第34話 積木士郎

 暗闇の中で、一体どれだけの時間が経っただろう。

 壁に背中を預けて膝を抱える士郎は、ひたすら自問自答を繰り返していた。


 一体どこで間違えた? 答えは分かり切っている。デスゲームなんてものに関わってしまったのがそもそも間違いだったのだ。例え最初の一歩が純粋な正義感だったとしても。


 一年前。失踪した大学の先輩の行方を捜している内に、彼が家族の高額な治療費を捻出するためにデスゲーム興行に参加し、命を落としたという事実を突き止めてしまった。すでに死亡しているにも関わらず、誤って先輩宛てに再び届いた招待状を手にしたことで、士郎は真相を確かめるために会場へと向かった。


 先輩の無念を晴らしたい。この悪行を世間に告発してみせる。最初の内こそ純粋な正義感に燃えていたはずなのに、死と隣り合わせのデスゲームのスリルと狂気に身を置いている内に、危険な好奇心の芽生えを感じずにはいられなかった。目の前で誰かが死ぬのを目撃した時、最初の内こそ激しい動揺に襲われたが、慣れていくうちにそれも、敗者を踏み越えていくという高揚感へとすり替わっていく。


 下手にゲーム慣れしておらず、生きるために必死なだけだったら、こんな複雑な感情を芽生えさせることもなかったかもしれない。深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている。感覚を上書きされた士郎の成り立ちは、正義感を宿す警察官でありながら、狂気の中で殺人衝動に目覚めてしまった兵衛と同じ変遷を辿っている。雌雄を決した二人はその実、似た者同士だったのかもしれない。


 天性のゲームセンスでデスゲームをクリアした士郎は、多額の賞金と共に日常への生還を果たした。先輩の死に報いるために、匿名で彼の家族の治療費を寄付したが、結局デスゲームの告発に踏み切ることはなかった。それをデスゲーム運営が黙って見ているとは思えなかったし、そして何よりも、こんな面白い最高のゲームを潰すような真似を出来るはずもなかった。この時から士郎はとっくに壊れていた。その後も機を見てはデスゲームの臭いを感じ取り、積極的に参加していくデスゲーム狂としての姿が完成されていく。


 しかし、多くのデスゲームを荒らして勝者の座を欲しいがままにする「ブロック崩し」の存在は、デスゲーム運営にとってはいまだかつてないモンスター。士郎はあまりにも多くの積木を崩し過ぎたのだ。その結果彼は今、巨大な玩具箱の片隅で、誰にもその存在を知られぬまま朽ち果てようとしている。


『無明の中は孤独だろう。あれからまだ一時間しか経っていないが、すでに永遠にも似た虚無を感じたのではないかな』


 突然モニターの画面が点灯し、タキシード姿の人物が姿を現す。赤い竜のマスクを脱ぎ捨てた、士郎にとっては馴染み深い恵比寿顔と落ち着きのある低音ボイス。ボードゲームスタジオ「parcoパルコ」のオーナー、尾面だ。


「……尾面オーナー。やはりあなたがドラコだったんですね」

『いかにも。私がドラコだよ』


 ボイスチェンジャー越しでも、「ゲームとは絆だ」という尾面の印象的な台詞を聞き間違えるはずがない。このまま真相を知る機会のないまま暗闇の中で朽ちていくのは心残りだったが、最後に答え合わせが出来たのはせめてもの救いだ。


『ゲームマスタードラコとしてではなく、尾面おづら狛郎こまろうとしてこの時間を設けた。これは個人的なやり取りであり、運営側は一切関与していない。私も君とは最後にもう一度話をしたかったのでね』

「オーナーがデスゲームクリエイターだとは驚きましたよ。八年前に一度勇退したんでしたっけ?」

『十年間デスゲームクリエイターとして活動し、守秘義務を条件に勇退を許された。デスゲームクリエイターとして稼いだお金でビルを一棟買い上げ、セカンドライフとして始めたのが「parco」の経営だよ。積木くんと出会ってからもう六年になるか。当時はまさか、デスゲームクリエイターとプレイヤーとして相対することになるとは思わなかったよ』

「俺もですよ。あなたがデスゲーム運営と繋がりを持つ人だとはまるで気づかなかった」

『この八年間はデスゲーム運営とは一切接触せず、ボードゲームカフェのオーナーとして真っ当に生きていた。「parco」を開店した理念や君達と過ごした日々には打算も虚構もない。全てが本物であったことだけは信じてくれ』

