めてまともに見た気がした。相変わらず頭から布を被っている妙な格好ではあったが、以前のように少しでも前がはだければ慌てて布を合わせ直すような神経質さは和らいでいるように思える。だからいまこうして笑っている彼の表情を拝むことが出来るのだ。
フリトが言うとおり、ほんの一年ほど前はお互いの抱えるものを理解する事もなく罵り合い、挙句片方が命を落とす程の惨事まで呼び起こしたことがあったのに、今は差し向かいで食卓を囲み、互いのこれからを案じている。
一つ季節がめぐり、再び同じように旅を重ねただけで、彼らを取り巻く景色は大きく変わっていた。
湯呑の中のほうじ茶の残りを一息に飲み干し、フリトは静かにこう呟く。
「本当はね、俺……あの時、夕坤でテレント達に遇わなかったら……俺、河に身を投げようかなって思ってたんだ」
「えっ? それ、本当か?」
「だってさ、生き返ったって何にも変わんないじゃんって思えてさ。でも、おかしなもんで、別に河じゃなくっても俺はいくらでも死のうと思えば死ねたんだよね、考えたらね。アズナの腕を食いちぎった獣のいる森に入ってくとかしてさ。それなのに俺は夕坤まで流れてて、そこでなんとなく生きてたんだよ。着いてすぐ河にでも行けばいいのに……足が、全然向かわなくって。明日にしよう、また明日……って延ばし延ばしにしてたら、二人をたまたま見掛けて……それで……」
「気付いたら俺の屋敷に連れてかれて、捜しに来たグドにまで遇っちゃって……また旅に出て、帰ってきた、ってわけか」
「そ。おかしいよね、また死んだって構わないって思ってた筈なのに、全然死ねないんだもん。なんかまるで、誰かが俺をそういうのから遠ざけて、俺に生きろって言ってるみたいな気がしてきたんだ、今になって」
「……そう、かもしれないな。生きてくことがおまえの償いだってことなんだろうな、本当に」
「うん……正直、そんなの余計な世話だって思ってたんだ、ずっと。なんで皆わざわざ命削ったりして俺なんかを生き返らせたんだ、って。だけど……露島で、テレントとメルが自分の児と引き換えてまで樹を貰おうとしてるの見てたら……なんか、そう考えるのが申し訳ないって言うか……なんだろ、ああ、馬鹿みたいだなって思えたんだ。だってさ、俺がこうしてられるのは、この二人やグドやザングのおかげなんだよな、憎まれて疎まれてばっかなことに傷ついてくのも、全部そうなんだよなって思ったら……ああ、じゃあ、俺は生きてかなきゃって思ったんだ。それに、なんだろ……なんか、二人の魂の欠片で生きてる俺って、二人にとっての子どもみたいになるのかなって。魂を分かつって、そういうことじゃないのかなって」
「フリト……」
「いつかまた、赤眼であることに耐えられなくなって、死にたくなることもあるかもしれない。グドと、仲違することだってあり得る。でも俺は……テレント達から貰った命数が尽きるまで、生きてけるとこまで、生きてこうと思う」
「感謝してる、ありがと、テレント」そう、言葉の終わりに呟いた、黒い布の影から覗く頬笑みは、かつて見るもの全てに敵意を剥き出しにして睨みつけていた紅い瞳を持つ同じ顔の人物とは思えないほどに穏やかだ。
フリトの言葉を受け、テレントは胸中にもやのように在った感情がゆっくりと晴れて行くのを感じた。
新たな黄来禽の樹と引き換えに自らの魂種を差し出したことが、自分が思っていた以上に喪失感を伴うものであったことに今更に気付かされたのだ。
そして、その感覚を補うものとして、フリトの言葉がテレントの心にすっと入ってきたように感じられた。
自らの魂種と引き換えにして得たものは、新たなる生命の樹だけでなく、そこに生り、やがて生まれいずる数多の新しい命達であることだとテレントは考え、自らの選択がようやく胸を張れるものであると確信できたのだ。
「あー! いたいた! もー、二人とも何やってんのー」
「っとに……おまえらはぐれてんじゃな……って何勝手にメシ食ってんだよ!」
「こっちは飲まず食わずで必死に探しまわってたんですよ?」
ようやく晴れやかな気分で旅の終わりを実感し始めたテレントの背後から、耳慣れた声が二人の名を呼んで近付いてくる気配を感じた。
口々に二人の姿が見えなくなっていたことと、勝手に店に入って昼食を既に取ってしまったことなどに文句を言いながら迫ってくる人影の方を振り返るでもなく、フリトとテレントはほんの暫くの間互いの顔を見ておかしそうに笑い合っていた。
小さな卓を囲む人影か増え、賑やかさが増す。それぞれ口々に好き勝手なことを言い合いながら、盛夏の暑気と共に上気していく旅の終わりの安堵を味わうように。
彼らが揃って卓を囲み、杯を交わすことが出来るのもあと数日。眼に痛いほど青い空の下、名残を惜しむように五人は賑やかに昼食を取り始めた。
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