第2話 生徒会長の憂鬱
斎藤と別れた樹里と春は、西山の家へと向かうため、校舎から出て歩いて10分程の地下鉄の駅へと向かった。梅雨の時期だが今日は快晴であり、下校時間でも太陽が高くに出ている。樹里は半歩前を歩く春の方を見やる。1学年年下で、さらに身長も10センチほど小さい彼女に先導されるかのように歩く自分は、周りからどう見られているのだろうか、と少し気にしてしまう。探偵事務所で見習いとしてアルバイトをしている、ということを除けば、つい1時間ほど前に出会った彼女について、樹里はなにも知らない。突如として置かれた謎めいた状況に樹里があたふたすることしかできなかったのに対して、春はテキパキとやるべきことをまとめ、そして実行に移している。そんな彼女に対して、樹里の頭の中の興味がどんどんと膨らんでいく。そんなことを考えながら、まじまじと春の小さな後頭部を眺めていると、その視線に気付いたのだろう、春がひょこりと後ろを振り向き、その足を止めた。
「あの、会長さん」
「あっ!ご、ごめんねジロジロ見て」
思わず樹里は謝る。
「いえ、それは別に構いませんが。少し、踏み込んだ質問をさせていただいてもよろしいでしょうか」
春は冷静な表情のまま続ける。
「今回の件とは関係ないかもしれませんが、一応念のために聞いておきたいんです」
「え?う、うん。いいけど……」
春にとっての踏み込んだ質問がなんなのか、というのが気になったので、特に何の思慮もなく樹里は肯定してしまった。
「わかりました。ではお聞きしますが、一月前の会長選挙で、何か気になることでもあったのでしょうか?」
「…………えっ?」
「いえ、先程選挙の話になった際、酷く動揺していらしたので」
そう言いながら、春は全てを見透かしたような瞳で樹里を見つめる。自分自身、そこまで態度に出したつもりはなかったが、どうやら彼女には見抜かれていたようだ。
「…………えっと」
樹里が言い淀んでいると、春は少しだけその表情を歪ませた。
「もしかして、思い出したくないことを聞いてしまったのでしょうか。失礼しました」
そう言いながら彼女は頭を深く下げ、再び前を向いて歩き出す。そんな彼女の態度に、樹里はなんだか自分が悪いことをしてしまったかのような気分になってしまった。樹里は少し早歩きをし、春の隣に並んだ。
「ううん、ううん。違うの。別にそんな大した話じゃないの。ただ、まあ、いい話でもないかも。それでも聞きたい?」
「ええ、念の為。よろしくお願いします」
そう言いながら樹里の隣を歩く春の表情が、少し和らいだように見えた。
元々樹里は生徒会長になる気などなかった。というよりは、彼女は何者にもなる気はなかったのだ。無気力に、適当に、流されるまま、目標のないまま高校2年生になった。しかし、やりたいことがなくとも進路は決めなければならない。別に勉強が不得意なわけでもなかったので、とりあえず大学進学を目標としたのだが、いざ受験勉強だと息巻く気力がなかなか湧かなかった。そこで、推薦を利用して大学進学を目指すことにしたのだった。幸い出席は皆勤だったし、学校内試験の順位も悪くなかった。なにもやる気がない故か、非行に走ることなどもなく、教師からは真面目な生徒と評されている自負もあった。
とはいえ、何かしらの特段の実績はあったほうがいい。部活動や学内、学外の活動などで成果を出した方がいいのでは、と考えていた時、生徒会選挙のポスターが目に止まった。樹里は全く部活動を行っていなかった上、何か特別なことをしていたわけでもなかった。なので、生徒会長に立候補するという目に見えた特別なことが、推薦を決める教師たちにアピールになるのでは、というそんな、邪かつ適当な理由で彼女は立候補したのだった。
とはいえ生徒会の活動について特段詳しくなかった樹里は、仲の良い友人たちと共に適当に選挙活動を行なっていった。校舎の角で演説をするわけでもなく、ポスターを作るわけでもない。そもそも、生徒会自体は地味なもので、せいぜい目立った活動を行うのは秋に行われる文化祭ぐらいのもの、というのが樹里や友人たちの認識であった。最初は推薦のアピールのために始めたものだったが、次第に自分自身の性分故か、ただの暇つぶしの一貫のようになってしまっていったことは否めない。何も特別な努力をすることなく、ただ立候補するためのプロセスを淡々とこなした上で、樹里は選挙当日を迎えたのだった。
選挙ではまず友人による応援演説が行われ、その後自身の演説が行われる。演説の内容は主に自身の掲げる政策についてだが、生徒会に入って行える政策など高が知れているので、大抵は生徒たちに不評な校則、例えばゲームの持ち込み禁止などを廃止するよう努力する、などと言った到底実現可能とは思えない、聞きこごちのいいことをつらつらと語るものである。というように樹里や友人たちは考えていたし、実際一年のときに聞いた生徒会選挙の演説もそう言ったもので、中学の時の生徒会選挙の演説もそう言ったものだったと記憶していた。実際に当日も書記、会計は至ってそう言ったある種のノリで勧められたなか、会長選が始まった。
立候補者は2人。樹里ともう1人、福永橙子という同級生だった。同じクラスになったことはなく、話したことはない。1学年200人ほどの学校とはいえ、だいたいの同級生の顔は見知ったつもりでいたが、顔に覚えはない、地味な印象を受けた。名前に関しては何度か学内試験の順位表の上位にランクインしていた気がした、というくらいだった。演説会場が行われた体育館のステージの裏手で彼女たちと会ったとき、友人がひっそりと、「これなら楽勝だね」と耳打ちをしてきた。これなら、という言葉の意味を何となく理解してしまった自分が少し嫌になり、その言葉には特に反応はしなかった。
