第48話
岩壁へと磔にされたエンジェルの前に、ユージは立っていた。
シンヤとユキナは、ユージの少し後ろにいた。
一方でミオは、エンジェルを怖がる様子で離れており、レイカはそんなミオに付き添うようにしていた。
足元を見ると、まだそこらじゅうに岩のかけらが落ちている。シンヤの竜巻によって谷底に落ちてきた分と、シンヤが直にツルハシで作りだした分がまじっていた。
エンジェルの体躯はランタンの光に照らされており、なにかの展示物のようだった。『処刑される死神』とでも題されているかもしれない。
ユージはまじまじと、そのエンジェルを見回した。
ぼろぼろになった黒いフードとローブの隙間から、機械じみた白い体が見える。また、それらの金属質の白地にも、大小様々な傷がついている。
エンジェルの胴体や首や腰はロープで巻かれ、ロープは岩場に固定されている。失われた左腕を除き、手脚も同じように縛られている。
――それに、エンジェルの赤い眼。
白い仮面のような顔の中央に暗い眼窩があり、その奥には赤い二つの光が、禍々しく灯っている。
なにを考えているのかもわからない。
ただ、エンジェルはいまだ活動していた。
その証拠に、目の赤い光は明滅していたし、磔から逃れようと、ときおり体や手脚を動かし、もがいたりしていた。
その都度、口元や関節から、ギシギシとした、金属質の異音が鳴った。油の切れた工業機械のように。
ユージがふと振り返ると、ユキナがうんざりした顔をしていた。
「あかんて……。夢に出るわ、こんなん……。こいつ、どないすんの……」
ユージは言った。
「尋問をする。いろいろと聞きたいことがあるんだ」
「あー。例の交渉術やね」
「なんだそれ?」
「あのサニーデイパークで、ミオに襲いかかってきたエンジェルを説得した、言うてたやん」
「ああ。そんなこともあったか。――とにかく、やってみる」
ユージは警戒しながらもエンジェルの胸元まできて、その白い顔を見上げて尋ねた。
「言葉がわかるか?」
エンジェルの顔がぴくりと動いたように見えた。
「教えてほしい。おまえたちは、なぜ、なにもしていないミオをつけ狙う? ゴーストだとはいえ、おまえたちが罰するのは、罪を犯した相手に対してのはずだ。いや、正確には、おまえたちの、
しかし、エンジェルはなにも言わない。そこでユージはやや低い声で、
「あまり、好きなやりかたじゃないが、おれたちも、シャレでやっているわけじゃないんだ」
そう言って、腰のホルダーの電磁ナイフを右手に取った。鍔の裏のスイッチを入れると、青い刃が起動した。
ユージはそれをエンジェルの喉元に近づけて、
「頼む、教えてくれ。……なぜなんだ?」
それでも黙っているエンジェルに、ユージはたまりかねて声を荒げた。
「なぜだ。答えろッ!」
そう言って電磁ナイフの柄を、エンジェルの顔に叩きつける。
エンジェルの両目の赤い光が揺れ、妙な低い音が喉の奥から響いてきた。背後でユキナの小さな悲鳴が聞こえた。
そのとき、耳障りなノイズ音が聞こえた。それは、エンジェルが発したようだった。ユージは耳をすませ、エンジェルの口元を注視した。いや、口と言うより仮面の亀裂と表現した方が正確だろうが、その亀裂から声がした。
「ワレワレハ……カギ…………」
しかし、その声はノイズの中に埋もれていった。
ユージは思わず詰め寄る。
「おまえたちの狙いはなんだ?」
再びエンジェルは言った。
「カギヲ……オッテ……」
そのエンジェルの目は、ミオの方に向けられているようだった。ユージは続きの言葉を待ったが、ちょうどそのとき、背後でミオの悲鳴が聞こえた。
ユージがとっさに振り向くと、一体のエンジェルが大きな
レイカはミオの背後におり、エンジェルとは反対側だ。レイカは右手を掲げながら、ミオとエンジェルの間に入りこむように前に出た。
レイカの右手の指輪が青い光をはなつ。
しかし、ユージは思った。
指輪の刀は、間に合わない。
これまで見ていたところ、刀を生成するには、二秒か三秒のタイムラグがあるはずだ。
引きつったレイカの横顔。
舞い上がる黒髪。
形を作りはじめる青い刀身。
しかし、エンジェルの曲剣は、刀身の光をすり抜けて、振り下ろされた。
曲剣はレイカの体を、肩から逆の腰にかけて引き裂いた。
破れたブラウスの下に、白い下着がのぞく。
レイカは押しつぶされるように、そのまま前に倒れこむ。
ユキナとシンヤが狂ったような声を上げて飛びかかってゆく。
――それらの一連のできごとは、まるでスローモーションのように、ユージの目に刻まれた。
その直後、ユキナの薙刀がエンジェルの腹を貫いた。
続いてシンヤの剣が光をはなって飛び、エンジェルの額に突き刺さった。なんらかの奥の手じみた魔法であろう。
さらにユキナはわめきながらエンジェルに蹴りを入れ、薙刀を引き抜くと、エンジェルはよろよろと後退し、岩壁に背中をぶつけ、倒れこんだ。
そこにユキナは、とどめとばかりに薙刀を振り下ろした。
シンヤはレイカに近づくと、ひざまずくように膝をおり、レイカを抱きかかえた。
「なにやってるんですか! 死んじまいますよ!」
