胸ポケットにうたを

いいの すけこ

手のひらサイズの空白に

 もう、次の行き場を決めろと言う。

 この間、高校に入学したばかりだと思ったのに。

 遅いくらいだよ、一年で決めてる子だっているよと言った友達もいた。

 でも、だって、高校を決めるのだって散々悩んだ。

 私はどこにいったって、すぐに弱るから。

 居場所を作るのに、ひどく心を砕いてしまうから。

 だから進む路を選び取るのに、ひどく消耗してしまう。

 高校二年に進級してすぐ、進路指導ガイダンスが開かれた。

 ああ、また。

 先のことなんて何一つ分からないのに、選ばなければならないのか。

 中学生の頃に比べて、選ぶことはだいぶ上手くできるようになった。

 愛用の眼鏡。

 食べたいお菓子。

 好きな人へのプレゼント。

 一緒にいたい人。

 ひとつひとつ大切にしたいことを選び取って、たぶん私は以前より少しは強くなったと思う。

 だけど突きつけられた近い将来の選択に、心細くなってしまった。

 宙ぶらりんの足場と、不確定な未来。

 やっぱり難儀なものだなと、再び迷子の気分だった。


「これ、スウちゃんの?」

 新淵さんの手の中には、小さな手帳があった。

 紺色のカバーがかかった生徒手帳。

 心がざわざわした時は、特に会いたくなるので。

 私は今日も眼鏡屋さんにいた。

 自分で選んだ場所。

「え、あれ? そうです、私のです」

「バックヤードに置きっぱなしになってたよ」

 はい、と渡されたそれ。

 さっき裏でお水をいただいた時に。

 カバーのポケットには、痛み止めの錠剤を入れてあった。痛みばかりが苦しみでは無いのに、お守り代わりに。もう薬は入れていないけれど、落ちそうな心が久々に手帳を開かせた。

「……中、見てないですよね?」

 新淵さんはそんなことをする人ではないけれど。

 この中には少しだけ、自分の心を放してあるから。

「見てないよ」

「ありがとうございます」

 受け取った手帳を、新淵さんから見えないようにそっと開く。中身を改めたからって、不審なところなんてないし、ましてや新淵さんを信じていないわけがない。だけど、なんとなく確認をしてしまった。

「生徒手帳って、そんなに他人に見せたくないことが書いてあるものなの?」

 僕は持ったことがないけど、と新淵さんは言う。

「あ、いえ、その。普通は校則とか時間割が書いてある程度で。ただの学生証ですし、困りはしないです、けど」

「あ、友達の住所録とかがあるのかな。今は個人情報とか気を使うもんね」

「……それはスマホのやりとりしかしてないので」

 相変わらず生きる時代の違う人だ、とそんなことを思いながら手帳を胸に抱く。

 生徒手帳には白紙のメモ用ページが綴ってあった。


 高校に入学したばかりの春。

 まだ新淵さんと出逢う前で、銀の月眼鏡店という場所を知らない頃。

 高校生活に馴染めなくて押しつぶされそうな心を、原因不明の痛みと一緒に吐き出そうとした。

 スマホとかSNSとか、なんだって、方法はあるのだけど。

 生徒手帳の中ほどより少し後半のページ、その空白に。



 水槽が また変わるから 初めから

 息の仕方を 誰か教えて


 繰り返す 痛みとともに 助けてと

 誰でもいいの なんでもいいの



 白紙にシャーペンで書き連ねられたそれは、久々に見るとなかなかに痛々しかった。あの頃のもがきっぷりもだし、うたを詠むという行為そのものも、なんというか……破壊力がある。

 下手だし。取り繕っているようでひねりも無いし、そのまんまだし。

 いや、ただ単に吐き出しただけだから!と誰にでもなく弁明する。

 それはそれで、これが自分の心だと思うとたまらなく恥ずかしいし。

 だけど恥ずかしいということは、振り返る余裕があるということ。

 今ならきっと、違うものになる。

 鞄からシャーペンを取り出す。新淵さんがバックヤードに戻ってお茶を入れている間に、こっそりと。



 宇宙でも 呼吸ができる 軽くなる

 月と出逢えて 世界は変わる



「まんまだなあ」

 仕方ない。テクニックは知らない、ただ、心だけがある。

「お待たせー」

 背後から声がして、私は慌てて手帳を閉じた。ティーセットを抱えた新淵さんの視線は、手帳をしまった胸ポケットに向いている、気がする。

「……ほんとに見られて恥ずかしいものとか、ないですから」

 決まりが悪くて、余計な言葉を重ねてしまう。万一見られたら、恥ずかしくて死ねるだろうに。

「そう?」

 新淵さんはいつもみたいに、穏やかに微笑んで。

「好きな人の写真でも挟まってるのかと思った」

 などとのたまった。

 その好きな人、が、誰を指すのかわかってて言っているのか、いないのか。知ってるはずだけど。そういうところだぞ、と心の中でつぶやいて。

「……写真もアドレスも、今はスマホにおさまるんですよ」

 撮影して、持ち歩いてやろうかなんて思う。現像の仕方は知らないから手帳には挟めないけど、待ち受けにして。いやそれはちょっと、恥ずかしいな。だけど薬よりずっと、効きそうだから。



 月がある 歩いて行ける それだけで

 私の月が そこにあるから










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