先にステージに立ち、演説をしたのは彼女達の方だった。応援演説は実に簡素なもので、彼女がいかに真剣に生徒会選挙に向き合っているか、ということを示すのみであった。それを聞いた時、樹里は少しその態度に違和感を持ったものの、なにか不思議な安心感を覚えていた。しかし、福永橙子自身の演説の番になった時、樹里は生徒会選挙に立候補したことを後悔した。彼女の演説が、素晴らしいものだったからだ。
内容はシンプルなものだったが、それでいて明確だった。半ば形骸化していた意見箱の運用法の改善案、部活動の活発化のための予算や活動時間などに関する改善案、中の上程度である進学実績の改善のための学習事業に関する提案など、真摯的で、尚且つ現実的な案が並べられていた。
樹里は思わず恥じてしまったのだ。自分が不純かつ適当な理由で生徒会選挙に立候補し、尚且つそのプロセスすら真面目にこなしていなかったことに。彼女の、これまでの生き方自体、少し否定された気分にすらなった。そして、それ以上に樹里の心を抉ったのは、そんな彼女の演説に対する周りの反応だった。
ステージの裏手から覗くことのできた体育館内の生徒達の様子は、至って冷ややかなものだった。しっかりと彼女の話を聞いていた人間が、全体の何%いただろうか。真剣な表情の生徒を探すよりも、あくびをしている生徒を探す方がずっと簡単だった。スマホをいじっている生徒も何人も見つけることができた。そんな生徒達の様子は気になっていないのか、彼女はつらつらと演説を続けた。思わず、橙子の応援演説をした友人の方を見やると、彼女もまた、気怠げな表情でスマホをいじっていた。付き合いで仕方なく応援演説を行ったのだろう、ということが容易に見てとれた。
橙子が演説を終え、まばらな拍手がおこった。それと同時に、「よし、いける!」と友人が樹里に再び耳打ちしてきた。樹里は裏手が薄暗く、周りの人間の表情がすぐには読み取れなかったことに感謝した。それを聞いた時、思わず露骨に嫌な表情をしてしまったからだ。
そして、樹里の番がやってきた。友人の応援演説は至って「一般的」なものだった。樹里のクラスでしか通じないであろう、ごくごく内輪の冗談を織り交ぜたそれはなかなか好評だったようで、一部では笑い声も起きていた。演説を終え、ステージからしたり顔で戻ってきた友人に特に声をかけることもなく、樹里は自分の演説を行いに向かった。
樹里は自分の掲げていた適当な政策をつらつらと箇条書きをするように述べ、すぐに裏手に引っ込んだ。戻ってくる際、橙子と目が合った。彼女は何か言いたげな表情をしていたが、すぐに目を逸らした。自分自身がどんな表情をしていたか、樹里にはわからなかった。
結果として、当選したのは樹里の方だった。選挙に関わった友人以外の知り合いに、なぜ自分に投票したのかを尋ねたが、「友達だから」、「スピーチをすぐ終わらせてくれたから」という二つの理由以外、聞くことは叶わなかった。
橙子は副会長となり、今では週に4回、同じ部屋で仕事を共にすることとなった。しかし、彼女の目をもう一度しっかりと見ることはできていない。
「そういえば確かに、副会長さんのスピーチを真面目に聞いていた人は少なかったですね。昼休み前の時限で、お腹を空かせていたクラスメイトが多かった気がします。彼女の話の内容を覚えている人ももう少ないでしょうね」
樹里の心の内を聞いた春は、あっけらかんとした様子だった。
「まあ、生徒会選挙にそこまで入れ込む人間がいる、というのも想定している人もあまりいないでしょうしね。斎藤は確か、バレー部の予算を増やすのが目的だったはずですし」
「え、そうなの?」
謀らずも後輩の内なる野望を知ってしまった。
「もちろん、そんなこと選挙では話していませんでしたよ。そもそも書記は彼しか立候補者がいませんでしたしね。おまけに予算目当てなのに、会計と間違えて書記に立候補した人間しかいなかったわけですし」
「あ、あはは……」
樹里は失笑してしまう。
「まあ、副会長さんの胸の内がどうであるかは知る由もありません。私はそもそも会ったこともないですからね。ただ……」
「ただ?」
春が樹里の方を再び向く。
「もしそれを後悔しているなら、彼女の意を汲んだ行為をしていくしかないでしょうね。真摯に生徒会長職に勤しむ他、その後悔を取り払うことはできないでしょう」
「……そうだよね」
至極当たり前の意見だ。しかし、それを面と向かってしっかりと樹里に伝える春の姿は、橙子と重なっているように見えた。
「とはいえ、会長さんは十分に真摯に業務に取り組んでいらっしゃると思いますよ。少なくとも、あの紙をただのイタズラと処理してしまうのではなく、探偵に頼る程度には向き合っているわけですから」
「そう、だといいけど。そうだ、飯山さん。私も一つ聞いていい?」
「はい、何でしょう」
「飯山さんは、私と彼女、どっちに投票したの?」
「ああ、それはお答えできません」
「ええ!?」
あっさりと回答を拒否する春に、樹里は虚を突かれた。
「誰に投票したのかは人に教えない、選挙のマナーだと思いますよ」
そう言った春の表情に、今度は少し不適な印象を覚えた。
private eyes only 名探偵と生徒会長 @harutakayasuno
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