「……信じますよ。俺だってあそこで過ごした日々は楽しかったですから。デスゲームに関わるようになってからも、それだけは変わりませんでした」


 ボードゲームスタジオは「parco」は二人にとって、日常の象徴であり、掛け替えのない場所だった。こんな状況下であっても、お互いのそんな思いは信用出来た。


「そんなオーナーが、どうしてまたデスゲーム業界に復帰を?」


『前述の通り、昨今のデスゲーム業界は人材不足でね。胡鬼子竜壱と綾取冴子が問題を起こしたことでそれがより顕著となった。八年のブランクがある私に白羽の矢が立つのだから相当だろう。私の規格したデスゲームはどうだったかな? 忌憚のない意見を求むよ』


「オーナーの個性が出てて良かったと思いますよ。小一時間暗闇の中で、今回行われたデスゲームについて考えていました。『蹴鞠けまり』、『羽根突き』、『お手玉』、『綾取り』、『木馬』、『足切り』、『やじろべえ』、『影踏み』、そして『積木』。全てが昔ながらの遊戯や玩具だ。それらはアナログゲームと言い換えることも出来る。デスゲームにおいてもオーナーが追及するものはやはり、アナログゲームなんですね」


『ご明察。これは一つの巨大な玩具箱だからね』


 笑顔で語らう二人の姿はさながら、職場のバックヤードでの一コマのようだった。


「君がデスゲームに関わっていたことには以前から気付いていた。私にそれを咎める資格はないと思い口出しはしなかったが……こんなことになるなら止めるべきだったと、今では後悔しているよ」


 士郎が拉致された当日に持ち掛けた、大学卒業後に正社員にならないかという話。あれは嘘偽りのない本心だった。中学生の頃から知っている士郎に対して、親心にも似た情が湧いていた。


『ゲームの企画段階で、プレイヤーに君の名前があった時には驚いたよ。単なるデスゲーム興行であればクリエイター権限で候補から除外することも出来たかもしれないが、私は八年振りの復帰であって、今回のデスゲームは問題を抱えた人材の再評価の場。意見を通すことは難しい。せめてもの助力と思い、デスゲームの中でも君が私の言葉を覚えていてくれる可能性に懸けたのだが……残念だったよ。一度決着してしまった以上、結果はもう覆らない』


「ゲームとは絆、ですか……さっきは取り乱してしまい申し訳ありませんでした。俺はデスゲームの中で敗北したんです。結果は真摯に受け止めますよ」


 暗闇の中にいたことで少し頭が冷えた。デスゲームの結果を素直に受け止められないのはデスゲーム狂の美学にも反する。もちろんゲームを仕掛けた尾面を恨んだりなんかしない。難しい立場の中でも気を配っていてくれたことが嬉しいとさえ思えた。


『残念だがそろそろ時間のようだ。特定のプレイヤーに肩入れしていては、運営に睨まれてしまうのでね』

「これ以上はお構いなく。オーナーにこれ以上余計な迷惑はかけたくないですし」

『何か言い残すことは?』

「子供達に、突然店を辞めてしまってすまないと」

『伝えておこう』


 尾面が神妙な面持ちで目を伏せると、画面の下に何かが落下したような音がした。


『私からの最後の謎かけだ。私がどうしてドラコと名乗るようになったのか、君には解き明かすことが出来るかな? これまでの私のデスゲームクリエイターとしてのスタイルを見返せば、きっと答えに辿り着くことが出来るだろう』

「ありがたい。この先どうやって退屈を凌ごうか悩んでいたんですよ」


 画面に近づいた士郎が拾い上げたのは、ドラコのタキシードの胸ポケットに輝いていたネームプレートだ。


『さらばだ。積木士郎くん』

「お世話になりました。尾面オーナー」


 画面から尾面の姿が消え。画面には放送終了を思わせるカラーバーだけが表示され、暗闇の中の士郎を照らす唯一の光源となっている。


「ドラコの名前の由来か」


 画面から漏れる光で士郎はネームプレートを照らし出す。アルファベットで「draco」と刻まれたネームプレート。ヒントはこれだけで事足りているということなのだろう。


「そういえば、ずっと既視感があったんだよな」


 初めて「draco」のネームプレートを見た時から感じていた既視感。見慣れたアルファベットの並びとよく似ている気がしていたが、尾面と対面したことでようやく気付いた。勤務していたボードゲームスタジオ「parco」にロゴによく似ているのだ。尾面がオーナーを務めていることもあり、とても無関係とは思えない。アナグラムかとも思ったが、どんなに並び替えても「praco」とするのが限界だ。そもそも異なるアルファベットである「p」と「d」だけは決して一致しない。


