第30話 手に入れるために差し出したもの

 拳ほどの大きさの色とりどりの絹の布で厳重に何重も包まれた手毬のようなそれの、一か所だけ覗く赤土色の土壌からは棒の様なものがささやかな枝を広げて必死に生きようとしている。

 やわらかな小さな葉をひと撫でしながら、それを膝に抱くテレントは眩しそうに馬車の外を流れていく景色を眩しそうに眺める。

 その傍らに、先程ザングと馬車の操縦を代わったメルがそっと腰を下ろし、「横になってなくていいのか?」と、テレントに問うと、彼は景色から目を離すことなく頷いて返す。


「あと五里程行けば壬辰じんしんに着くってさ」

「なんか、帰りはずっと早かったな……もう、そんな処まで来たのか」

「一度通った道だからだろうよ。それに、旅の目的も果たしてしまったからな」

「……そうだね。丙辰へいしんからは家の誰かが迎えに来るんだろ?」

「ああ。昨日届いた文からするとそうなるな」

「そっか……なあ、メル」

「うん?」

「……んや、なんでもない」


 露島から戻り、甲辰への帰路についてからというもの、テレントはふとした時にメルの名を呼び、そして何かを言いかけては口を噤むのをくり返していた。

 あの島での出来事を思うと、胸に去来する感情をうまく言葉にできないからだ。

 本当は、メルに聞いてほしいのかもしれない。しかしそれをどう言い表せばいいのかわからない……それが彼の名を呼んでは口籠ってしまうことの繰り返しに繋がっている。

 そうしてまた、あの島での言葉を思い出すのだ――


「新たな樹は、あなたの魂種こんしゅを基としなくてはならないのです。つまり、新たな黄来禽の樹を得、あなたの郷に新しい樹が植えられる代わりに、あなたが得る筈であった魂の種……あなたの子どもとなる筈であった魂の素を引き換えとするのです」


 失うことで拓ける未来がある――かつて占いで出た結果の中で最も可能性の高いと思われた条件の提示に、テレントは一瞬、表情を硬くした。

 そしてすぐに、かつて婚儀の契りを結んでいた許婚のミイワを思った。契りを破棄したことで、結果として彼女に期待をさせながら未来を奪うようなことにならないことを心から安堵したからだった。樹に火を放ったあの女のような者を二人と生み出さずに済んだことが、彼をそうさせたのであろう。

 テレントが咄嗟に思い浮かべた事はただそれだけであった。

 ほんのしばらくの沈黙の逡巡の後、露神に新たな黄来禽の樹を賜る事をテレントが改めて願い出ようとした、その時であった。


「――露神様、どうか、私の魂種もそこへ加えていただけないでしょうか」


 テレントのすぐ傍らで同じように叩頭していたメルが、顔をまっすぐに挙げて露神を見つめながらそう申し出た声が響いた。

 思ってもいなかった者からの、夢想だにしない申し出に一同を取り巻く空気が大きくざわめき、驚きのあまりにテレントまでもメルに言葉の意を問うような眼差しを向けたが、彼はただ真っすぐに露神を見つめ、そして深く叩頭をしている。


「あなたも、ですか? しかし何ゆえに?」


 驚きで表情を僅かに変化させた露神の問いかけに、メルは僅かに伏せていた顔を上げ、そして先程の言葉の真意を述べた。


「私は、この度新たな黄来禽の樹を賜る事を願い出た彼を主人とする者でございます。主人に我が畢生を捧げる身である故、主人が自らの子の魂を引き換えとするならば、主人と同じ命運を辿るのは当然と考えてのこと――」

「メル! おまえ、何言って……自分が言ってること、意味解ってんのか?」

「わかってるさ――あの晩に誓っただろ、俺はおまえを主とする以上、俺は一生のすべてを捧げるってな。おまえが授かる筈であった子を、新たな樹の引換えに差し出すことで樹を護る者としての責務を果たすと言うならば、俺はそのおまえに付き従う者として同じことを願い出るのは当然だろ?」

「でも、だからって自分の未来を差し出すようなことは……」

「なあ、テレント。俺らは、主とそれに付き従う者との関係にある以上、運命を共にして、こうやってでしか、生きていけない様になってる。……そんだけのことだろ?」


 悲痛に響くテレントの声を押し止めるように述べられたメルの言葉に、テレントは唇を噛んで俯く。自らもまた父や家に対する忠義心を軸としてここまでの道のりを歩んできたことを改めて気付かされたからだ。

 自分たちは、骨の髄まで叩き込まれ沁み込んだ、抗えない魂と務めを果たすことでのみその存在を認められる、そんな世界に生きてきたこと、そしてこれからも生きていくであろうことを。


「――あなた方の願いは、それでよろしいのですね?」


二人はその言葉に深く頷き、叩頭をすることで願い出たことに偽りがないことを示した。

 二人の固い意志を確認した露神は、坐していた樹の洞からすっと立ち上がり、地に伏せるテレントとメルの前に膝をつく。

そして二人の頭上に交互に手をかざすと、かざした掌の辺りが淡い桃色や黄色の入り混じったやわらかな色に光った。光はやがて丸く小さな塊のようになり、そっと露神はそれらを手中に収める。

 消えた光の玉は、テレントとメルの中にそれぞれ生まれながらに授けられていた魂種だった。

 本来であればそれらは彼らの子どもとして世に生まれいずる筈であったのかもしれないが、新たなる黄来禽の樹を得るため、彼らはそれを引き換えとしたのだ。家督を継いでいくに当たり不可欠である自らの嫡子を手放すことは、二人がこれまで手にしていた全ての権限を放棄するに等しい。

 しかしそれすら惜しまないのは、彼らに課せられた務めとそれを果たす重責の重さに通じるからだろうか……それは二人にしかわからない。

 淡いやわらかな色を湛えるように光る玉が二つ、くるくると回りながら昇って行き、やがて樹の枝葉の影に吸い込まれる様にして消えた。

 それから露神は傍らに控える仙女のひとりに絹織りの布を用意させ、それに土の塊に挿した一本の枝を包ませる。

 枝は露神が自ら大樹の周囲を歩きまわって選び出したものだ。枝先には親指の爪ほどの大きさの実が二つ生っている。

実はやがて樹が土地に根付く過程において重要な養分としての役割を果たし、高さが三尺ほどになる頃にはやがて役割を終え、姿を消すであろう、と仙女から告げられた。

 大役を果たせたことでテレントは緊張が解けて堪えていた感情の意図が緩み、それが涙腺を刺激していく。

 しかし、彼は涙腺を突かれるままに涙を流すことはなく、ただ深く露神と枝を手渡してくれた仙女に頭を下げ、改まった口調で礼を述べた。

 露神にまみえ、新たなる樹を我が子となる筈であった種と引き換えにして賜り、再びあの不可思議な生き物の飛び交う、昼夜や生死の境の曖昧な道を辿って最初の岸辺に辿り着くまでの時間は僅かに三刻にも満たない短い時間であった。

 自らに課された務めを果たすためであれば、命すら差し出す覚悟で旅に出た筈であり、そして限りなく命に近い大切なものと引き換えに新たな生命の種の生る樹を得ることができた。

 ここに至るまでの過程や手段、自分の意思に迷いはなかった。だからこそ今膝の上で馬車の振動に僅かに揺れる苗木の僅かなぬくもりを愛しく思えるのだ。

 なのに、彼の頭の中は旅も目的を、父に託された約束を果たすことが出来た喜びを受け入れることが出来ないでいた。

 まるで旅の成果に喜ぶ自分を否定するかのような感情に戸惑いを覚えていたのだ。



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