ユージもレイカの元に駆け寄って、屈みこんだ。
「大丈夫か? すまない。ミオのために……」
ユージはレイカの怪我を見た。
明らかに深手で、深くえぐれた傷の周りが黒く変色してきている。ここまでのダメージで、ペナルティをともなう強制離脱とならないケースは見たことがない。
レイカは苦悶のうめき声を上げた。右手の刀は音をたてて地面に落ちた。
――ヘヴン・クラウドでの戦闘者は正確な状況判断をするため、痛覚を有効にしている。そのため多少は緩和されるものの、激甚な痛みを感じているのは間違いない。
ユージは言った。
「レイカ。どうして……。弟のために、自分の身を最優先にするって。そう言ってただろう?」
レイカの全身はますます黒くなってゆく。その迫りくる死にあらがうように、あるいは死に恭順するように、レイカは目を閉じた。
その目の端から涙がこぼれてきた。レイカは戸惑うように言った。
「わからない……。わたしは、どうしてこんな……。体が、動いてしまって。わたしは…………」
レイカの体は徐々に黒くなり、しまいに消滅した。
シンヤは崩れ落ちるように地面に伏し、レイカの名を呼んだ。
ユージが振り返ると、ミオは、磔にされたエンジェルの前で手をかざし、その白い腹に触れていた。
なにか、会話をしているようにも見えた。
やがてそのエンジェルも、役割を終えたかのように、黒くなっていった。
シンヤは立ち上がると、レイカを襲ったエンジェルがいた場所に向かった。そこで、地面に落ちていた自身の剣を拾った。そして、なにを思ったかミオに近づいていった。
「おい。……なにを企んでるんだよ」
そう言ってミオに剣を突きつける。
ユージはとっさに電磁ナイフを起動し、左手でシンヤの肩をつかむ。
「おい、ミオに手を出すなら、黙ってないぞ」
するとシンヤは、
「うるせー! 触るんじゃねー!」
そう言って剣を振ってきた。
ユージは電磁ナイフを走らせた。シンヤが剣を振り切るころには、剣身は途中からなくなっていた。剣の途中から先が宙に舞い、地面に落ちた。
シンヤは距離をとり、恨みのこもった目で、ユージ、ミオ、ユキナを見渡してきた。
そして、まるで威嚇をするようにじりじりと、後退しながら、崖の底の道をエントリーゾーンの方へ進んでいった。
また、シンヤは左手を胸前で小さく構えていた。さながら、なにかの魔法をはなつかのように――。
ユージははっとして、周囲を見渡した。
そこらじゅうに、岩のかけらが落ちていた。
もし、シンヤが竜巻の魔法をはなったら、確実に全滅するだろう。
ユージは、油断なく後退してゆくシンヤの表情をうかがった。その顔はやはり、憎しみと困惑に満ちていた。
シンヤは言った。
「けッ。おまえらがなにもしねえなら、こっちもやらねえよ。おれはよー、そこまで、クソ野郎じゃねえからなー。命拾いしたな」
「シンヤ……。違うんだ。待ってくれ!」
「ッたく。エンジェルどもよりも、おまえたちの方が、わけがわからねえな。ミオも、天使みたいなツラをして、なに考えてるのかわかりゃしねー」
「待てよ、シンヤ!」
そう言ってユージは足を踏みだす。
「近寄るんじゃねー! もう会うこともないだろうけどよー。せいぜい、上級市民にでもなって、ぬくぬくとやれや! レイカさんが、なんのために戦っていたのか、気にも留めずによー!」
そう言って、シンヤは闇の中に消えていった。
ユキナを見ると、両手で顔をおさえて「なんで、こないなことに……」と、悲痛な声を漏らしていた。
ミオはあいかわらず、エンジェルが磔になっていた積み重なるロープの前で、両手を胸前に組んでいた。その光景はさながら、一幅の宗教画のようだ。
ユージはミオの横顔を見ながら、暗鬱とした気分の中で、レイカの苦しみや、シンヤの怒りについて考えた。
そしてまた、天使の名残に祈りを捧げるミオを見て、思いを巡らせた。
たしかにミオこそが天使なのかもしれない。
いや、堕天使に近いのだろうか?
多くを犠牲にして、おれはミオをどこに連れてゆくつもりなのだろうか?
違う。ミオは、いったいなにをしようとしているんだ?
ユージはミオをはじめ、自分たちのことを省みた。
その姿は、それぞれの呪わしい
そしてまた、そんな者たちは、他人を犠牲にして、踏み台にすることでしか、夢に辿りつくことができないのかもしれない。
そんなことを思った。
そのとき、視界の端に通知が流れた。それにより、ユージはエンジェルを倒したことによる
ついに合計で、五十万ルクスを超えたらしい。
ユキナを見ると、顔を夜空に向けて、呆然とした表情をしていた。同じく通知がきたはずだが、浮かれる様子はない。そして、だれにともなく言った。
「なんや……、ルクス、ついに、たまったなァ……」
デッドキャニオンの谷底には、いつまでも甲高い音をたてて、風が吹きすさんでいた。
本作については、以降は以下のリライト版をご参照ください。
▼ヘヴン・クラウド・サクリファイス
天使たちのドグマ 浅里絋太 @kou_sh
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