「デスゲームクリエイターとしてのスタイルか」


 態々そんな助言を与えてくれたのだ。正解に繋がるヒントが存在するかもしれない。尾面オーナーことドラコの作り出したデスゲームの最大の特徴といえばアナログゲームであることと、プレイヤーの名前がそのゲームに対応していることが挙げられるだろう。


 類家るいけ万里生まりおは名前から三文字取って「蹴鞠けまり」。

 胡鬼子こぎのこ竜壱りゅういちは羽の名前である「胡鬼こぎ」から転じて「羽根突き」。

 御手洗みたらい玉栄ぎょくえいは漢字を抜粋すると「御手玉」=「お手玉」。

 綾取あやとり冴子さえこは読んで字の如く「綾取り」。

 登呂とろ石彦いしひこは「トロイ」から転じて「木馬」。

 蘆木あしき輪花りんかは名前から四文字取って「足切あしきり」。

 兵衛ひょうえ弥次郎やじろうは名前を並び替えて「弥次郎兵衛やじろべえ」。

 龍見たつみ景史かげふみは名前の「景史」から転じて「影踏かげふみ」。

 そして積木つみき士郎しろうはそのまま「積木」。


 この法則を尾面おづら狛郎こまろうの名前に当てはめていくと、一つの昔ながらの名前が浮かび上がってくる。


独楽こま?」


 名前のこまの音を変換すると、円錐形の玩具を回転させる遊び「独楽」をイメージすることが出来る。


「そうか。そういうことだったのか」


 乾いた笑いが空間を反響する。「parco」という名前の「p」を独楽のように回転させると「d」になり、その後にアナグラムの要領で並べ替えると「draco」になる。言葉遊びで店名を竜の名前へと変える。確かにこれは尾面の特徴が詰まっていると言える。


「解けましたよオーナー。これで心残りはない」


 士郎が満足気に笑った瞬間。モニターを含む全ての電源が完全に落とされ再び暗闇が襲う。一人ぼっちの積木のブロックは、玩具箱の片隅から決して外に出ることはないだろう。


 ※※※


「尾面オーナー。最近積木さんを見かけないけどどうかしたの?」

「積木さんいないとつまらない」


 ドラコの玩具箱の開催から半月後。ボードゲームスタジオ「parco」を訪れた子供達が、尾面に積木のことを訪ねた。アナログゲームの魅力を教えてくれた積木がこの場にいないのは寂しい。


「事情があってお仕事を辞めることになってしまってね。突然のことでごめんと積木くんも謝っていたよ」


 子供達にボードゲームのルールを教えながら、積木について説明する尾面オーナーの表情も物悲し気だ。願わくば彼と一緒に、これからもこうやって子供達にアナログゲームの魅力を伝えていきたかった。


「またいつか会えるかな?」

「ああ、同じアナログゲーム好きとして、きっとまたどこかで会えるさ」


 優しい嘘で尾面オーナーは子供達を安心させる。積木士郎はもういないが、彼が伝えたアナログゲームの魅力はこうして若い世代にも受け継がれている。そういう意味では士郎はまだ生き続けていると言えるかもしれない。


「おっと電話が。押競おしくらくん。少し代わってもらえるかな?」

「分かりました」


 事務所の固定電話に着信が入ったので、尾面は子供達への対応を従業員の押競に任せて電話を取りに向かった。


「はい。ボードゲームスタジオ『parco』でございます」

『次の日程が決まったので、新たなゲームの企画立案をお願いしたい』


 オーナーとして電話を取った尾面だったが、通話相手を知ってから声色が急に変わった。


「かしこまりました。詳細は後程」


 それだけ言うと、尾面オーナーは電話の受話器を置いた。


「オーナー。何の電話だったんですか?」

「オリジナルゲームの発注だよ。また忙しくなりそうだ」


 穏やかな笑みを浮かべるオーナーの口にするそれは、ボードゲームスタジオの業務の一環であると誰もが疑わない。ボードゲームスタジオのオーナーと、デスゲームクリエイター。二足の草鞋を履いて尾面は今日も、アナログゲームの魅力を発信し続ける。



 

 ドラコの玩具箱 了

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玩具箱の片隅で 湖城マコト @makoto3

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